愛媛県西予市宇和町卯之町3丁目215番地
TEL:0894-62-0013
松屋旅館は江戸時代の街並みが残る卯之町(うのまち)の“中町通り”に面してある。
その主な建物は今を去ること二百余年前の文化元年(1804)に建築されている。
旅館正門に掲げられる“松屋旅館”と書かれた扁額も右横書きで、前を通る往還の情景をこの旅館が眺めてきた歴史の長さを感じさせる。
ここ卯之町は、江戸時代、宇和島藩唯一の宿場町として、また、四国霊場四十三番札所・明石(めいせき)寺の参道入口の地として賑わいを誇ったという。
格子戸、梲(うだつ)、半蔀(はじとみ)、出格子など古い景観を残すその街並みは2009年12月に重要伝統的建造物群保存(重伝建)地区に指定されている。
こうした伝統的情緒を残す一方で、この卯之町が幕末・維新の頃、文化的にも高い水準にあったことが、この地に足跡を残した文化人たちの顔ぶれを見ても明らかである。
シーボルトの門弟・二宮敬作(蘭学者・医学者)がシーボルト事件(1828年)に連座し、投獄後、故郷の八幡浜に近い卯之町に戻り、開業、シーボルトから請われその娘・楠本イネを日本初の女医(産婦人科)として養育・教育したのも当地である。
また、脱獄逃亡中のシーボルトの高弟・高野長英が鳴滝塾時代の学友である二宮敬作を頼り、同人住居の裏手に潜居していた住居が細い路地裏にひっそりと残されている。
斯様に、この小さな古い街並みは、幕末激動の時代の息遣いが今でもかすかに聴こえてくる、そんな錯覚を感じさせる落ち着きをもった静かな町なのである。
そのような地で、長年、旅籠を営んできた松屋旅館の宿泊者のなかにも、後藤新平、犬飼毅、浜口雄幸、若槻礼次郎、尾崎行雄などの政治家や前島密、新渡戸稲造など歴史に名をとどめた人物の名前を多数認めることが出来る。
その由緒ある文化財特別室に泊まってみたいと思ったのが、今回、卯之町を訪ねた動機であった。
当日、若女将の大氣真紀さんに案内された部屋は三つある特別室のうち“けやき”という客室であった。
一階に洋間と8畳の和室、二階が寝所となっていた。一人旅のわたしにはとても贅沢な空間である。
洋間手前に4畳ほどのエントランスにあたる板の間があるが、そこに足を踏み入れた瞬間、壁面に掲げられた額縁に目が留まった。その字体といい、時をじっくり浸潤させたかのような飴色の色調といい、飾らぬ装丁といい、自然流の時の流れを感じさせる味のある書である。
そして次の洋間、奥の8畳和室、二階の寝所と、各部屋に謂れのありそうな書が飾られている。
2007年には傷みがひどくなった特別室の改装、修復を行なったということで、部屋の佇まいも往時とは幾分、趣きを異にしているのだろう。洋間風の間などを設けたのも時代の流れのひとつと理解するしかない。
ただ、和風の洗面所両脇にある男女トイレも最新式のウォシュレットなどを設置し、清潔感にあふれ、現代の旅人にとってはやはりありがたいと言わざるを得ない。
さて、特別室の外の大浴場、といっても当日は私一人の貸し切りであったが、ひと風呂浴びて部屋へ戻ると、洋間のテーブルに一人きりの晩餐のお皿が待っていた。
今朝、魚市場に揚がったという新鮮な伊勢海老、天然鯛、太刀魚の刺身の盛合せが真っ先に目に飛び込んできた。
まぁ、何とも豪快ともいえる膳である。
こんなにたくさんの料理・・・、食べられるだろうか・・・と、やや尻込みをしていたわたしに、若女将が気持ちをほぐしてくれるかのように、“まず、お酒の方はいかがいたしましょうか”と言うではないか。
“ぬる燗のお勧めは?”と、訊ねると、
“うちの前の造り酒屋の開明はおいしいですよ”というので、それを頼む。
熟成純米酒・開明である。
若女将のお酌と話し相手で、お酒も食事も退屈することなくスイスイと順調過ぎるほどにすすむ。
当夜のご酒・“開明”を造る造り酒屋・ “元見屋酒店”の創業は幕末の安政5年(1859)である。
ここも寛政年間(1789-1801)に建てられた前蔵も残る古い建物であるが、老朽化がすすみ、2009年に白壁は応急修理を施したものの、予算の都合上、瓦葺はスレート葺きへと変えられてしまったという。
伝統的建造物は日本人全員で後世に伝えてゆくべきもの。その維持・補修など保存については、その住人の大きな負担とならぬ程度の公的扶助が必要だと感じたところである。
さて、さて、食事もぬる燗で天然の鯛の刺身を・・・
最高でした。そして、わたしは初めてだったのだが、“煎り酒”という江戸時代には食卓に欠かせぬ調味料であったという醤油もどきにつけて食べました。
右が煎り酒です
松屋の煎り酒は吟醸酒に梅干しを入れ、そこに鰹節などちょっと加えてコトコト煮詰めて作るのだそうです。
これが白身魚の刺身によく合うのである。当夜はほとんどお醤油をつけずに煎り酒を使用したほどに、素材の味にやさしく、その味を引き立てる控えめというか献身的な調味料であると実感した。
そして若女将が奨めてくれた鯛の皮。
こうして食するとコリコリ感もあり、一種の珍味のような贅沢品に変身。
人気のNHK朝ドラ・“ごちそうさん”の始末の料理の一端を経験させていただいた。
まぁ、変わった食べ方があるものだと感じたのが、太刀魚のねじり焼き。
それと紅葵のゼリー。これもさっぱりとしたヘルシーなもの。
これも太刀魚が大振りでないとできない料理法であると、豊かな南予の海に感謝した次第である。
あと、宇和島牛・・・
鱧の湯引き・・・・
・・・と、松屋旅館の大女将が漬ける松屋名物の漬物。
若女将が終始、そばに居ていただけて、卯之町の歴史やわたしの他愛ない話し相手になっていただき、食事もお酒も本当においしくいただけました。
真紀さん、本当にごちそうさまでした。
それから二階の寝所へ向かい、二百余年の月日の流れを眺め続けてきた大きな梁の下に敷かれたあったかいお布団に入り、心地よい眠りへと落ちていった“松屋旅館”の一夜でありました。
落ち着いた古い町並みにとけ込むようにしてたたずむ“松屋旅館”。
そしてその伝統を控えめに素朴に守っておられる若女将をはじめ松屋旅館の方々。
しっとりと来し方に思いを馳せてみたい方など、ぜひ、訪れられたらいかがでしょうか。
なんだか自分がすこしやさしい人間に変わったように思える、そんな素敵な旅館でした。