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香川県さぬき市長尾西653
88番大窪寺から車で30分弱、第87番札所 補陀落山(フダラクサン)観音院 長尾寺へ到着。琴平電鉄・長尾線の終点、長尾駅から徒歩200mの平坦な町中にあって、山深い大窪寺からするとあれも遍路、これも遍路といった感じで、すべてが難所じゃないんだと実感するお寺である。
仁王門からの外観はこぢんまりとしたお寺で、たとえて言えば“おらが町”のお寺といった第一印象である。
その仁王門の前に2mほどの高さの凝灰岩の石柱が二基立っている。経文を埋納する経幢(キョウドウ)というものだそうで、仁王門に向かって右手の経幢が弘安9年(1286年)、鎌倉時代後期のもので高さは253cmと高い。
向かって左、西側の経幢は高さ200cm、弘安6年(1283年)の建立で、きわめて古い時代のものということでちょっと珍しいので、境内に入る前によく観察されたらよい。
仁王門は威圧感を感じるどころかかわいらしいと表現してよい親近感がもてるもの。
そして、門をくぐる真上には吊り梵鐘が下がっている。手が届かないんだけど・・・、どうやって衝くんだい・・・・・・いやはや不思議感を催させて面白い。
仁王門をくぐるとすぐ右手に大きな楠が立っている。
その陰を落とす石畳の参道の先にはエッというほどの境内が東西に開け、ここでまた意外感を演出。何だか、お遍路寺というよりサプライズを楽しませる趣を有すとても開放的で気分の良いお寺なのである。
本堂でまずお参り。もちろん、般若心経と光明真言“おんあぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まにはんどまじんばらはらばりたやうん”を三度、唱える。
次に本堂の東側、右手にある大師堂へ。
大師堂のさらに右手に薬師堂と東門がある。
そこで踵を返して本堂の前を過ぎ、護摩堂へ参拝。
この護摩堂の左手前に妙なパネルが見えた。近づくと、何やら平安装束の女子の体裁。
目を凝らすと、静御前の剃髪塚との説明版が目に入る。小高く盛ったところに苔むした石塔がたっていた。
義経と別れ、鎌倉へと移送された静御前が、頼朝の前で“しずやしず しずのおだまき 繰り返し むかしを今に なすよしもがな”と詠いながら哀しく舞った逸話は有名であるが、その後、この讃岐に来ていたことはあまり知られていない。
わたしはもちろん、讃岐出身の家内もまったく知らなかった。
そして・・・なんと、あの静御前がこの、この長尾寺で得度して尼となり、その際の断髪した髪をここに埋めたのだという。長尾寺の片隅に都中に美しい舞の名手として名をとどろかせた白拍子、静御前のぬばたまの黒髪がここに埋まっている・・・ロマンである。
仁王門のかわいらしさ、吊り梵鐘のサプライズ、狭い門から入って一挙に広がる境内の解放感など意外感満載の長尾寺であったが、この剃髪塚、これは、ほんとにびっくりポンな出来事であった。
寄り道遍路第一弾の静御前・薬師庵は次回ブログにてご案内。そこはとても美しく抒情あふれるところでしたね。