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東山区粟田口三条坊町215


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粟田山荘

 京都ホテルオークラの別邸 「粟田山荘」で「蛍の夕べ」を愉しんだ。

これまでなかなか予約が取れず、今回、運よくそれも蛍まで鑑賞できるとあって、期待に胸ふくらませて山荘を訪ねた。

HPによれば、数寄屋造り総二階の日本家屋は、「昭和12年、西陣の織元細井邦三郎氏が建てた別荘が前身である」と、その由緒が紹介されている。

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「桔梗の間」から庭を見下ろす

 

柾目の檜材を潤沢に使った粟田山荘に一歩、足を踏み入れると、昭和初期の西陣の織元が当時どれほどの財を誇っていたのか、その一端に触れさせてもらったような気分になった。


門内に入って上を見上げると玄関と壮大な数寄屋造りの館が

石畳を踏み込んで玄関へと上ってゆくアプローチや鎌倉時代の石灯籠や鞍馬石などを配した庭園は建坪150坪の建屋と相まって、ひと言で「豪奢」というしかない。

門からすこし石段を上った先に玄関が

二階の14畳の「桔梗の間」が当夜、われわれ夫婦に用意された部屋であった。ここでゆっくりと食事をし、8時半ころに庭に蛍が放たれ、この部屋から幽玄の光のショーを鑑賞する趣向だという。

広さ14畳の桔梗の間
テーブルから部屋の入口の襖を見る

 そこで、まずは「蛍の夕べ」と銘打った特別懐石料理をいただいた。当日の献立は下の通りである。

粟田山荘お献立
当日のお品書

 お皿が運ばれてくるたびにメモするのが大変なため、「お品書はありますか」とお聞きしたところ、「後ほどお作りしてお持ちします」ということで、わざわざ、作成いただいたものである。こうした客の我が儘を快く引き受けてくれたことでも分かるように、粟田山荘のお持て成し精神は、門前での出迎えから門前までの見送りと終始、見事なまでに貫かれていた。

先附・玉蜀黍豆腐
鱧葛叩きのお椀

向附・鯛、鮪、烏賊

凌ぎ・鱧焼き霜

八寸

 京料理懐石は、先々代の料理長が蒐集したという味わいのある器に盛られ、八寸の竹細工による盛り付けなど、舌のみでなく目をも楽しませてくれた当夜の料理には味はもちろん、その演出にも満足した。

双葉葵の陶器・唐辛子と蓮の実紋の磁器
竹細工と笹が涼感を呼ぶ八寸の盛り付け

 また大好きなお酒はせっかくなので、純米大吟醸「粟田山荘」という伏見のお酒にした。

 またここの鮎は琵琶湖産だそうで、奥嵯峨の「平野屋」で食した保津川産ともども、今年は鮎の食べ比べが出来たことも望外の喜びであった。

琵琶湖産の若鮎の塩焼き
炊合せ・丸茄子、茗荷、白味噌餡

 食事も終わった8時半、いよいよ蛍が庭に放たれる。

いよいよ照明が消されてゆく

庭の燈籠の灯も落とされ、各部屋の照明が消されてゆく。この粟田山の麓は一転、漆黒の闇の世界へと変じた。

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漆黒の闇

 すると庭のそこかしこに緑の光が湧き上がり、闇の中を蛍がゆったりと緑色の線画を描いてゆく。


蛍火が見える

緑色の飛行線が・・・

そして、たぶん、槇や楓の枝に羽を休めているのだろう、そのぼ〜っと点じては消える様はどこかクリスマスツリーに点滅するイルミネーションのようにも見えた。静かにゆったりとした時間が流れていった。そして室内に明かりが戻った。


樹木の枝に止まる蛍

 「終わったね」と呟きながら硝子戸を閉めようとしたその時、一匹の蛍が部屋へ迷い込み、家内の肩口に止まった。家内は「わ〜っ!」と、喜びの声をあげた。しばらく旅人の洋服に留まった蛍はくっきりと緑色の飛行線を残し、どこか名残りを惜しむかのように樹々の暗がりのなかへと姿を消した。

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肩に留まる蛍
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闇の中へ飛び去る蛍
暗くなった石畳を踏み、山荘を後にした

 あの蛍は何をわれわれに伝えたかったのか・・・、心を残しながら粟田山荘を後にした。