諏訪大社御柱祭の上社木落(きおと)しを見る(2010.4.7)
ザ・ババリアン・ペーター タテシナ―――グルメ蓼科編?
5月2日から4日の3日間、諏訪大社上社の御柱祭の里曳きと建て御柱があった。
2日は高部東の信号のところで、本宮一之柱、二之柱の里曳きを歩道の塀の上に座り、見物した。
3日は午前10時半に建て御柱見物に前宮へ出かけた。鳥居をくぐるともう、参道にはたくさんの人がいた。坂を登り始めると途中に、警察官が黄色いテープを引いて、「氏子以外の人はこれ以上、中へは入れません」と、観光客を制していた。ここから御柱が建つのは見えるのかと問うと、「人家が邪魔になり見えないと思う」という。
正面櫓の右手奥に前宮一之御柱が建つはず・・・
ぞくぞく押しかける見物客
仕方がないのでわれわれ家族は、本宮の方に向かった。本宮への御柱の曳行が続いており、その日に4本の柱が諏訪大社の境内に入ることになっている。翌日が本宮での建て御柱だ。
本宮の三之柱と二之柱の曳行を追い抜き、途中で休憩中の御柱に腰かけさせてもらい、記念撮影を行なう。当日はまさに五月晴れの絶好の里曳き日和であった。
表参道にひしめく曳き子や見物客
正面に本宮一のメドデコとその奥に大鳥居が見える
1日にバーバリアン・ペーターでいつものベーコンとアイスクリームを買い求めた際、今年に入って初めて坂本オーナーにお会いした。
「明日からの里曳きを見物に来た」と言うと、「本宮の表(東)参道の鳥居から150mほどに桟敷を用意している。よかったらどうぞ」と言われたので、すごい人混みではあったが運よく見つかればご挨拶だけでもと思い、本宮へ向かったのである。
そして本宮一之柱の曳行の最後尾のあたりで、右側に見慣れたペーターの旗印の模様を見つけた。鉄パイプで造作された二階の仮設桟敷に坂本氏がいた。
裏から階段を昇り桟敷内に入ると、坂本さんを知る人々がテーブルを囲み、祭りを楽しんでいた。もちろんレストランピーターのワインやペーターのソーセージ、それにお弁当が振る舞われた。正直、びっくりした。気分は一挙に自分も氏子になった気分で、祭りの雰囲気に馴染んでいった。
桟敷のパイプ越しに表参道を真下に眺め、右手先に青銅製の大鳥居が見える。その鳥居下のアーチ型の石橋に御柱が乗り上げ、鳥居をギリギリ潜り抜けるのが、里曳きの最後の大きな見せ場となる。
冷えたビールとおいしい弁当を食べている時に、柳平茅野市長が桟敷を訪れた。その後も坂本さんを慕う人たちがひっきりなしに桟敷に出入りし、にぎわった。
こっちは参道に面した席に陣取り本宮二之柱の里曳きを心行くまで堪能した。正面の桟敷では子ども木遣りがひっきりなしに、オンベを右手にかざし、木遣りを「鳴く」。右斜めには旧藩主の諏訪家の桟敷があった。ここが一等席であることがそのことでもよくわかった。坂本さん、感謝!感謝!
「山の神様、お願いだ〜」、「もう一息だでお願いだ〜」、「どうでもこうでもお願いだ〜」と、本木遣りの甲高い声が騒音を突き抜けて響きわたる。その声が曳き子の先頭まで届くと、それに合わせて参道の曳き子たちが「ヨイサ、ヨイサ」と一斉に掛け声をあげる。そして、太い曳き綱を思いっきり引っ張り、御柱は本宮へ一歩、また一歩と近づいてゆくのである。
参道一杯にひしめく曳き子やメドデコに乗ってオンベを振りかざす若衆たちのイナセな姿に祭りの気分は最高潮に達した。
メドデコが手を伸ばすと届く位置に来た時には、知らず知らずわたしも「ヨイサ!ヨイサ!」と、大声を挙げていた。
二之柱が過ぎて、坂本さんにお別れをし、本宮へ向かった。そして、境内の内から二之柱の大鳥居潜りを見た。一之柱の翌日の建て御柱の準備も、布橋の廻廊を抜けた塀重門の前辺りでゆっくりと眺めることが出来た。
本宮二の曳行終了で、曳き綱を相撲土俵の脇に置く
本宮一の御柱・樅の木
この先端が冠落しといって尖らされ、反対端が土に埋められる
長い伝統というものは、年齢や職業といった様々な日常生活の違いを超えて、同じ空気を吸う共同体といった一体感を、この熱病のような雰囲気の中で、自然に醸成してゆくのだと感じた時間であった。今回はあまりの人数と氏子以外の進入規制もあり、建て御柱を見る機会に恵まれなかったが、7年後の次は何とか建て御柱の見物ができるよう、健康にも留意し、用意を周到にしたいと思った。