現在放映されている大河ドラマ、三谷幸喜脚本の「鎌倉殿の13人」が面白い。鎌倉武士が武士政権の時代を切り拓いてゆく最中、さまざまな人間が駆使しあう権謀術数や生臭く欲深で飾らぬ生身の人間の性が描きこまれていてとても魅力的だ。
まずは桓武平氏の一党である土肥実平が勢力を張っていた湯河原町、真鶴町をたずねた。
その最初の訪問先が石橋山の合戦に敗れた頼朝が従者7人とともに安房国へと船出をした岩海岸である(源頼朝船出の浜:真鶴町岩957-1)。
現在はその湾口というか相模湾へ出てゆく辺りに橋がかけられている。
しかし、当時は人影もない鄙びた浜であったのだろう。
そこから落魄した頼朝主従7人が安房国へと逃げ出した。
その時の頼朝の心情を表しているかのようなまことに頼りなく儚い海辺である。
その浜辺から2kmもいかぬところに、一行が身を隠したと伝わる「鵐窟(しとどのいわや)」がある。
わたしは刺身定食を注文した。さすが相模湾で採れたての鯵、身がふっくらとしておいしかった。
切り立ったかつての石切り場の根っこに小さな洞穴があった。入口はステンレス柵で閉ざされていて、覗いても奥行きは2、3mほど。
大正11年に撮影された鵐の窟は海水が這り込む奥行11mもある洞窟で、海に雪崩れ込む崖の裾にあった。翌年の関東大震災の際に隆起して現在の陸地になったと説明があった。
その隆起は数メーターにもなろうか、震災の規模がいかに凄まじかったかがわかるジオパークである。
そんな海水に洗われる洞穴に頼朝は隠れ、そっと抜け出し、岩海岸に用意された小舟に載って海上へと漕ぎ出したのである。
どう贔屓目に見てもそんな人物がのちの七百年におよぶ武家の時代を創り出したとは思えぬ洞穴と海辺の矮小さではあった。
そこから真鶴岬を南下すると、すぐに貴船(きぶね)神社がある。
ただ、そんな貴船神社も頼朝ゆかりの地となっている。
頼朝が休息した岩を「鵐の窟」付近より当地へわざわざ移設したのだそうな。
その腰掛石は直立して神社の由緒書きの横に麗々しく立っていた。
頼朝様に敬意を表し、その前で手を合わせた。
社殿はそこから急な石段を昇った高台にある。
参拝をすませて次に三ツ石なる名勝のある真鶴岬の突端へと向かった。
要は「真鶴岬ってどんなとこ?」という単純な興味がたまたま「鎌倉殿の13人」にゆかりの場所であるとの知識を得て、一念発起、ホテルを予約して自動車を駆ってやってきた。我ながらこの歳でご苦労なことであると、つくづく思う。
さて、神社から車で10分もいくと「ケープ真鶴」に着く。岬といってもほんとうに小さな岬なのだと実感する。
旅行ガイドにある三ツ石海岸を見下ろし、相模湾が一望できる絶景の場所である。
いかにも“夏到来!!”という風情のカフェである。
幾枚か写真をとったところで、わたしが軽い熱中症で気分が悪くなり、館内で休憩させていただいた。
それを知ったオーナーであろうか女性の方が凍らせたペットボルや氷をいれたビニール袋で腋の下や首筋を冷やすようにテキパキと処置をしてくれた。
その手際の良さに感心しきりでしばらく休ませてもらった。そのお陰で事なきを得て、当夜の「ホテル
ラクラッセ・ドゥ・シェネガ」へ早めに向かい、ゆっくりすることにした。