脳卒中は恐ろしい
脳卒中は恐ろしい!誰も罹りたくないと思っている。しかし、それは突然、襲ってくる。この私もそうだった。丁度五年前の三月の小糠雨の降る夕方、悪魔が舞い降りてきた。 最初、左手に軽い痺れを感じ、そして立ち上がって歩こうとすると、頭がぼ〜っとして雲の上を歩くようである。幸い、社内診療所があったため、念のため医師を訪ねた。それが私の命を救った。
医師の前で私は本格的な脳出血に襲われた。直ぐに上下肢に痺れが出て、次に全く知覚を失った。目の前で医師が筆で私の左頬や左手の甲を触るのが見えるのだが、全く知覚がない。完全に私の左半身は沈黙してしまった。救急車が来る間に、医師が緊急処置として血圧降下のために注射をした。ぼ〜っとしたなかで、記憶が残っている。この処置が生命を救い、障害を抑えた最大の要因と思っている。こうした時の初期動作がどれだけ大事かを身を持って体験した。
救急車で、都内の大学病院に運び込まれた。救急室でCTを撮られ、ICUで治療が開始された。出血個所が手術のできぬ場所であったため、治療は血圧降下剤の点滴投与が主体であった。これは、後に聞いた話である。二十四時間は再出血の危険と出血個所が広がらぬことを家族は祈るばかりであったと云う。関係者を呼べとの医師の話で、家族は緊張した一夜を過ごした。 幸い、私は再出血もなく生き延びた。
生き延びた要因は色々考えられるが、一番は痺れを感じた時に、直ぐに医師の元に向ったこと(救急車でも良い)である。これは自分の両親が血管系の病気で他界していたため、自分も同じ体質であり、死ぬ時は脳に関係する病であると感じていたため、痺れイコール脳障害と咄嗟に発想したことが大きいと思う。これが神経系の病気と云う風にもし考えていたら、後日に医者に行けば良いと考え、初期動作が大きく異なっていたはずである。変な話、その突発的な病気のブレーンストーミングを自分の頭のなかでそれまで何度もやっていたことが、実際の事態が勃発したときに冷静に対処できた原因であったと思う。 それから、これだけはどう覚悟し、準備しようが神のみぞ知るであるが、出血なり梗塞の場所が致命的な部位であるか否か。こればかりは今の人智では如何ともしがたい。私は視床という場所(眉間の奥)であったが、僅かに致命的な場所をずれていたため助かった。一月の神経内科での治療。そして二ヶ月半に及ぶリハビリセンターでの治療。五年経って今、自分はこうしてパソコンに向かいブログを書き、そして杖を使うが出社もしている。この間の軌跡を少しでも同病の人々の為になればと思い、書き綴って行きたいと思う。