二日目は、昨日、時間がなくて寄られなかった浜松城を見学していこうと予定を1時間早めて午前9時のホテル出立となった。当日の空が見事に晴れ渡り、天守閣から浜松の街を一望できたらさぞ爽快であろうと思ったからである。

⓪本丸跡を巡る小径
浜松城本丸跡を廻る小径
此度の旅程を立てるにあたって、大切なコンセプトのひとつに「古希、古希」を中心にすえていた。

訪ねる先を詰め込んだ長旅ではもう身体の方が言うことを聞かず、節々がコキ、コキいって、移動することが苦痛になる、そういった事態になることだけは避けたい。スケジュールをこなすことが旅の主目的となってしまっては、旅情や旅愁を翫味する「老いの旅路」という言葉が醸し出す風情からはほど遠いものとなってしまう。そこで、原則、宿のチェックアウトタイムギリギリに出立する鷹揚な時間割で旅の計画を立てていた。

浜松城天守閣
浜松城
そして、余裕をもたせたはずの時間を早々に浜松城見学に充てることにしたというわけである。

そうした経緯をもつ浜松城であるが、あの徳川家康が29歳から45歳までの17年間を過ごしたという戦国時代真っただ中ゆかりの城郭である。

秋空に映える天守閣
秋空に映える天主閣
そしてこの城を語るときによく持ち出される話が1573年の三方ヶ原の戦いの際の家康の行動である。武田信玄に完膚なきまでに負かされ、命からがら浜松城へ逃げ込むも、城門を開けたままにする「空城(くうじょう)の計」という奇策によって絶体絶命の危機をしのいだという家康の豪胆さと智略を伝えるものである。


そんな激越な戦さの痕跡など勿論どこにも留めぬ浜松城一帯であるが、現在、市民にとって恰好の散歩コースとして整然と整備された浜松城公園となっている。

浜松城公園
整備された浜松城公園
その一画の小高い丘の上にコンクリート造りの天守閣が建っていた。

小高い丘に建つ浜松城

真っ青な空に映える美しい天守閣を仰ぎながら、この美しさだけを体現するシルエットに四百年前の陰惨な戦さの絵柄を重ね合わせて視ることなど、平和な時代に生きる自分にはどうしてもできなかった。

16世紀後半の野面積みの石垣が残る
往時を偲ぶ石垣
だが、その歴史の一端を伝えるものとして、天守閣を載せる石垣に16世紀末の野面積みが一部残っており、その野趣あふれる石組みに掌を添えてみて、ただ往時を偲ぶのみであった。

四百年前の野面積み石垣
四百年前の野面(のづら)積み石垣
現在、本丸跡や二の丸跡の発掘調査が続いており、今後に、往時の実像を示す遺跡が発見される日を待つとしよう。

二の丸跡の発掘調査が続く浜松城
今尚、発掘のつづく浜松城
その日は風が強い日だったが、3階建ての天守閣に昇ってみることにした。
天守閣内に陳列された甲冑
天守閣内に陳列された甲冑
そこから浜松の市街が一望できたものの、高所恐怖症のわたしは天主を一周する外回廊を何とか廻ってはみたものの、写真はわずかしか撮れなかった。特に北面の三方ヶ原方面の写真を一枚も撮っていなかったとは・・・トホホ・・・

浜松城天守閣より南側を一望
南方を写す 遠くに遠州灘
それと忘れてならぬのが、天守閣前の本丸跡に建つ「若き日の徳川家康公」の銅像である。

浜松城本丸跡に建つ徳川家康公銅像
若き日の家康像
なかなかの美男であり、偉丈夫であった。三方ヶ原の敗戦直後に自戒を込めて描かせたという「顰像(しかみぞう)」と呼称される肖像画の貧相なお顔とは正反対の精悍な面構えをしたりっぱな銅像であった。
精悍な顔の若き家康像
美男子な家康だ
そんな浜松城をあとにして、次はNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」で一躍有名となった井伊家の菩提寺、龍潭寺(りょうたんじ)へと向かった。