彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

ICU

脳卒中へのカウントダウン(10)5

脳卒中へのカウントダウン(10)

発症翌日(ICU)

 【妻の看病日記】

慶応病院外観

ペンのマーク

入院病棟望む

 

 

    

 慶応病院外観      慶応病院のペンのマーク   入院病棟を望む

2001.3.2(金)

 

 10時すぎI氏よりTel。会議の結果が当方の思い通りに決着がついたとのこと。早くHさんに知らせて欲しい旨のTel。弟宅で掃除、食事後、買物(病院に持っていく物)をして病院にむかう。1時すぎ。タクシーが混んでいるため途中で下車、電車に変更。結局、病院着が2時15分頃。I氏、N氏、K氏が待っている。さっそくに面会。会議の結果を伝える。連絡が遅いと叱られる。正常の時だともっと怒っていただろうと思われる。N氏にじきじきのお見舞いをいただく。K氏、W氏見舞いに来られる。会議の決着につき皆喜ぶ。Hさんの状態は落ち着いている。話は十分に出来、会話は正常。ただ、腰が痛いと訴える。しばしば。4持半頃にDrSより説明有。

 

 第3回目。

 

 2回目のCTを12時半頃とる。出血の状態は昨日からほぼ変化なし。脳室穿破による脳室にも変化なく、水頭症にはなっていない。状態はきわめて安定している。来週〔月〕には病室移動も可能。これからは自然に血液がひく(脳内に吸収されていく)のを待つのみ。筋力の回復は認められるが、感覚神経については重症であるため、回復力によるが、つえ歩行の可能性が大である。リハビリ次第ではある。慶応(信濃町)は2ヶ月程度、その後はリハビリ病院に転院になる。〔リハビリ病院紹介する。リハビリ期間が〕3ケ月程度。退院は6か月後が目途。その時の状態により会社復帰の可能性をさぐる。病室が空いていないため差額ベッド代が必要。

 

(同期の)N氏、I氏及び弟、息子、娘が一緒に聞く。

 

N氏〔同期・人事部〕が医療保険及びリハビリ病院について調べてくれる由。保険については自分でも調べてみる必要あり。

 

 H(わたしは)、ひたすら腰痛をうったえる。病室(ICU)につき添うよう看護婦さんよりの連絡。3時すぎから9時まで腰をさするしか方法なし。(鎮痛剤の)座薬を2回使う。

 

 6時、弟を含め食事。娘を息子が送る。弟、Hさんの顔を見た後帰る。(妹を送った)息子病院に戻り、帰る。

 

 9時消灯につき座薬で少しねむりにはいったので帰る。帰りのバスの中、涙がとまらない。

 

(ペットの猫)R、庭にいる。一緒に(家に)入り、だきしめる。

1時就寝。めずらしくすでにRふとんの中!!

 

 PS:留守電M氏よりTel有。「健康はいかが?懸案事項うまくいって  おめでとう」

  

 帰宅途中、病院の前でF、MU両氏に会う。日枝神社の御守を届けて下さる。感謝!

 

「発症翌日の3月2日の妻の看病日記より」

 

(11)につづく

,砲發匹

 

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日経新聞 患者の目3

 日経新聞 患者の目

 日経新聞の日曜日の「患者の目」と云うコラム欄に拙文が5回に分けて掲載されたものである。三月五日(日)掲載分から順次、転載したい。掲載文は字数の関係で一部削除せざるを得なかったが、ここに記述されたものは、削除前の文章である。全国で同じ脳卒中で苦しんでおられる方の少しでも力になれれば幸いであると願っている。

1.人の生き死には「運」と「気」

(日経新聞三月五日日曜日掲載)

 

丁度五年前の三月、小糠雨の振る夕方に私は決して軽くない中規模の脳出血に襲われた。外出先から戻った私は頭がぼ〜っとし左手に軽い痺れを感じて、念のためと階下の社内診療所へ向かった。その間吐き気はなかったが、まるで雲の上を歩くようで途中からは足を運ぶのも難儀であった。ソファーに座ると「どうした?」と、所長が訊ねた。「体躯の左側が・・」と口を開いた途端、左顔面の感覚がざ〜っと潮を引くようになくなり、左腕、左脚と上から下へ知覚喪失が広がった。その時、言語を失う恐怖が頭を過ぎった。「先生、僕の言ってること分かる?」「大丈夫!痺れは左でしょ、であれば言語障害はないよ」そのひと言はその時の私にとり最も当為な医療措置であり、気持ちは一挙に落着いた。救急車が到着する間、血圧降下の注射を受けた。後日、恩人の所長から「四十年近い医師生活で眼の前で脳出血した人は初めてだ」と笑われたが、先生の適切な処置が私の命を救い障害の程度を抑えた大きな要因であったと深く感謝している。

 

 病院に運び込まれるとまずCTを受けたが、その辺りから記憶が斑になっている。ICUでは主治医から簡単な足し算の質問を受けたが、ぼ〜っとした頭で「馬鹿にしてるのか」と思いながら数字を口にした。その不遜な答えが正解か否かは未だ確認はとれていない。そして集中的な点滴治療が始まったのだろう、そこからの記憶は翌朝、目が覚めるまで途絶えた。その間、別室で主治医から「視床出血で手術は不可能。二十四時間以内に再出血がないこと等が生存の必須条件」と家族は説明を受けていた。後日、会社の先輩が見舞いに来られ「今回、死ぬかも知れぬと思った瞬間はあったか?」と問われた。私は微塵もなかったと応えた。「それなら大丈夫だ、俺がそうだったから」と力強く励まされた。先輩は以前、命に係る大病をし見事に復帰された。その時、生命とは不思議なもので患者の「運」のみならず「気」というものが人の生き死にに大きな影響を与えることを知った。

 

脳梗塞・脳出血・くも膜下出血が心配な人の本―脳血管の病気の不安解消・予防・早期発見のために

脳血管障害者の在宅リハビリ―家庭に帰ってイキイキ生活するための本

 

 


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