彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

脳卒中

脳卒中へのカウントダウン5

脳卒中へのカウントダウン

掘デ沼潅罅△修了(2001年3月1日午後5時)

,修了

 その日は日がな小糠雨の降る寒い日であった。連日、仕事上の夜の付き合いが入っており、発症前日も午前様の帰宅であった。翌日は午前10時に重要な会議が入っていた。

 発症当日、午後4時に近くの取引先で、ある人物との面会があった。その話の途中(4時半頃)で、その人物の声が遠くからボーッと聴こえ始めた。その時、軽い出血が始まったのだろう。そのときは吐き気や頭痛はまったくなかったが、今までとは何か異なる、自分の存在が遠くにあるような奇妙な気分に捉われたことを覚えている。魂だけが遊離しているようなとでも表現したらよいのだろうか。そんな状態だったので、早めに話は切り上げることにして歩いて帰路についた。

 幸い数分の距離であったので、結果的に大事はなかったが、どこか雲の上を歩いているようなポワーンとした状態であったと思う。のちに同期の人物から会社の通用門ですれ違ったときのわたしの表情について話があった。目礼をしたのだが、わたしが返礼するどころか見向きもせず、顔が真っ青であったという。ずいぶんと忙しそうだし、また難題が降りかかっているのだろうと思ったとのことであった。わたしは退院したのちにそう云われたが、その時は彼に会った記憶はまったくないのである。足元を見つめて歩くだけで多分、必死の状態であったのだと思う。

 一旦、部屋へ戻り、午後5時ころであったが、明日が大事な日であったので、体調も考え、早目に帰宅しようと考えた。その時、ふと、社内の診療所の所長の顔が思い浮かんだ。念のため電話を入れてみた。所長は在室であった。わたしのフロアーは10階である。診療所は6階にある。エレベーターで向かった。

 エレベーターを降りて歩きだそうとした時、足を動かすのが難しくなっていた。右手で廊下の壁を支えにしてゆっくりとゆっくりと足を運んだ。それが精一杯であった。ただ、その時も頭痛や吐き気は一切、なかった。所長室に入り、ソファーに座った。

 所長にひと言、「調子が悪い。頭かも知れぬ。歩くのも大変」と云った。所長が前面に座り、筆でわたしの顔や手の甲をなでた。「感覚があるか」と、問うた。

 頬を撫でられて「ある」と答えたところで、頭上から左顔面にザ〜ッと何かを浴びせられたような、何とも云えぬ気分になった。筆が顔を撫でているのが自分の目で確認できる。右頬はくすぐったい。左頬は筆先が当たっているのに感覚がない。

 「ない!」

 突然ではなかった。感覚が失われるまでにたぶん、1,2分は経過したはずである。サドゥンデスではなかった。最初は少しは触られているのが分かったのだから。それは不思議な感じ、いや光景であった。

 そうその時の感覚は、左顔面上部からザ〜ッと血が流れるというより、顔全体に御簾がかかってくるような気がした。その時、本格的な出血が始まったのだと思う。所長が毛筆と金槌で左顔面、左手、左足に触れるが、ものの2、3分もかからずに感覚はなくなった。わたしの左半身が沈黙してしまった瞬間であった。

 

Г砲弔鼎

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脳疾患治療の実力病院―日経病院ランキング

「リハビリ制度改革の患者置き去りの愚行」5

「リハビリ制度改革の患者置き去りの愚行」

 

 この四月の診療報酬改定で、リハビリ医療界に激震が走っている。医療機関で保険診療を受診できるリハビリ日数に以下のような制限が設けられたのである。

 

脳血管疾患

脳腫瘍・脳外傷・脳卒中・脊髄損傷など

180

運動器

手足の重い外傷・骨折後の手術、切断・運動器

の不安定症など

150

呼吸器

肺炎、無気肺、肺梗塞開胸手術後など

90

心大血管疾患

急性心筋梗塞・狭心症・冠動脈バイパス手術など

150

 

 一方で、一日当たりの訓練時間は1時間20分から2時間に拡大された。早期リハビリが機能回復の効果が高いとの知見から、早期の集中的リハビリを可能とすることが目的といわれる。

 

 早期治療が目的であれば、一日当たりの診療時間を、米国の臨床実験で最も効果が高いといわれる3時間/日に延長すれば事足りる。厚労省は期限を設けた理由として、「これまで効果が明確でないリハビリが長期間続けられるケースが多くあった」を挙げている。これは、ある側面は役所の言うとおりの実態が医療現場にあるといってよく、その理由の一面には肯くところはある。しかし、リハビリをどれだけの期間必要とするかは、患者によって、それこそまちまちである。そのことを賢いお役人が知らぬはずはない。

 

 厚労省のいう「長期間続けるケース」は、町医者的な整形外科院で長々と続けられている赤外線治療や温湿布治療などをいっているのだと思う。通常、街の整形外科院にリハビリの専門の理学療法士や作業療法士を常時、配置しているケースは、コスト面からそれこそ少ないのである。リハビリに素人の医療従事者が、患者の気休めに漫然と赤外線治療などを施し続け、医療報酬を貪(むさぼ)っている実態を厚労省は、指弾し、止めさせたいのである。

 

 そのこと自体、医療財政の赤字が年々、増大する状況に鑑みれば、やむを得ぬことではある。要は、本来リハビリ治療の継続を必要とする患者に専門的な療法士の指導を受けさせるために、医療費の無駄遣いとの兼ね合いの中で、どうバランスをとるかということなのである。厚労省のこの施策により、リハビリ医療の現場には、結果として何が起こっているか。

 

 何のことはない、専門のPTOTを指導できる大病院や専門医療機関から溢れ出た患者は、療法士のいない街の整形外科へ止むを得ず通院することを余儀なくされているのである。町の整形外科院は、一人当たりの診療時間には制限がかかったが、受診者数が増えることによって、逆にリハビリの診療報酬は増加しているというのが予想される実態である。財政的には全く逆の効果が出てくる危険性がある。そして、最も大切なことだが、専門治療を必要とされるリハビリ患者が、最大限の機能回復に至るまでの期間、熟練の理学療法士なり作業療法士からの訓練指導が受けれなくなってしまったことに、今回の制度改革は一体、何のために、誰のために行なわれたのかと言いたいのである。

 

 ほくそえんでいるのは、日本医師会傘下の専門の療法士を配備せぬ整形外科病院なのではないか。そして、絶望と不安のなかに放り込まれたのが、脳梗塞などで引き続き長期の専門リハビリを必要とする患者たちなのである。

 

 即刻、リハビリ制度の見直しに手をつけるべきである。歩くことのできぬ、箸を持つことのできぬ患者たちは、泣いているのである。

 

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リハビリテーション医療の打ち切りに反対する署名活動

http://www.craseed.net/

 

脳から見たリハビリ治療―脳卒中の麻痺を治す新しいリハビリの考え方

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患者がしゃべる脳出血へのカウントダウン5

患者がしゃべる脳出血へのカウントダウン

 

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 わたしの酒量と喫煙量は日増しに増えていった。それと反比例で睡眠時間が短縮されていった。そして、今から考えれば一番、大切であった食生活つまり、塩分の規制については、逆にどんどん塩辛いものへの嗜好が強まっていた。

 

 高血圧の改善に最も即効性があるのは、血液中のナトリウムの量を少なくすることである。逆にいえば、腎臓のナトリウム排泄機能を超えて、血液中の塩分量が増えると血圧が上がる。血中に塩分が増えれば、塩分濃度を一定に保持しようと血液中の(本来排泄されるべき)水分も保全され、その結果、体液量が増加する。その大量の体液を体内中に運ぶためには、ポンプ役の心臓は必死にその血液を押し出す圧力を上げなければならない。つまり、血圧を上げざるをえないのである。

 

 このメカニズムを、倒れる前に詳しく知っていたら、もう少し対応は変わっていたかもしれない・・・、と思って見たりするが、まぁ、生活習慣は恐らく変わらなかったのであろう。「健康のありがたみは失くしてみて、初めてその価値がわかる」という名言があるくらいだから、凡人のわたしがいくら塩分濃度のカラクリを知ったからといって、生活態度や食生活のスタイルを根本から変えるなどということはなかったであろう。

 

 本当に病気というものを回避するのは難しい。わかっていても、病気の真実の姿、つまりどれだけ己の生活が制約を受けるかが、実感でき難いところに、健康の維持に対する努力の方が本当は格段に己の人生に対する負担は軽いことが、この愚かな人間にはわからないのであろう。

 

 年齢が50歳にあと2ヶ月という日に、わたしは脳出血に見舞われた。

 

その悲劇の日に向かって、わたしの体は徐々に悲鳴を上げていったのである。そして、その体の発する悲痛な叫び声にわたしは真摯に耳を傾けることをしなかった。悲劇の日まで2、3年の頃、想起すればすでに脳卒中の前兆は確かにあったのである。悪魔の囁きではなく、天使の囁き、いや嘆きの声がわたしの耳には届けられていたのである。

 

患者がしゃべる脳出血へのカウントダウン5

患者がしゃべる脳出血へのカウントダウン

 

,砲發匹

 

 わたしは、30歳代後半あたりの健康診断で、初めて血圧が高めであると医者から注意を喚起された。それまでの血圧は、確か110(収縮期)−70(拡張期)くらいで、血圧自体を意識したことはなかった。だから、医者から言われた時、ちょっと驚いたのを覚えている。まだ高いといっても当時は、135−90といった程度であったと思うが、下の方の数値、つまり拡張期の血圧が高いといわれたのを覚えている。

 

 現在の高血圧症の定義は20035月に米国の高血圧治療ガイドラインとも言える、『高血圧の予防,発見,診断,治療に関する米国合同委員会の第7次報告』いわゆるJNC7」が発表され、見直しがなされた。従来よりもその数値基準は厳しくなり、具体的数値(JNC7」基準)をあげると、正常血圧は最高血圧が120mmHg未満、かつ最低血圧が80mmHg未満(日本高血圧学会基準 130−85)。120〜139/80〜89mmHgは高血圧前状態と定義された。ステージ1(軽症)の高血圧は140以上(収縮期)または90以上(拡張期)となった。(軽症の高血圧基準は日米同数値の基準となった)

 

因みにわたしが、医者から注意を喚起された10数年前には、正常値であったものが、この基準で言うと、わたしは高血圧前状態というジャンルにあったというより、拡張期血圧がステージ1にあり、まさにわたしは当時、すでに高血圧症であったわけである。

 

ただ、30歳代後半のわたしは、そうした医者の声に対し、まったく聞く耳を持たなかった。若い頃から病気もせず健康一筋で来た並々ならぬ自信が、「高血圧」という病の恐ろしさなど意にも介せず、鼻先でせせら笑わせたのである。

そういえば、その時医者は「運動をして体重を減らせ」「酒を控えろ」、そして「塩を控えろ」とも注意していたが、こちらは上の空の生返事であった。いやぁ、度し難い健康に対する「驕慢さ」であった。穴があったら入りたいとはこのことを言うのだろう。

 

傲慢なわたしも、一度くらいは「塩分控えめ運動」を展開した。しかし、それも一週間ともたなかった。塩を振らない焼き魚にレモン汁をかけて食うなど、日本男児たるものそこまでして、「命にこだわるのか」と、すぐにその虚弱な努力は頓挫してしまった。要すれば、濃い塩分に馴れた舌には、レモン如きでは無臭といおうか、味が感じられなかったのである。いま思い起こすと、当然のことながらあの減塩療法をずっと続けていればと、後悔仕切りである。

 

そして、その後、徐々に責任ある仕事を任され、夜昼なく猛烈に仕事と遊びに熱中していく。当然、酒もすすむ。帰宅も遅くなる。その間、体は加齢とともに徐々に抵抗力を弱めていっていた。一方で、健康面では体に悪いことが重なっていく。当時は喫煙もしており(一日3箱位)、絵に書いたような不養生な生活を送っていたのである。徐々に病魔の暗黒の眼がわたしを睨みつけ出していたのである。まだ、血圧とちょっとした肥満以外にどこといって異常のないわたしに、病魔の視線を感じることなどできなかったし、「摂生」などという言葉はまったく無縁のものであった。

日経新聞 患者の目3

4.リハビリのトリプルA

(三月二十六日日曜日掲載)

 

一般的にリハビリと云うと「痛い」「辛い」との反応が返ってくるが、訓練室の光景を見ると、ある患者は床に引かれた線上をひたすら真っ直ぐ歩くことに専念し、また別の患者は椅子に坐り上半身を垂直に維持することに精神を集中する、そして私はマットの上を赤ん坊のハイハイで徘徊する。また靭帯を切った患者が絵に描いたような筋トレで額に汗し痛みに顔を歪める姿も見える。ことほど左様に患者個々の障害で訓練メニューは千差万別で、他と異なるからといって焦る必要などない。

 

また患者はリハビリ期間中、様々な不安に襲われる。転院間もない頃、病室で体が硬直していく恐怖を覚えた。実際にそんなことはあり得ぬのだが、一種のパニックに陥ったのだろう、そこでOTの先生に来ていただいた。理由を述べ不安を口にした。先生は肩を揉み解しながら「全く、問題ない」と応えは明快である。何も慌てることなどなかったのである。緊張は淡雪のように融けた。患者は嗅覚で自分を救う人間を判断する。小さな言動であっても信頼が大きなリハビリに繋がると知った瞬間である。

 

ただ、患者の気持ちは当然、早く歩けるように、箸が使えるようにと焦慮に苛まれる。殊に手作業訓練のOTは微細な動きの機能回復であるため、その進捗が見えにくく、患者にとっても辛い時間である。当初は細かい指の動きや腕の回転がロボコップのようにぎこちなく、情けない気持ちに頻繁に襲われた。当時は相当程度障害は解消されると信じていたが、やはり脳神経の毀損からくる後遺症はどうしても後を引く。五年経った今でもそのぎこちなさがかなり残っている。日常生活の中でも遅々として進まぬ機能回復に、脳卒中と云う病気の怖さを再認識させられるとともに、その障害が徐々に固定化されていくことを心で納得することは虚しく切ない。しかし、正面から自分の心と向き合い諦めずに前向きに生きて行く大切さも周りで応援してくれる人々から学んだ。そして「焦らず、慌てず、諦めず」がリハビリのトリプルAであると知った。



日経新聞 患者の目3

2.心のリハビリが第一歩

(日経新聞三月十二日日曜日掲載)

 

発病後二週間余で左の指や足が僅かに蠢動を始めた。発病後暫くは医療スタッフの往訪、各種検査、見舞い客への対応等患者の時間は意外なほど忙しく、じっくり病と向き合う余裕はない。脳の浮腫が収まり病状が落着くにつれ本当の障害、恐怖が姿を現す。言語不明瞭による意思伝達のもどかしさ、ベッドの上での仕儀ない排泄行為等人間の羞恥心、尊厳そのものが無惨に砕け散る。その一方で思考能力は残酷にも平常の状態に復し、半身不随の身で家族が養えるのか等将来への不安がむっくりと鎌首を擡げてくる。神経内科での四週間の治療が過ぎた三月下旬、「治療は終了、後はリハビリ」と修善寺のリハビリセンターへ転院となった。医師にとっては「命は救った、次はリハビリ」と医療行為の日常的なひとコマであろう。しかし、患者は精神的に打ちのめされ、未だ不安定な心理状態にある。想起すれば、私もその頃が一番落ち込んでいた時期に当る。

 

そしてリハセンターの初日、「今から全て自分でやるように。全てがリハビリ」との突然の説明に患者は目を白黒させることになる。昨日までは「移動は全て看護士の介助を」と厳命されていた。医療科目は縦割りだが、患者は感情を持つ連続した一つの生き物である。血圧は?等精神的不安の中、復帰へ一歩を踏み出す際に、医療に血の通う連続性があれば患者はどれだけ慰められ勇気づけられることか、今しみじみそう思う。

 

それからいよいよ本格的なリハビリに入るが、患者は十人十色。未だ心は立ち直らず、みじめな現実と正面から向き合えない、肢体を動かせない事実を認めたくない人々が沢山いる。こうした中で医療の世界では、「さぁリハビリだ!」となる。如何に技術が優れていても、患者が虚ろな気持ちのままではその習得は難しい。そこに復活へ向けた強い意志が感じられないからである。患者の心の声に耳を澄ましその病理の森に分け入り、まずその不安の森から患者を引き摺り出して欲しい。心のリハビリが真にリハビリの第一歩であると考える由縁である。



 

脳卒中を克服しよう5

 脳卒中は恐ろしい

 脳卒中は恐ろしい!誰も罹りたくないと思っている。しかし、それは突然、襲ってくる。この私もそうだった。丁度五年前の三月の小糠雨の降る夕方、悪魔が舞い降りてきた。  最初、左手に軽い痺れを感じ、そして立ち上がって歩こうとすると、頭がぼ〜っとして雲の上を歩くようである。幸い、社内診療所があったため、念のため医師を訪ねた。それが私の命を救った。

 医師の前で私は本格的な脳出血に襲われた。直ぐに上下肢に痺れが出て、次に全く知覚を失った。目の前で医師が筆で私の左頬や左手の甲を触るのが見えるのだが、全く知覚がない。完全に私の左半身は沈黙してしまった。救急車が来る間に、医師が緊急処置として血圧降下のために注射をした。ぼ〜っとしたなかで、記憶が残っている。この処置が生命を救い、障害を抑えた最大の要因と思っている。こうした時の初期動作がどれだけ大事かを身を持って体験した。

 救急車で、都内の大学病院に運び込まれた。救急室でCTを撮られ、ICUで治療が開始された。出血個所が手術のできぬ場所であったため、治療は血圧降下剤の点滴投与が主体であった。これは、後に聞いた話である。二十四時間は再出血の危険と出血個所が広がらぬことを家族は祈るばかりであったと云う。関係者を呼べとの医師の話で、家族は緊張した一夜を過ごした。  幸い、私は再出血もなく生き延びた。

 生き延びた要因は色々考えられるが、一番は痺れを感じた時に、直ぐに医師の元に向ったこと(救急車でも良い)である。これは自分の両親が血管系の病気で他界していたため、自分も同じ体質であり、死ぬ時は脳に関係する病であると感じていたため、痺れイコール脳障害と咄嗟に発想したことが大きいと思う。これが神経系の病気と云う風にもし考えていたら、後日に医者に行けば良いと考え、初期動作が大きく異なっていたはずである。変な話、その突発的な病気のブレーンストーミングを自分の頭のなかでそれまで何度もやっていたことが、実際の事態が勃発したときに冷静に対処できた原因であったと思う。 それから、これだけはどう覚悟し、準備しようが神のみぞ知るであるが、出血なり梗塞の場所が致命的な部位であるか否か。こればかりは今の人智では如何ともしがたい。私は視床という場所(眉間の奥)であったが、僅かに致命的な場所をずれていたため助かった。一月の神経内科での治療。そして二ヶ月半に及ぶリハビリセンターでの治療。五年経って今、自分はこうしてパソコンに向かいブログを書き、そして杖を使うが出社もしている。この間の軌跡を少しでも同病の人々の為になればと思い、書き綴って行きたいと思う。

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