彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

蘆山寺の御土居

佐々木蔵ノ介・ハンチョウの蔵元、佐々木酒造に御礼=京都グルメ

6月30日の“鶴瓶の家族に乾杯”で佐々木蔵ノ介が茨城県石岡市の造り酒屋を訪問していた。現在、上映中の超高速参勤交代の舞台となる街道筋の宿場町を訪ねてみたいというのが訪問の契機ということであった。

1・超高速参勤交代
くだらねぇ〜!! でも超!面白かった!!

そこで、佐々木蔵ノ介が実家と同業の造り酒屋を訪ね、蔵の中を見学。蔵主との何気ない会話のなかで日本酒への造詣の深さが何気なく語られ、そうだ、彼の実家、佐々木酒造のアップを忘れていたと、本日、こうして京都の旅の写真フォルダから引っ張り出してここに掲載する次第である。


訪問日は2011年6月13日、TBSドラマ・“ハンチョウ〜神南署安積班〜のシリーズ#4が放映中の最中であった(シリーズ#5から“ハンチョウ〜警視庁安積班〜)。


さて、16世紀頃の京都市街の景観や風俗を描いた“洛中洛外図”という屏風はあまりにも有名である。正確な名前は言えずともその屏風絵を目にすれば、あぁ、この絵かと誰しも頷(うなず)くはずである。


そこで、“洛中洛外”とは一体何を意味するのか?


この佐々木酒造を紹介するには、そこから話を進めてゆかねばならない。
なぜなら、現在、洛中で唯一、酒蔵を営んでいる蔵元が、ほかならぬ佐々木酒造であるからである。

2・佐々木酒造正面
佐々木酒造・正面

豊臣秀吉は“御土居”といわれる土塁で京の町全体をぐるりと囲撓(いにょう)した。そして御土居の内側を洛中、外側を洛外と区分、御土居の数か所に関所を設け洛外から洛中へ入る者を検分したという。

3・北野天満宮・御土居説明板
北野天満宮の御土居案内

その意味でいう洛中は現在の京都市内中心部と比較しても、相当に狭い範囲を指すことが分る。東西が鴨川の西側から北野天満宮辺りまで、南北が京都駅から大宮交通公園へ辺りまでの南北に細長い地域となっている。

4・北野天満宮・御土居の上部 5・蘆山寺墓地内にある”史蹟御土居”
左:北野天満宮の御土居の上部  右:蘆山寺の御土居跡

その狭い、京都のいわゆる中心部で蔵元として日本酒を造り続けているのが、この佐々木酒造一軒ということになる。


余談であるが、今に名前が残る鞍馬口や粟田口、丹波口といった“口”のつく地名は関所のあった名残であるという。


さて、佐々木酒造はここ良質な湧き水が豊かな上京の地で明治26年(1893)に創業、120年の歴史を有する、現在では、先述の洛中における唯一の蔵元・造り酒屋となっている。


いまでは京都のお酒といえば“伏見”と相場が決まっているが、室町時代中期にはこの洛中の地下水の良い処に300軒を超える蔵元が建っていた(佐々木酒造について・佐々木晃社長)のだそうで、京都の造り酒屋の起源は洛中にあったということである。


その由緒正しき場所・洛中に残るただ一つの蔵元“佐々木酒造”は二条城の北側にあり、当日は千本釈迦堂へお参りする途中にお寄りしたという次第。


丸太町通を日暮通へ上がると、茶色の杉玉が店頭に下がる懐かしい商店造りの二階建ての佐々木酒造が見える。

6・佐々木酒造
佐々木酒造

店舗の脇、手前に日本酒を造る大きな蔵が併設されている。この時代、よくぞ京都のど真ん中に造り酒屋の蔵が現存しているなと感心したというより、ちょっとした感動を覚えたのを思い出した。

洛中唯一の蔵元・佐々木酒造
右手が店舗入口

早速、店内に入る。こじんまりしたお店である。入って正面に“ハンチョウ”のポスターが貼ってあった。

7・ハンチョウのポスターが貼られた店内

右手コーナーに佐々木酒造の代表銘柄の“古都”をはじめ純米大吟醸の“聚楽第”など豊富な銘柄が取り揃えられていた。

8・たくさんの銘柄があります

その “古都”のラベルの文字は、同名の小説を物し、「この酒の風味こそ京都の味」と愛飲された川端康成の揮毫によるものである。


そうした古都京都に所縁のある佐々木酒造のお酒を、旅先でもあり、荷物にあまりならないようにと夏季限定のセットと放映中のみの限定販売の“ハンチョウ”を購入した。


そして帰京後、早速、封を開け、以下の銘柄をおいしくいただいたというわけである。


特別純米・“西陣”と蔵出し原酒・“呑切り”である。

9・特別純米酒”西陣”     蔵出原酒”古都”の”呑切り”

シュワーっと爽やかな純米吟醸原酒の“夏方(なつざま)”

10・”古都”の純米吟醸・生貯蔵酒”夏方(なつざま)”

そして、娘が大ファンのTVドラマ“ハンチョウ〜警視庁安積班〜”に因んだ特別純米酒“ハンチョウ”である。

11・神南署安積班の刻印のある”ハンチョウ”

帰ってから判ったのだが、この銘柄は“ハンチョウ”が放映されている期間だけの限定販売で超レアものであったといってよい。


そんなことはもちろん知らずに訪ねたのだが、娘への土産といってもお酒を嗜むわけではないが、土産話にと思い買って帰った。


案の定、娘には大うけに受けて、早く飲んで頂戴と日頃にない“飲酒慫慂令”が出されて700mlの中瓶はあっという間に空瓶と化したのである。


そして、その空き瓶はきれいに洗浄され、現在、娘の机の上に麗麗しく鎮座している。

12・佐々木酒造”ハンチョウ”

グループホームの生活が楽し過ぎてなかなかこちらへ帰って来てくれない娘に、実家の良さを再認識させるに当り多大な貢献を戴いている佐々木酒造さんにこの場をお借りして御礼申し上げて、この稿を閉じることとする。



源氏物語執筆の地、蘆山寺(ろざんじ)の桔梗は三分咲き、満開は7月中旬!

山門

蘆山寺薬医門・上京区寺町広小路上る


この前、蘆山寺を訪れたのは、二年前の6月12日であった。源氏庭いっぱいの桔梗を期待していたところ、一輪の花も咲いていず、落胆したものである。

一輪も咲いてませんでした
2011年6月12日。一輪の桔梗も見えなかった

此の度は6月26日。二週間遅いので、捲土重来を期しての再訪である。

が、当日は雨。梅雨だもんね、仕方はない。

蘆山寺の広縁に出て、源氏庭を見た。

うん?

黴雨に濡れる源氏庭

目を凝らす・・・、咲いている。桔梗が咲いている。

雨滴と桔梗
雨滴をおく桔梗

でも、白い敷き砂利に緑色がすっくと立つが、紫色は少ない。

二分咲きかな

源氏雲文様に造られた杉苔の地が黴雨に濡れ、緑が浮き立つようで、ことのほか美しい。

黴雨に映える杉苔

観覧終了時を過ぎて、見学者もなくなった静謐のひと時・・・



翌日、新島襄旧宅の見学を終えて、昼食までに時間が残ったので、歩いて15分ほどにある蘆山寺を再訪することにした。

山門より
薬医門より

一日違えば桔梗の数も・・・、そして晴れた日差しのなかの桔梗も美しかろうと思ったのである。

本堂玄関
本堂玄関

ひと夜にして満開になろうはずはない。自然のごく自然な摂理である。

まだ三分咲きの源氏庭
う〜ん・・・

桔梗は贔屓目に見て三分咲き。

桔梗、咲いています
咲くところには咲いていますよ

でも、梅雨の合間の日差しに源氏庭はやはり映える。

源氏庭
源氏庭

源氏物語絵巻の雲の意匠から名づいた“源氏雲”の文様にあしらわれた杉苔と白石のコントラストがこの庭の清楚さを際立たせる。

源氏雲に桔梗

桔梗も日差しの関係だろうか、幾輪も咲かせる株もところどころに見える。

御黒戸隅から

また、そこに数輪だけ小さい花をつける桔梗も、凛としたたたずまいで好もしい。

凛と咲く桔梗

庭の南西に位置する“紫式部邸宅跡(考証した歴史学者・角田文衛)”と揮毫(言語学者・新村出)された石碑も桔梗のなかに馴染んで落ち着いている。

紫式部邸宅跡揮毫の石碑
紫式部邸宅跡と比定する石碑

見学者もまばらなこの日。ひとり、黙然と、庭を眺める。

本堂・内廊下
本堂・内廊下

ここで、紫式部は源氏物語を千年前に執筆したのだ・・・

蕾と花

この地で、紫式部は娘の時代、結婚してからも過ごし、息をしていたのだ・・・

桔梗と楓

光源氏って、藤原道長・・・、源融・・・、なんて想いをめぐらす・・・

桔梗がチラホラ咲いている

現代を紫式部が見て、なんと思い、そしてどのような男と女の物語を紡ぎだすのだろうか・・・

色模様

蘆山寺はひとり時間があるときに、夢想、妄想、空想にふけるときに訪ねるのが良いと感じたひと時であった。

蘆山寺の桔梗の満開は7月中旬あたりとのことである。

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