令和3年3月28日 吉良のエドヒガン桜
徳島県の北西部、吉野川上流の山中に御所神社(美馬郡つるぎ町)というゆかしい名をもつ神社がある。御所神社
阿波忌部(インベ)氏の本貫(根拠地)である当地にその始祖(天日鷲命=アマノヒワシノミコト)を祀ったものである。そもそも忌部氏は、斎部広成(インベノヒロナリ)によって大同2年(807)に撰上された「古語拾遺(コゴシュウイ)」に詳しいが、中臣氏(中臣鎌足が有名)とともに古代大和朝廷の宮廷祭祀を司った一方の旗頭であった。その中央の忌部氏に奉仕していた地方忌部のひとつが麻布や木綿(ゆう)を大嘗祭の際に貢納する役を担った阿波忌部である。そんな往古まで遡る歴史を誇る御所神社であるが、明治初期に延喜式内社・忌部神社の本家争いが当社の東北東18kmの吉野川沿いに建つ山崎・忌部神社(吉野川市山川町)との間で勃発、紆余曲折ののち太政官の調停により徳島市二軒屋町に新たに忌部神社が創祀され喧嘩両成敗の裁定で事が収まるという経緯を持つ。
本家争いが起った山崎忌部神社 徳島市内二軒屋町の忌部神社
現在は徳島市内の眉山中腹に建つ忌部神社の摂社としておさまり、当社鳥居の扁額には「忌部奥社 御
所神社」と記されている。
御所神社鳥居の扁額に忌部奥社とある
そうした人間臭い謂れを持つ古社の社前に樹齢四百年を誇る桜の巨木が立っている。社前小高い斜面に立つ樹齢四百年の吉良のエドヒガン桜
「吉良のエドヒガン桜」と呼ばれ、昭和46年に徳島県の天然記念物に指定されている。今を盛りに枝ぶりも見えぬほどの満開の櫻花(2021年3月28日)
桜の古木は得てして幹こそ太いものの花のつきが悪いものを多く目にするが、ここのエドヒガン桜は花びらの色も雅な桜色で四方に伸びた枝々が隠れるほどに全面に櫻花が咲き誇っている。山腹に立つその様は悠揚として孤高の品格を放っている。静謐の中に咲き誇る吉良のエドヒガン桜
その日は雨もよいのあいにくの空模様であったが、時折、吹き下ろしてくる山風がエドヒガン桜の今を盛りの花びらを鶯の啼き聲を透き通す嵐気のなかに輪舞させる。精霊たちが踊り戯れ花吹雪を舞わす
わたしはその風韻ただよう小宇宙の中に身をゆだねつづけた。すると、往古、ひたすら祈りの時を刻んでいた氏族の精霊たちがこの春のひととき、花冠を目深に被り踊り戯れている様子が目の前にひろがってみえたのである。