要石はパワースポットたる奥宮をさらに右、すなわち南に折れてまっすぐ150mほど行った先にある。
鹿島の樹林がその一画だけぽっかりと小さく開けた処に、安永五年に献灯された石燈籠がある。
その西側の鳥居のなかに要石が鎮まっているのだが、脇に松尾芭蕉の句碑が立つ。
鳥居前に立ってみると、要石は思っていたより小さい。写真は脇から石柱内を撮ったものだが、よく見ないと要石ははっきりしない。
アップで撮ったものが次なる写真だが、1円玉の大きさと比較していただくと大体の大きさが分っていただけるのではなかろうか。
要石は直径30cm、高さ7cmほどの中央に少し人工の窪みをもった花崗岩であり、見た目には鳥居を配した仰々しさとは裏腹に、何の変哲もない丸くて薄っぺらな石である。
香取神宮の要石が凸型であるのに対しこちらは凹型である。経津主神と武甕槌神が協同で國譲りを果たしたことを象徴するように、2つの凹凸異なる性格がともに力を合わせることで、地震を抑え込む霊力を発揮するのだといった風にも見える。
そこで、駒札を読むと、
「神世の昔、香島の大神が座とされた万葉集にいう石の御座とも或は古代における大神奉斎の座位として磐座(いわくら)とも伝えられる霊石である。この石、地を掘るに従って大きさを加え、その極まる所しらずという。水戸黄門仁徳録に、7日7夜掘っても掘り切れずと書かれ、地震押えの伝説と相俟って著名である。信仰上からは、伊勢の神宮の本殿床下の心の御柱的存在である。」
とある。
何の変哲もないなどと評するのは失礼である。往古、この根深い石は磐座であったというのだから、民衆の信仰は尋常ではなかったのだろう。
その霊石、鹿島のパワースポットということもあって、この森深いところにある要石を訪れる人は後を絶たない。
霊石を少しでも近くから見たいと覗き込む人や、団体でにぎやかに見物する人など、いろいろな人がいる。
でも、やはり、この霊地において奥宮で見かけた光景と同様に、敬虔に祈りをささげる人がいた。
その姿は実に美しい。
ふと、頭上を見上げると、春の陽光がまさにその祈る人目がけて確かに降り注いでいるように見えたのである。
まるで、神が憑代(よりしろ)をめざして舞い降りてくるように・・・