千葉県銚子市の岡野俊昭市長が財政難と医師不足を理由に休止を表明していた市立総合病院(393床)が930日で診療を休止、事実上の閉鎖となった。

 

 閉鎖理由の一つである医師不足という医師の員数問題は、そもそも1984年に実施された医学部定員の削減に始まるが、小泉内閣時(04年)に改正された新医師臨床研修制度(研修医の都市部集中とアルバイト禁止)が直接の引き金になったとされている。

 

 またもう一つの理由が地方自治体の財政難である。市立病院の赤字負担が従前以上に重くなり、これ以上の財政負担に自治体は耐えられないというものである。

 

このことにつきさらに説明を加えると、病院経営悪化の直接の原因は、そもそも医療費抑制を全面に押し立てた2006年の医療制度の大改革である。そのなかでも病院経営に直接、圧し掛かっているのが、5年間連続でマイナス改定された診療報酬の点数減額である。要すれば、同じ医療行為を行なっても受け入れる収入が減少、病院の売上が減るということである。その結果、とくに勤務実態の厳しい島嶼(とうしょ)部や山間地などの過疎地や地方から産科や小児科の廃止、病院経営の悪化といった報が相次いで伝えられている。自治体が補てんする公的病院の赤字幅が医療制度の改革により増大しているのである。

 

 その補てんすらままならぬ地方自治体の財政悪化であるが、各自治体の放漫経営・財政規律の弛みなど批議すべき点はいろいろあるものの、より直接的な背景として挙げられるのが、小泉内閣が実施した地方分権推進に伴う「三位一体改革(04年)」という「まやかし」である。

 

つまり地方への権限移譲(つまり行政サービスの地方への移管)というコスト負担増に見合う税源移譲が十分手当てされぬまま、補助金や地方交付税の大幅カットが先行して実施されたのである。その結果、当然のごとく地方自治体の財政基盤が脆弱化した。三位一体の言葉とはおよそ異なる羊頭狗肉の改革が、公立病院の廃院・閉鎖や診療科の休止といった医療崩壊に拍車をかけたのである。

 

読売新聞の全国調査(20084月)では、「2004年度以降に少なくとも93病院の141診療科が、医師不足などを理由に入院の受け入れ休止に追い込まれ」、「さらに少なくとも49の公立病院が経営悪化などで廃院したり診療所への転換や民間への移譲など運営形態を変えたりしたことも判明」したと伝えている。

 

 今回の銚子市のケースは、大学誘致など税金を多額に費消する特殊要因も重なるが、基本的には三位一体改革のまやかしによる自治体の財政難と、新医師臨床研修制度を直接の引き金とした医師不足そして診療報酬削減を目的とした医療制度大改革という小泉改革の激震が引き起こした大津波による被害であると言ってよい。

 

 小泉改革は規制緩和を積極的に促進し、官から民へと小さな政府に大きく舵を切ろうとするものであった。その小さな政府たらしめるバックボーンになったのがいわゆる「市場原理主義」である。冷酷無比な市場原理主義が先走り突出した小泉改革が必然的に生み出した結果が、今回の銚子市立総合病院の閉鎖なのである。

 

規制緩和を性急に進めた小泉改革とは?、その正体が当時の「規制改革・民間開放推進会議」の委員の顔ぶれを見れば、何となく透けて見えてくる。それは「小泉改革」は真に国民のための規制緩和であったのか、それとも委員の関連する企業ビジネスの利益につなげるための医療の規制緩和だったのか、という一視点である。

 

 現在、医療現場には地域医療の崩壊に加え、医師のみならず看護師等コメディカル・スタッフの不足、診療科の偏在など様々な問題が噴出している。

 

 憲法25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。.国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と定めている。

 

医療はそのことを具現化する国家のなすべき根源的サービスのひとつなのである。良質な医療サービスを国民がひとしく受けられる制度、つまりそうした社会的な共通インフラの整備を、効率化という隠れ蓑を合言葉に市場原理主義の物差しで行なったところに、本質的間違いがあるのである。さらに国民の公益ではなく私益によって制度改定がなされたふしもあるところに、現在、さまざまな不都合、不合理な点が噴出してきていると言えなくもないのである。

 

市場原理主義という化け物を飼い慣らす術も知らずに放し飼いにしてしまった小泉政治。

 

小泉改革とは一体全体、何だったのか。

 

残念ながらこれからも銚子市立総合病院のような公的部門のサービス提供が、陸続と破たんの憂き目をみる事態が続出することは確実である。この殺伐とした光景は郵政総選挙のその後の政治混乱を語るまでもなく、小泉政治の5年半の間、国民が熱狂し、踊らされ、そして国民自らが選んだ道の果てにある景色だったのである。