金沢城の石川門を出て百間掘りを跨ぐアーチ状の石川橋をわたり切るとすぐに日本三名園のひとつ、兼六園の桂坂入口がある。

茶店から百間掘越しに石川門を望む
旧江戸町から百間堀を跨ぐ石川橋と石川門をみる
その受付の手前右手に百間掘りに沿って茶店が立ち並ぶ筋がある。

江戸町の跡に茶店がならぶ_LI
旧江戸町・お土産屋、飲食店がならぶ
そこは金沢の地でありながら、かつて江戸町と呼ばれていたところだそうで、加賀藩第二代藩主・利常の正室・珠姫(徳川秀忠の次女)が江戸から輿入れしてきた際の随従三百人の長屋が建っていたことに由来するという。

その江戸町にならぶ一軒の蕎麦屋に立ち寄り腹ごしらえをして受付へ向かうと、先ほどはまばらであった観光客が列をなして並んでいたのには少々驚いた。

兼六園入場券購入にならぶ観光客_LI
兼六園の券売所にならぶ観光客
コロナ感染が落ち着いてきた秋の好日である。人々は久しぶりに解放感を味わおうと押し掛けてきたのだろうと、納得!納得!

ところが入園してすぐに今度は池の手前の人だかりである。

ゝ軫灯籠の写真撮影にならぶ若者たち_LI
園内進入を塞ぐかのように列をなす人だかり
さすがにこの混雑が続くのであれば、園内を歩きまわるのは御免こうむりたいものと周囲の様子を仔細に観察したところ、どうも若いカップルや友達同士で石橋のうえで記念写真を撮ろうとそこだけにたむろしていることがわかった。

徽軫灯籠で記念写真を撮ろうと人だかり_LI (2)
対岸からもこの人だかり
そのフォトスポットに目をやると、兼六園と云うと映し出されるあの有名な二股の石灯籠があった。

その名を「徽軫(コトジ)灯籠」というそうで、お琴の弦を支える二股の琴柱(ことじ)に形状が似ていることから名付けられたのだそうだ。琴柱などという言葉すら聞いたこともなかったわたしである。

徽軫(コトジ)灯籠と霞ケ池
徽軫(ことじ)灯籠と霞が池
なるほど雅な名前に趣のある灯籠に違いはないが、何もここまで群がり寄って写真を撮りまくるほどのことかと、若人たちが思い思いにポーズをとるのを半ば呆れながら、半ば眩しい思いで眺めたものだ。

「若いという字は、苦しい字に似てるわ・・・♪」などと、と〜い昔に口ずさんでいた老人は“時”というものの無慈悲さと冷徹さを思い知らされたひと時でもあった。翻ってわたしの青春時代も時のご老人からは「“わかもの”は“ばかもの”という言葉に似てるわ」と思われていたのに違いないと首をすくめたところである。

兼六園の風物雪吊り
雪吊りを施された松が随所に
さて、11月ということで園内の松の枝々には円錐形に縄張りされた雪吊りが設えられていた。

兼六園といえば「雪吊り」というほどに、代表的な景観である。

この情景に積雪でも加われば、その風情は弥増しに増すのだろうが贅沢はいうまい。

今様のインスタ映えの景観がここにも、あそこにもと展がっていた。

霞ケ池
霞が池と対岸に雪吊りの唐崎の松
だから都度、立ち止まっては写真をパチリ。

細君は呆れ果てながらも先に歩いて景色をじっくり堪能しては、要所々々で立ち止まりわたしが追いつくのを辛抱強く待ってくれている。

それをいいことにわたしは性懲りもなくパシャリとデジカメを鳴らしては杖を握り直しコチョコチョと急ぎ足、といったことを繰り返す。いつも通りのわれわれの旅のお約束事である・・・とわたしは理解している・・・。

兼六園の土はさぞかしわたしの摺り足で、この一日で2cmは削り込まれたにちがいない。

辰巳用水
清流の流れる辰巳用水
それでもなお、またパチリ。

∪稍澆蠅汎本武尊像
日本武尊像と雪吊り
そして、また、パチリ。

唐崎松と雪吊り
銘木・唐崎の松
あぁ! 忙しい・・・

‥盧蠅両(2016.5.17)
近江八景・唐崎神社の本物の唐崎の松(2016.5.17)
そして、なんと兼六園にも“親知らず(子知らず)”があった。

⊃特里蕕
兼六園の親知らずをゆく細君
ここはわが夫婦にとっては“夫(つま)知らず”とでも命名すべき石畳ではあった。

さらに兼六園には虎もいた。

 虎石  兼六園を守護する魔除け石の一つ
虎石
そして雁も雁行していた。

雁行橋
雁行橋
想像以上に広い園内、斯様なまでにいたるところに巧みな意匠や遊び心があったのには驚いた。

こうして1時間半におよぶ散策を終え、タクシーで北國新聞赤羽ホールへと戻り、次に珠姫を偲ぶ天徳院へとマイカーを駆った。


天徳院は二代藩主利常が建立した正室・珠姫の菩提寺であるが、のちの寛文年間にその遺骨は利家以下前田一族が葬られている野田山墓地へと改葬されている。

その珠姫は3歳で江戸から嫁いできて三男五女をなし、二四歳という若さで亡くなった。江戸創世の混乱の時代、二代将軍の次女の立場にありながら前田家のために多くの子供を産み、家中の抗争のなか徳川家との融和をはかり、加賀百万石の繁栄の礎を築いたお姫様として加賀の人々にいま尚、愛されている人物なのだという。

⊆酩韻鮗鼎峪・天徳院 山門修復中
修復中の天徳院山門
その天徳院で威容を誇る元禄6年建築の山門は現在修復中とあって、覆いがかけられ残念ながら目にすることはできなかった。

廻廊から山門を見る 天徳院
本堂廻廊から山門を見る
そこで本来は山門をくぐりまっすぐに向かう本堂へ長い廻廊をめぐり入ることになった。

天徳院の長い廻廊
薄暗い廻廊を通り本堂へ
本堂内は撮影禁止ということで写真がないが、奥にからくり人形・「珠姫・天徳院物語」を上演する舞台が常設されていた。

天徳院の庭園
天徳院の日本庭園
毎日午前10時から2時間ごとに午後4時まで上演されるとのことだったが、当日は2時半過ぎに到着したため、午後4時の上演まで待つこともできず、お抹茶をいただき、庭園を散策させていただくことにとどまった。

∋殻腓鯒愀覆箸垢譴个気眸しかろうに・・・
山門が背景となればこの紅葉もより美しかろうに・・・
こののち野田山の前田家墓地を訪ねるのだと受付の男性に告げたところ、「そこまでお参りいただけますか」と、野田山墓地の苑内図を手渡された。

前田家墓地マップ 写真版 - コピー_LI
朱色:天徳院と利長(微妙院) 橙:利家とまつ
実はこの地図がないと、とても初めての人が前田家の墓所までたどり着くことは至難であることをのちに知った。

墓地に到着したのが午後四時頃で、園内の一本道を奥へ奥へと行った行き止まりに大きな門柱があった。そこから山上の方までが前田一族の墓所となっている。

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前田家墓所への石段
そこここが苔生した石段を登って行ったがなかなか墓所に辿り着かず、日も暮れ出したため墓所参拝は断念することとし、ホテルへの帰路についた。

当夜は金沢駅の金沢百番街の「香港飲茶の店 菜香楼」でおいしい中華をいただいた。たくさん食べた。おいしかった!!

香港飲茶の店・菜香楼
菜香楼
そして次の日から、いよいよわたしの旅の主目的である、継体天皇の伝誦の多く残る「越の国」の西域、福井県へと入ってゆくこととなる。