彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

遊就館

遊就館展示記述の日米翻訳の相違3

遊就館展示記述の日米翻訳の相違

 2006年1月20日時点での靖国神社の遊就館での展示パネルにおける日米の説明文の相違について調べた時の具体例が出てきたので、ここに記録として掲載する。

 遊就館全景           菊の御紋        大村益次郎像を望む

遊就館前景

菊のご紋靖国神社大村益次郎

 

 

 

 

 

 

 遊就館入口          靖国神社拝殿         靖国神社石柱

遊就館

靖国神社3

靖国神社

 

 

 

 

 靖国神社遊就館大東亜戦争展示室の説明パネル(06.1.20

 

1.

アメリカの大戦参加を明確化

大不況下のアメリカ大統領に就任したルーズベルトは、三選されても復興しないアメリカ経済に苦慮していた。早くから大戦の勃発を予期していたルーズベルトは、昭和14年には、英米連合の対独参戦を決断していたが、米国民の反戦意志に行き詰まっていた。米国の戦争準備「勝利の計画」と英国・中国への軍事援助を、粛々と推進していたルーズベルトに残された道は、資源に乏しい日本を、禁輸で追い詰めて開戦を強要することであった。そして、参戦によってアメリカ経済は完全に復興した。

 

Roosevelt’s Strategy and U.S.

Entry into World War

When President Franklin D. Roosevelt first took office the .S. was in the throes of the Great Depression ; the economy still had not recovered when his third term began. Early on, Roosevelt had anticipated a major conflict. In 1939,he had resolved to join Great Britain in the war against Germany, but was hampered by American public opinion,which was strongly antiwar. The only option open to Roosevelt, who had been moving forward with his “Plan Victory” was to use embargoes to force resourcepoor japan into war. the .S. economy made a complete recovery once the Americans entered the war.

 

 

2.

1127

米国政府の対日外交終了

作戦準備命令発令

 

キンメル提督などの太平洋方面の陸・海軍司令官に「対日外交交渉終了と対日戦準備の部隊配備強化」としての戦争準備行動を発令

本急報を戦争警告とすべし。日本との交渉は終わり、日本の攻撃行動は数日中と予想される。WPL46で指定された防御展開を実施せよ

 

November 27:U.S. Government

breaks off  Negotiation with japanOrders issued to prepare for war

Orders are issued to Admiral Husband Kimmel and other Army and Navy commanders in the Pacific to prepare for war. The Japanese see little point in continuing with negotiations.

 

*日本語説明の    部の英訳は一切無し。

 

 

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二つの資料館が語る戦争の異なる実相――ひめゆりの塔を訪ねて(上)5

 

  ひめゆり慰霊碑

ひめゆり慰霊碑

   遊就館全景遊就館本館

平和祈念資料館より摩文仁の丘

平和祈念館より摩文仁の丘を

 

                       

  

 

 

 

 

 

323日、わたしは初めて沖縄の地を訪れた。そしてこの日が奇しくも62年前、米軍が那覇西方約25kmに浮かぶ慶良間(けらま)列島へ空襲と艦砲射撃を開始、沖縄本島への上陸作戦を本格的に始動させた日であったことをある資料館の展示で知ることになった。

 

1945323日から623日の沖縄陥落までの3ヶ月間におよぶあまりにも痛ましく凄惨を極める沖縄戦の火蓋が切って落とされた日にわたしが初めてその地に降り立ったことに、この旅の目的をその人々たちが知りそのように導いてくれたのではないかと感じ、それを知ったときには粛然たる気持ちになった。そして遠く62年前の「その日」に思いをはせた。

 

慶良間への米軍の攻撃が始まった23日深夜、沖縄本島の沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒222名と教師18人に、那覇市南部の南風原(はえばる)にある陸軍病院への動員命令が下された。

 

わたしは「ひめゆりの塔」という有名な映画を観たこともなく、「ひめゆり学徒」という学徒動員された女学生たちが戦禍に巻き込まれ尊い生命を数多く失った悲劇があったというくらいのことを知るのみであった。

 

そうしたわたしを沖縄に向かわせたのは昨夏に亡くなった敬愛するN氏(昭和7年生まれ)が、日本人として「ひめゆりの塔」には必ず行くべきであると生前、強く言われたことが、遺言としてわたしの頭に残っていたことが大きい。

 

N氏は、現役時代はビジネス界で冷徹な論客として知られた存在であったが、今にして想い帰すと、20007月に開催された九州・沖縄サミット直後に沖縄を訪ねられた際に「ひめゆりの塔」にも立ち寄り、祈念された。そのころからN氏は先の大戦についてそれまで以上に思索を深めていかれたように思えてならない。

 

亡くなる直前まで先の大戦の非道、戦争の悲惨さを語り継ぐのが自分の残された人生で行なうべきミッションであるとよく語るようになられたのもその後あたりからであった。そして現に亡くなる直前に掲載された某大手新聞のインタビューでも同趣旨のことを述べておられた。

 

そのN氏から一昨年11月であったが、靖国神社へ同行しないかと誘われた。境内に建てられている「遊就館」という資料館を見学し、そのなかで放映されているビデオを観る目的のためであった。「遊就館」は各国の大使や公使が着任するとその多くの人たちが訪れる場所であり、逆に日本人のほとんどの人がその展示内容を知らないと、ある外務省関係者から教えられたためであった。

 

そのときわたしは「遊就館」なるものが資料館の名前であることすら知らなかった。わたしが知っているのは、幼年時代に遊びに行った外に雨ざらしの状態で人間魚雷回天が置かれた木造の小さな資料館というよりも小屋と表現した方が適確な建物の印象しか記憶に残っていなかったのである。

 

その資料館「遊就館」の20室におよぶブースに並べられた展示物やパネルに目を通し一巡したあとで、新館2階のりっぱな映像ホール(収容人員70名余)で毎日6回上映されている「私たちは忘れない!」という50分におよぶビデオを観た。そのビデオを観終わったころには、先の戦争は止むを得なかったとの思いに駆られてくる。

この資料館では先の大戦のことをかたくなに「大東亜戦争」と呼称し、「大東亜戦争は自存自衛のいくさ」であり、戦争のやむなきに至ったのは「米大統領ルーズベルトの陰謀とも言われている」とも説明し、資料館の出口を出るころには大東亜戦争は止むを得ざる戦争であり日本人としては凛然として起ち上がった戦いであるとの思いにさせられてしまう、その情宣の巧みさには正直、驚きを隠せなかった。

 

 そのときの展示内容はアジア諸国に与えた日本の加害者としての立場の説明はまったくといってなされていなかった。そして「私たちは忘れない!」という自存自衛を声高に叫ぶ一方で、国に生命をささげた英霊を称える50分間のビデオの印象は、BGMに流されるX Japanの「エンドレスラブ」の曲とともに強烈に記憶に残るものであった。

 

 わたしは先の大戦で愛する人たちを想いそしてその大切な人を残して「お国のため」に命を失わざるをえなかった人々に対して心から哀悼の意を表する。それと同時にその人々の気高い心持ちと公の精神を軽んじる気持ちなどさらさらない。逆に今日の平和はこの方々たちの犠牲のうえに成り立っていることを忘れてはならないことは十分に分かっているつもりである。

 

 しかし尚武の精神を鼓舞するような遊就館という資料館を備える靖国神社とそこに合祀されている戦争指導者をそのことと、命を失った無辜(むこ)の人々を同列に扱うことはわたしにはできない。また先の大戦を「自存自衛の戦い」であったとして戦争を美化するような歴史観を有する組織を許容することなどなおさらできぬ相談である。

 

 各国の大使たちは「私たちは忘れない!」というビデオの存在を知ってか知らずしてか、「戦後50周年の終戦記念日にあたって」とのいわゆる「村山談話」をわが国の公式見解として国際政治上では受け入れ続けている。その談話では「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます」と述べられている。

 

 遊就館の展示表現については、昨年7月、米国のシーファー駐日大使やアーミテージ元国務副長官から公然と非難されるなどして、その展示内容の詳細が徐々に日本人のなかにも知られるようになってきた。そして内外の批判に配慮したのか、靖国神社は米国のみでなく中国関連の記述内容の一部変更を決めた。

 

しかし、戦争賛美ともとれる「私たちは忘れない!」という50分間におよぶビデオは、今もって上映が続けられている・・・。(下に続く


                                                                    

靖国神社遊就館の展示変更の姑息4

「靖国神社遊就館の展示変更の姑息」

 

 10月6日の毎日新聞朝刊に靖国神社の戦史博物館である遊就館の展示について、『米国から批判が出ていた第二次世界大戦の米国関係の記述を見直すことを決めた。10月中に修正文を作成し、年内をめどに展示を変更する。一方、中国や韓国などアジアの国々から「侵略戦争の認識が欠けており、アジアの独立を促したと正当化している」などと批判されている展示については、今のところ見直さない方針だ』との記事が出ていた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061006-00000016-mai-soci

 

靖国鳥居

          靖国拝殿

 

 

 

 

 

 

 

 具体的な記述は「ルーズベルト(米大統領)の大戦略/(不況下の)ルーズベルトに残された道は資源に乏しい日本を禁輸で追い詰めて開戦を強要することだった。(日本の)参戦によって米経済は完全に復興した」となっていたパネルの表示を、タイトルを「ルーズベルトとアメリカの大戦参加」と改め、「開戦の強要」「米経済の復興」の表現を削るほか、日本を侵略的と非難したルーズベルト演説を新たに盛り込むなど、米側に配慮した変更とするということだ。

 

 その一方で、「中国関係の記述も見直しを検討するのか」という質問に対して、神社側は「今のところ具体的な指摘がない」と回答したという。

 

 靖国神社の歴史観に対する姿勢・根拠が大きく問われる問題である。七月にシーファー駐日大使やアーミテージ元国務副長官に歴史観を公然と非難されると、「そうでございます」と、いとも簡単に歴史認識を変えてしまう。

 

 かれらの云う「大東亜戦争は自存自衛の戦いであった」という主張に大きな穴が空くことにならないか。その程度の歴史認識であのように麗々しい博物館を造ってしまう宗教法人が、その祀っているA級戦犯を分祀できないとする「神学教義」も、ついつい疑わしく見えてくる。これについては別途詳しく論じる予定である。

 

 この稿で言いたいことは、実は靖国神社は米国に対する展示の表示を変えれば事がすむことではないということである。遊就館には、ゼロ戦、満鉄の列車、人間魚雷回天など様々な陳列品が飾ってある。その広い館内の二階には百人ほどの観客を収容可能な映画館が存在する。

 

遊就館全景

遊就館入口

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこで「わたしたちは忘れない」という約50分間のビデオ映画が毎日上映されている。映画開始とともに桜吹雪が舞い乱れる美しい情景が、しばらく画面一杯に映し出され、カメラは一転、黒光りする板の間をなめるようにパンしてゆく。すると白袴を穿(は)いた男の足から徐々に上半身へとカメラの目が移っていく。精悍な顔つきの男性に固定されると、片膝立ての姿勢で「居合」を抜く。その瞬間、タイトルの「わたしたちは忘れない」が画面に現われ、バックに小泉前首相が大好きだと就任時に語ったXジャパンの「エンドレス・ラブ」の曲が流れる。館内は自然と粛然とした空気に支配されていく。

 

 その映画のナレーションはまさに北朝鮮の女性アナウンサーの甲高く昂揚したトーンで終始する。そして、実録映像と遺族インタビューなどを織り交ぜながら、「大東亜戦争は自存自衛のいくさ」であり、戦争突入は「ルーズベルト大統領の陰謀とも言われている」と解説する。

 

 シーファー駐日大使やアーミテージ元国務副長官も日本語のみで上映されるこのビデオは見ておられないのであろう。「大統領の陰謀」と云った言葉まで使い、「大東亜戦争」(靖国神社は第二次世界大戦、太平洋戦争とは呼ばない)を肯定し、そしてこのビデオにより尚武の精神を鼓舞しているように思えてならぬ内容・編集である。このビデオの語る歴史認識はわたしの眼から見て、決して公平、客観的ではない。

 

 わたしは自虐史観を持つ人間でも、左翼思想に親和性を持つ人間でもない。この日本の2千年におよぶ歴史に誇りを持つべきであると考えるいたって普通の市井人である。その人間が見て、この遊就館で毎日50分間上映され続けている「わたしたちは忘れない」で朗々と謳いあげられる歴史認識には、首を傾げざるを得ない。歴史認識を語るときは、事実は忠実に語り、その評価は謙虚であらねばならぬし、当然だができるだけ客観性を持つべきであると考える。

 

 その意味で、今回、靖国神社が行う表現の訂正が、歴史認識を変えるものなのか、それとも米国に言われた部分のみをちょっと修正して誤魔化せばすむと考えた姑息な対応なのかと考えてみたとき、わたしは「姑息なごまかし」と断じざるを得ないと考える。



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