彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

石原都知事

赤字決算「新銀行東京」実質トップの石原都知事に株主代表訴訟?3

200612月11日の「石原都政の象徴、新銀行東京の赤字」で、わたしは「理念先行の石原都政が、この新銀行を都財政のお荷物にさせぬことを祈るばかりである」と述べた。しかし、その祈りはどうも天に届きそうもない。61日に新銀行東京の開業2期日の平成l8年度決算が発表された。経常損失401億円(計画180億円前後)、当期純損失547億円であった。すべて「利益」ではなく「損失」である。

 

銀行決算で「業務純益」と呼ぶ指標は一般企業でいう営業利益(=売上高−売上原価−一般管理・販売費)のようなものであり、銀行の本来業務の収益を表わすものである。またより厳密な銀行本来業務の収益を表わすものとして、特殊要因である変動的な国債等関連損益や一般貸倒引当金繰入等を除いた「実質業務純益」がある。新銀行東京のH18年度決算の「業務純益」はマイナス206億円、「実質業務純益」はマイナス85億円となった。

 

一般企業で「営業利益」がマイナスであれば、その事業は継続する「経済合理性がない」ということである。なぜなら、製品を作る原材料費や販売費、そして会社の一般管理費、それらに係わるすべての人件費などを差し引いた数字が「営業利益」であり、商売というものが利益を生み出すのが当然の理であることからすると、営業利益が赤字というのはその商売に経済合理性がないということをあらわす。新銀行東京はその営業利益にあたる「業務純益」がマイナス。またその期の変動要因を除いた「実質業務純益」もマイナスであった。

 

新銀行東京のHPではコーポレートスローガンに「従来の銀行とはちがう発想で、つぎつぎと便利なサービスを提供する新銀行東京」、「銀行の常識にとらわれない新しいスタイル」とある。

また仁司泰正代表執行役からのご挨拶のなかに「『新銀行東京』は、日本で初めての、中小企業に対する無担保融資を中核とし、多彩なサービスを提供する銀行です。債務超過でも、安定的なキャッシュフローがあれば、無担保で融資します」という金融常識からすれば大胆不敵な表現がある。これはこの銀行の出自が「技術力はあるが大銀行にいじめられ資金調達に悩む中小企業を救済」するホワイトナイトの役割を石原都知事が声高に標榜したことにある。道路公団民営化など「官から民へ」という大きな社会的要請のなかで、わざわざ公的部門が銀行業に進出する大義がそこにあった。

 

しかし、ホワイトナイトとしての活躍は実態からすると知事が吼えたようには行かなかったと言わざるを得ない。理念である「中小企業向け貸出し」が思ったように伸びないうえに、それが不良債権化しているからである。

 

開業初年度の平成l7年の83日に発表された3期目で期間黒字化を謳った「中期経営目標」において、目標年度のH19年度の業務純益は230億円、経常利益は21億円であった。そして中小企業向け融資・保証残高6020億円、預金口座数は100万口座であった。

 

ところが目標年度一年前のH18年度決算実績は冒頭の業務純益マイナス206億円、経常利益マイナス401億円であった。しかも不良債権比率は6.42%とこの一年間で5.52%もの上昇を示しているのである。

 

その決算発表時に批判をかわす意図でもあったのだろうか「新中期経営計画」があわせて公表された。単年度黒字化を当初計画より2期後ろ倒しし、目標年度をH21年度とするものである。その主要な経営指標は、H21年度で業務純益28億円(当初中期計画H19年度 230億円)、経常利益10億円(21億円)であった。そして本丸の中小企業向け融資・保証残高は1610億円(6020億円)と大幅に目標ダウン、預金口座数にいたってはわずか10万口座(同100万口座)に減少している。

 

当初の意気込みとあまりに違う数字に愕然とする以上に、この「新中期計画」も内容をつぶさに見ると、その実効性に首を傾げざるを得ない点が散見される。一例を挙げれば、「営

業推進体制の再構築」のなかの「営業推進担当者の増強」である。18年度末の62名を21

年度末までに110名に増やすとしている。わずか365名の総従業員数(H18.9.30現在)のなかで本部人員をスリム化、営業分野に人材を重点配置するとしている。しかし、最近の金融業界ではコンプライアンスやリスク管理などの徹底のため間接部門の要員強化を逆に迫られているのが実情である。

 

そうした業界環境のなかで「従来の銀行とはちがう発想」で経営する「新銀行」であるから、それも話としてはありうることかも知れぬ。しかし営業経費計画の具体的数値を見れば、その実現可能性に疑問を呈せざるを得ないのである。

物件費と税金を除いた純粋な営業経費はH18年度実績が35億円、目標年度の21年度が25億円である。営業要員を8割も増員して、純営業経費は逆に4割もの大幅減を達成させるという。コーポレートスローガンにいう「銀行の常識にとらわれない新しいスタイル」がこうした魔法のようなことを意味するのであれば、そして「従来の銀行とはちがう発想」で「新中期経営計画」が作成されているとすれば、その実現性はきわめて危うく、その根拠も脆弱であると評価せざるを得ない。

 

H18年度決算発表後の定例記者会見で石原慎太郎都知事は「できないと思ったらやらない。発案は私でその責任はあるが、私も金融の専門家ではない。経営者に責任がある」と素人が無理やり銀行を創らせ大幅赤字にしたことには頬かむりし、「進むも地獄、引くも地獄で乾坤一擲打って出る以外にない」と不穏当な言辞を弄した。

 

乾坤一擲(けんこんいってき)とは「運命を賭してのるかそるかの勝負をすること」を言う。l000億円もの税金を投じた事業に対し自治体の首長が口にすべき言葉ではない。乾坤一擲とは知事自身の己の財産なり命を賭して勝負をするときに使う言葉であって、都民の税金である公金を使った事業で、「一か八か」の博変(ばくち)を打つなどあってはならぬことである。

 

そうした経営姿勢なり行動をとるというのであれば、万が一経営が破綻するようなことにでもなれば、実質株主である都民(新銀行の株式の84%を都が保有)は実質、経営トップにある都知事に対し株主代表訴訟同様に、知事ポストの進退は言うに及ばず石原氏の個人財産の差し押さえをも展望した経営責任を厳しく問うていかねばならない。

石原都知事の映画「俺きみ応援団」って、公選法上の問題はクリアー?3

 

 都知事選挙を間近に控えて石原慎太郎氏の動きがやたらとあわただしい。218日の東京マラソンが終了したかと思いきや、この32日には都知事自らが脚本を書き、プロデュースしたという映画の完成記念パーティーである。

 

 共産党推薦の元足立区長吉田万三氏に建築家の黒川紀章氏の立候補表明はあったものの、民主党の候補者選びの迷走ぶりが伝えられるなど都知事選報道はいまひとつ盛り上がりに欠けた。しかしここに来て、6日、浅野史郎前宮城県知事が正式に立候補を表明し都知事選に参戦、民主党も同氏支援を確定したことから、322日の告示を前に都知事選は一挙にヒートアップしてきた。

 

 わたしは都知事選挙が近まる3月から投票日までは石原都政の批判を控えようと考えていたが、冒頭の映画の完成パーティーの報道に接し、その詳細を知るにつけその思いを変えた。

 

 石原氏の48日の投票日に合わせたように次々とメディア露出を果たしてくる手腕は、ある意味あっぱれとも言えるが、今回の映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」の宣伝方法にはさすがに疑問を表明せざるをえない。この映画の公式サイトを開くと、タイトルの下の戦闘機の絵につづき「ENTER THE SITE」とある。そこをクリックするとゼロ戦?の飛行戦隊の画面が出てくる。その右下に「俺きみ応援団募集 詳細はコチラ」との不思議な文字が目に飛び込んでくる。それをまたクリックすると「団塊の世代から感動の輪を広げたい 」の宣伝ビラが出てくる。その内容は「応募資格を19471949年に生まれた男女」に定めた「仕事内容:200741日〜512日の間で1週間に12日、各2時間程度。『俺は、君のためにこそ死ににいく』宣伝に対するブレスト会議参加ほか。謝礼:5万円」とあるが、応募人数が示されていないその応募要項の意図は何であろう。

 

それ自体は東映映画宣伝部の商業広告であるから法的な問題はないのだろうが、選挙運動期間が含まれる期間に5万円という謝礼を出して人集めをし、都知事候補者がプロデュースする映画の情宣応援会議に参加させることは、見方によっては形を変えた一種の選挙活動であると言えなくもない。そのあり方にわたしは胡散臭さと同時に、疑問を感じたのである。

 

公職選挙法第131条で「都道府県知事の選挙における選挙事務所は、その公職の候補者1人につき、1箇所」と定められている。しかし、石原映画を情宣するこの活動はあくまで政治活動ではないのだから、どこに何箇所、「俺きみ応援団」の拠点を作ろうがお構いなしということになるのだろうか。それが東京地区に集中したとしても・・・。

また140条の2項に(定められた会場や車両上等以外で)「何人も、選挙運動のため、連呼行為をすることができない」とあるが、ブレスト会議の場で映画宣伝につき「石原慎太郎プロデュースの」と連呼することは、これまた文芸のことであるから公選法の埒外なのであろうか。

142条の「文書図画の頒布」についても「都道府県知事の選挙にあつては、候補者1人について、当該都道府県の区域内の衆議院(小選挙区選出)議員の選挙区の数が一である場合には、通常葉書 35000枚、当該都道府県の区域内の衆議院(小選挙区選出)議員の選挙区の数が一を超える場合にはその一を増すごとに、通常葉書2500枚を35000枚に加えた数」とあるが、「製作総指揮・脚本石原慎太郎」と書かれたポスターや宣伝パンフをもし配布するとしてもこれも埒外なのであろうか。

 

さらに第152条の「あいさつを目的とする有料広告の禁止」等々いろいろと疑問を感じる点は多いが、最も気になる点が197条の2項の「実費弁償及び報酬の額」である。

そこでは「衆議院(比例代表選出)議員の選挙以外の選挙においては、選挙運動に従事する者に対し支給することができる実費弁償並びに選挙運動のために使用する労務者に対し支給することができる報酬及び実費弁償の額については」、「公職の候補者1人について1日50人を超えない範囲内で各選挙ごとに政令で定める員数の範囲内において、1人1日につき(中略)選挙管理委員会が定める額の報酬を支給することができる」と定められている。

 

こうやって見てくると、5万円の報酬を与えられた「俺きみ応援団」が選挙期間中に候補者プロデュースの映画の宣伝活動を応援する行為は、そのあり方においてある種の「あざとさ」をやはりわたしは感じざるを得ない。


知れば知るほど都知事は言いたい放題!4

 

 昨年12月14日、都自民党の高島直樹政調会長の祝賀会において石原都知事が挨拶した「いじめ云々」の正確な発言内容が19日付けの朝日新聞東京版に載っていることをある方から教えられた。その内容の一部は以下の通りだが、この発言主が一千二百万人都市の首長とはとても思えぬのだが、その品のなさには呆れるばかりであるがそれは横に置いとくとしても、現在、自分の置かれている立場がまったく分かっていないことに、心底、愕然とした。そしてこのような首長を地方行政府の長として戴いていることを心の底から、恥じた。

 

「私いま、共産党にあることないこと言われ続けて、頭きちゃうんだけど。敵だからしょうがないんだけどね。これに便乗してメディアが、わけのわからんこと言って、あんまり愉快じゃないんですが。いじめられていますが、決して自殺しませんから」

 

 この方の話はよく切り分けて熟読玩味しないと、何のことやらよく分からないことが多い。いつぞやの「余人に代え難い」四男氏の件も、当初の記者会見での発言はその文脈から通常に理解すれば、その作品を描ける芸術家として「余人」がいないとわたしは解した。しかしその後出演したテレビでの説明では、無償で作品を書いてくれる人がなかなかいないという意味で申し上げたのであり、誤解を生んでしまったと発言された。無償で作品を書いてくれる人は、芸術を志す若者いや人々のなかにはその気で募集すればわたしはいくらでもいると思うのだが・・。言葉に命を削るはずの文学者でもある石原氏にとって「余人に代え難い」という日本語は適切には使いづらい言葉らしい。

 

それはさておき引用した都知事発言に戻ると、ゞ産党は(私のことで)あることないこと言い続けている、∋笋療┐篭産党である(共産党の敵も私)、だから(共産党に)いわれても仕方がない、い靴し、それに便乗してメディアがわけのわからないことを言っている、セ笋蓮丙)、愉快じゃない、Α覆錣韻里錣らないことで)いじめられているが、(私は今、方々で起きているような)自殺(など)は決してしないと、六点に言いたいことを整理できる。

 

いやはやわかりづらいと言おうか、もう少し頭のなかを整理してから発言していただきたいものである。そしてこう整理してみると、この発言については幾つかお答えいただかねばならぬ重要な点、石原慎太郎氏が不用意に本音を洩らしたからこそご説明いただかねばならぬ点が存在するのである。

 

第一点目は共産党が問題として取り上げたことで「あることないこと」があると知事は認めた。「あることないこと」とは換言すると「本当と嘘」ということである。問題とされた超豪華出張や四男の問題で本当の部分はどの点だと認識したのか明快に説明して欲しい。

第二点目は「(あることないことを言う共産党に)便乗してメディアがわけのわからないことを言っている」とは、次々に噴出してきた夫人・息子絡みの公私混同問題、三男の政治資金疑惑などを指したものだと思うが、そのどこが「わけのわからぬこと」なのかを、きれいに切り分けて都民に明快な言葉で語って欲しい。

第三点目は公的立場にある人間がやった不透明・不適切な行為だとわれわれが感じ、その疑問について答えて下さいという行為を、なぜ「弱いものを苦しめる」同義語である「いじめ」と表現するのか、その日本語力の貧困さには唖然とする。またその後に続く「自殺はしませんから」との言葉に含まれる当事者の心の傷みへの配慮すらない痩せこけた精神に対しては、わたしは救いがたい怒りを覚える。到底、人の上に立つ為政者の口から発された言葉だとは信じられぬからである。

 

知れば知るほどこの石原慎太郎という人物は、驚くほど言いたい放題のことを言っているのである。それこそわけのわからぬことを言っているのは知事自身であり、「あることないこと」を都民にわかるように「実際にあったこと」と「なかったこと」を整理して、説明すべきときに来ていると思うが、いかがか!

 

「すっきりわかれば、誰も便乗してわけのわからぬことなど言わぬ」、そんな簡単なことすら石原都知事はわからぬようである。



 

大手メディアで盛り上がらぬ都知事の豪華出張1

大手メディアで盛り上がらぬ都知事の豪華出張

 

 今、福島、和歌山、宮崎といった地方自治体で談合事件による知事の逮捕や疑惑騒動で大手メディアは連日のように詳細な報道を繰り返している。そうした最中の15日に、「石原都知事の超豪華海外出張の浪費の実態について」という文書が日本共産党東京都議会議員団によって公表された。1999の知事就任から今日までの石原慎太郎都知事(74)の海外出張(19回中15回のみ資料あり)に24355万円という大きな支出(1620万円/回)がなされていたことがわかった。

 

 今回、明らかにされた都知事の豪華出張は、談合といった直接的な犯罪というわけでは、もちろんない。それもあってか大手メディアの報道は盛り上がりを欠き、追求の声もほとんど聞こえてこない。

 

 しかし、共産党議員団が示した資料によると都条例で宿泊費42千円/泊までと定められているのに対し、263千円のホテルに宿泊したケースも明らかにされている。しかも夫人が同伴したのは19回のうち4回で、そのうち2回の米国出張は旅費・宿泊費も公費で賄われている。こうしたことが、その地にホテルが一つしかない、あるいは公務上、夫人を同行する必然性があったというなど都民への合理的説明がないままに、記者団の質問に対し「知らないよ、私は。そういうことは事務局に言ってくれ。何も豪勢な旅行しようと思って行ってるわけじゃない。直すところがあったら直したらいいじゃないですか」と、応えて済む話ではない。

 

 公私混同であれば、私的な部分に関する費用については、これは明らかに横領にあたる。これは言うまでもなくりっぱな犯罪である。「(これから)直しらいいじゃないですか」という次元の話ではない。すでに支出された、実施された行為なのだから。ただでさえ、自治体財政が厳しいといっては医療福祉分野などでの応益負担が増し、自治体によるサービス削減が断行されている。現に財政難を理由に経済的弱者たる障害者の「扶養年金制度」の廃止の方針をつい先日、決めたばかりである。そうしたなかで、都知事のこうした不透明でいかにも贅沢としか庶民からは見えぬ支出については、はっきりと公私の別なり、支出の必然の理由を都民の前で明らかにすべきである。大手メディアはこの豪華出張をもっと周知させ、石原都知事に対し強い態度で説明を求めていくべきではないのだろうか。

 

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