中京区三条通堀川西入ル橋西町675
祇園祭といえば三条若狭屋の“ちご餅”というのは、京都人の常識だとか。
と云うことで、山鉾巡行の翌日、帰京前に地下鉄東西線にて二条城前駅へ。
そして、堀川通を下ること500m、三条通堀河西入る、つまり三条通り商店街入口角にある“三条若狭屋”へ銘菓・“祇園ちご餅”を求めに伺った。
本店店舗の外観はいかにも京菓子司の趣きを醸し出す古風な造りである。
店内に入ると、すぐに“祇園ちご餅”が陳列されたショーケースが目に入る。正面にちご餅を印した暖簾が下がる。
そして、堀川通りに面してカウンターカフェがある。店内でお茶を戴きながら若狭屋の菓子を愉しむことのできる造りになっていた。
“ちご餅”は祇園祭所縁の京菓子であるが、昭和17年12月に京都府が指定した“銘菓和生菓子特殊銘柄品18品目”のひとつとしても有名である。
祇園祭所縁というのは、この“祇園ちご餅”誕生譚が以下の説明書にあるので参照されたい。
要は山鉾に載る生き稚児さんたちが八坂神社で御位貰いの儀式を終えたのち、楼門前で味噌だれをつけた餅を衆生にふるまったことに因むというのだ。
そしてこれを食べると、ちご餅に添えられた短冊にあるように“疫を除き福を招く”というので、京の人々はこぞって稚児さんからふるまわれる餅を求めたのだそうだ。
この三条若狭屋の“祇園ちご餅”の包の形状が山鉾町で求める厄除けの粽に似せてあることも、厄除けの祭、祇園祭にはなくてはならぬ菓子となっていったのではなかろうか。
包を開けると竹串に刺された“ちご餅”が現われるが、氷餅をまぶした求肥のなかに甘く炊いた上品な白味噌が入っているのもそうした所縁に基づいたものである。
ひと串口に入れると、氷餅のザラメが甘みを舌の上に載せ、やわらかな求肥を噛むうちに楚々とした白味噌の風味が口中に残る甘みとしとやかに調和する。
その味は上品でかつひと包に三本というのもまた奥ゆかしく、その由来と併せてまさに京都のお菓子というのにふさわしい逸品である。
お店のお嬢さんにまずは“祇園ちご餅”の5包入りをお願いする。
その“ちご餅”を包装していただいている間にショーケースを子細に覗き込む。ちご餅以外にも甘党の心根をいたくくすぐるおいしそうな京菓子が並んでいる。
そこで、いまは残念ながら製造が停止された“御所羊羹(銘菓和生菓子特殊銘柄品)”の代わりに“小倉羊羹”をひとつ求めた。これも18品目踏破を目論むわたしである、当然、それに少しでも肖(あやか)るお菓子だと勝手にわたしが決めて、注文したのである。
このようにして見境なくお菓子を購入し過ぎたため、実は、まだ小倉羊羹まで食すに至っていない。ということで、ここでは包装箱入りの写真を掲載する。
もちろん後日、小倉羊羹の生身写真は補遺することにする。
次にわたしの視線は小倉羊羹からちょっと右手にスパンして、あるお菓子を認めた。炎暑の夏に涼をもとめるかのような“京のせせらぎ”である。
色合いがまるで山間をめぐる清流のごとく目にも涼やかであったので、暑い京都でつい手が出たのは致し方のないところである。
本日、東京も36度という猛暑日。早速、“京のせせらぎ”で涼感を求めたという次第。
口にしたこの家伝の琥珀糖を使った干菓子がまたミントのかすかな香りがしたりまことに爽快な風味であり好ましい。
三条若狭屋は明治26(1893)年に初代の藤本茂弘氏が“本家若狭屋(江戸文化年間に創業、屋号・若狭屋は若狭高浜の出身による。戦後この本家は廃業)”から“若狭屋茂弘”として分家独立したのが始まりという。 その後屋号を“三條若狭屋”と改め、昭和21年に現在の場所に移転し、今日に至っている。現在の当主は四代目・藤本知靖氏である。
二条城前から歩いて6分ほどの至近にある三条若狭屋。祇園ちご餅はまさに京都の菓子、それにカフェもよし、お土産に日持ちが14日間という“京のせせらぎ”もお洒落でよし。
よいことずくめの三条若狭屋!! ぜひ一度、古風な佇まいの本店へ立ち寄って見られてはいかが。