11月16日の午後3時48分、休憩後に再開された衆院本会議で横路孝弘衆議院議長は「日本国憲法第七条により、衆議院を解散する」と、藤村官房長官が運びこんできた解散詔書を朗読し、衆議院の解散を宣言した。

その瞬間、わたしは議長席正面の一般傍聴席にいた。議場ニ階に設けられた参議院議員傍聴席、報道機関席、一般傍聴席はびっしり、加えて一般傍聴席の最上部には秘書傍聴席から溢れた秘書たちが立ったままで立錐の余地もないほどにひしめきあっていた。

同行してくれた若い議員秘書がこれほど熱気があるのは初めての経験ですと少し興奮気味に語っていたのがいまもわたしの耳に残っている。


色々な意味で関心の極めて高い第46回総選挙が事実上スタートした瞬間であった。


解散の16日から公示日の12月4日までの僅かに2週間余の間に、新党が生まれ、そして合流とその創出、離合集散の果てに、既存政党と合わせて、今回、われわれ国民は12もの政党の乱立する過去に例を見ない総選挙を経験することになった。


その目まぐるしい、いやはっきり言って節操のない離合集散を繰り返す第三極といわれる政党の乱立で、何をどう見たらよいのか戸惑いの声がたびたび寄せられていることもあり、本日公示日にあたり不肖わたしの考えを披露することにした。


今回の選挙にあたって何を基準に考えるかであるが、わたしはただひとつ“政権担当能力の有無”であると考えている。言い換えれば、国外あるいは国内での立場の立ち位置によって利害得失が複雑に錯綜する政治課題を冷静、果断に現実的に処理してゆく推進力を有する政党、政権を選ぶということである。


大手メディアの一部に脱原発・卒原発というSingle Issueにこの選挙の争点を持ってゆこうとする意図が見え見えのところもあるが、目下、わが国を取り巻く環境はそんなに争点を絞り込めるほど単純なものではない。


その他にもきな臭さを増す尖閣諸島・竹島・北方四島の領土問題、一次産業の自立とTPP加入という喫緊の問題、沖縄の普天間米軍基地の移転紛糾やオスプレイ強行配備の延長線上にある日米地位協定、延いては日米安保の問題、デフレ脱却と経済回復、それに関連する消費税増税、財政再建の問題、行き過ぎた市場原理主義の結果生まれた格差社会の是正、子育て支援、年金、医療の社会保障一体改革の具体的推進、教育改革、公務員改革、議員定数是正はもちろん二院制の見直しなど政治改革、財政自立を伴った地方分権のあり方、九条問題を含めた憲法改正の問題、等々、どれ一つとっても解決が待ったなしの重要な政治課題である。


どれかひとつの解決に政権が没頭するなど出来ぬ、極めて高度かつ熟練した行政能力と政治手腕と老練な外交能力が求められ、一方で各分野にそれぞれの専門ノウハウや人的パイプを有した人材を多数擁する政党あるいは連立政権でなければならぬということは、上記に列挙した課題の喫緊性、重みを考えれば、当然の帰結であると考える。


そのなかでも、トラスト・ミーで大きく揺らいだ日米関係の足元を見透かし、201097日の中国漁船衝突事件に始まる民主党政権の弱腰外交、ドタバタを見据えて、111日にはロシアのメドベージェフ大統領が元首として初めて北方領土・国後島訪問を敢行、次いで2012810日の李明博韓国大統領の島根県竹島への上陸と、わが国領土を他国の国家元首自らが踏み躙(にじ)るといった前代未聞の国辱的危機が民主党政権の稚拙な外交能力の下で連続して起こったわが国固有の領土を巡る問題がまず挙げられる。


この日米関係の改善とわが国国境の安全確保が至上課題であると考える。


次に内政ではどう考えても3.11大震災の復興である。それはスピードアップといった時間軸の問題ではなく、東北被災地区を現法下の行政区分けで考えるのではなく、被災特別区といった新たな時限行政区分けを制定し、県をまたぐあるいは中央行政の管轄からもはずれる、謂わば香港のような外交権と軍事権のみを持たぬ“特別行政自治区”のような小政府を持つ行政府で自己完結的に復興を果たしてゆく、そんなフレームに根本的に組み直し、大胆かつ繊細かつ迅速に生活再建を果たしてゆく復興策の見直し、復興実現が求められる。


そしていたずらな混乱を避ける意味からも、早急に課題整理と課題処理へ向けた手順の確定が必要なのが原発問題である。


脱原発の決断には、国民の直接的生命や安全の問題だけでなく、生活の維持、雇用、産業、国家財政、国家安全保障といった広範にわたる影響について数値と時間を入れ込んだ検討、検証が必要であり、その具体的な数値、見通しを国民に示した上でのコンセンサスが必要である。


ましてやいまだ福島第一原発事故の原因すらはっきりできぬ段階で、網羅的な数値の提示もなく、ただ一足飛びに原発NOの社会を叫ぶのは、あまりに無責任かつ危険な政治と斬って捨てるしかない。


エネルギー戦略は国家運営の大きな要である、その重責を政治が担っているという自覚に大きく欠けた所業であるとわたしは断じざるを得ないのである。


また脱・卒原発についてひと言、云っておくが、現在、大飯原発が稼働する以外、原発は動いていない。


原発なしでもこの猛暑の夏は乗りきれたし、これから節電、省エネ、再生可能エネルギーを開発してゆけば、十分、脱原発、卒原発でやってゆけるじゃないかと、叫んでいる人たちは、その状況のまま行った際のコストの問題、われわれの生活にかぶさってくる負担の大きさについては言葉を尽くさない。


つまり、発電量だけの問題で言えば、原発設備がなくとも老朽化した火力発電設備などを総動員して稼働させることで、その量の確保は可能である(老朽設備は今後の新規GTCCなどの新規発電設備に順次代替)。


しかし、これまでは、昼間の需要の変動が多い時間帯を発電コストは高いが稼働・停止に経済的、運転上の優位性のある火力発電を使用し、夜間を通じてベースロードとして常に発電する電源としてコストの安い原子力発電を使うという運転形態であった。


そのベースロードの原発部分が現在はLNG発電などに代替され、結果としてLNG輸入量が増加、欧州危機による輸出減少とも相まって貿易収支は、2012年上半期は赤字、特に直近7-9月は3ヶ月連続の赤字と、構造的な要因が顕著となって来た。


構造的貿易収支の赤字は円の価値の信頼を揺るがし、結果として円安、さらなる貿易収支の赤字、信用不安、国債暴落、金利高騰、財政破綻という究極の悪魔のシナリオへと向かってゆく。


こうした一面だけを捉えても原発問題はさまざまな影響をおよぼす問題であり、慎重な議論のもと、綿密な数値の検証も踏まえたうえでの国民的コンセンサスが求められる極めて高度な政治課題である。


一か八か、きっぱりNOと云おうなどといった“時の勢い”や“声の大きさ”で決められる問題ではないと考える。まだYES、NOを判断するには材料が余りに少な過ぎるのである。(原発に関するわたしの考えは”それでも原子力発電は推進すべき(2011.5.7)”を参照して下さい)


デフレ脱却への具体的政策などまだ色々とコメントしたい点は多数あるが、字数の関係もありこれで止めるが、今次選挙は云うまでもなく民主党が念願の政権交代を実現した2009年8月30日の総選挙以来、初めての選挙である。


従って、常であれば、その争点は3年4ヶ月におよんだ“民主党政治”の審判であるはずである。


しかし、われわれは2011年3月11日に東日本大震災という未曾有の国難に見舞われ、それに起因するレベル7の東電福島第一原発事故を経験し、いまだその復興、収束へ向けた具体的道筋が描けていない状態にある。


戦後、国民の生命と財産の保障がこれほどに蔑(ないがし)ろにされ、社会の混乱が放置された時代はない。そんな過酷な時代背景のなかでの総選挙である。


だからこそわたしは3年半前の口先だけの公約や“政権交代”という言葉に甘い夢を託し、熱に浮かされたような投票行動に走ることだけは厳に戒めたいと思う。


多くの問題を一挙に解決できる快刀乱麻のような政策、政治はあり得ぬのだということをこの3年半の反省も踏まえて肝に銘じ、それぞれの政治課題が抱える正の部分と負の部分を愚直に訴え、地道にその解決の道を探ってゆく姿勢を見せる政党、候補者に一票を投じようと考えている。