北朝鮮の核保有問題で北東アジアが激震している。10月15日、中川昭一自民党政調会長がわが国の核兵器保有につき「議論は行なっていい」という認識を示し、18日、麻生太郎外相が「(核保有を含め)いろいろな議論もしておくというのは大事」と発言。これに野党、大手メディアは一斉に非難の声をあげた。

こうした中、国際原子力機関(IAEA)のエルバラダイ事務局長は16日、「非常に短期間に核兵器を製造する能力を持つ国が30カ国増加」との懸念を表明した。その中にオーストラリア、台湾といった国名が見える。日本は「非常に短期間のうちに」核保有国に包囲される可能性が高いということである。「非核三原則」という自縛により安全保障の議論すらできぬ平和ボケというより思考停止に陥っていると言わざるをえない。

ここで冷静に国際情勢を見渡して見ると、別の風景が見えるはずである。米・中が恐れるのは北朝鮮の核保有ではなく、日本の核を最も危惧しているのである。これまで被爆国として憲法第9条の下でマインドコントロールされてきた日本が、自らの核保有でのみ核抑止力は働くのだという自明の理に気づくことを恐れているのである。  

日本の対北朝鮮強硬路線に米・中が素早く応じ、行動した事実がそのことを如実に語る。独立国家として当然の国防行為につき具体策を議論することのどこに非難されるべき点があるのか。

ライス国務長官は米国の核の傘の実効性につき口を極めて強調した。しかしその口調が強ければ強いほど、自国が報復されることを容認してまで、日本のために他国へ核攻撃を行なうなど、国益から考えてどうしてもあり得ぬ。他国民のために自国の国民の生命と財産を犠牲にする国などありえぬからである。

 そろそろわが国が米国の核の傘というイリュージョンから覚醒するべきときがきたのだと、今度の北東アジア情勢の緊迫は語りかけているのではなかろうか。