12月25日付の読売新聞に、「神域荒らす不届き者続出、柵設置した京都の神社」のタイトルで、京都府宮津市にある真名井神社の磐座(いわくら)に不届きな参拝者がたびたび攀じ登り柵内に入るというので、手前に玉垣を設け神域に近づけぬようにしたとの記事が掲載された。
3年前に祈願成就のパワースポットとしてテレビや雑誌で紹介されたことから、当神社を訪れる人が増え、そのなかの心無いものが社殿裏に鎮座する磐座に土足で登ったりと不埒な行為が続いてきたとのと。
何度、警告してもそうした罰当たりな行為が止まぬことから、今回、やむを得ず、社殿横に玉垣を巡らして奥の磐座へは近づけぬようにしたという。
誠に残念であり、これから訪れる敬虔な参拝者たちが、あの深とした霊域の雰囲気にとっぷり包み込まれる機会を非常識な観光客たちによって奪われたことに心から憤りを感じる。
二千年余の悠久の時を超えて守られてきた神聖不可侵の神域を未来の日本人にしっかりと伝え残してゆくには、仕方のない仕儀なのかもしれない。
わたしは昨年の1月に籠神社を訪れた際に、奥宮である真名井神社に参拝した。
当時はまだ玉垣もなく、社殿をぐるりと廻り、真裏の磐座やその奥の真名井原神体山の原生林内に鎮座する諸々の磐座も間近で見ることができた。
森閑とした山中に響く小鳥たちの啼き声に耳を澄まし、遠く二千年前の世界に想いを馳せていると、往古、この地に神々が降臨したという数々の伝誦が紛うことなき“真正”であると感得した。
真名井神社は本宮である籠神社から距離にして500mほど、徒歩数分の地にある。
途中、真名井川を渡るが、ここから後ろを振り向くと天橋立を見ることが出来る。
すぐに一の鳥居に達するが、その先に天香語山が見える。その天香語山(神体山)の南麓、真名井原に目指す
真名井神社は位置する。
しばらく道なりに歩いてゆくと、森閑とした山裾に真名井神社と匏宮(ヨサノミヤ)の石柱が立っている。
その真名井神社と刻まれた左側の石柱脇に、小さな石碑がある。
この石碑の一代前のものが、地中より掘り出された六芒星(ダビデの星)が刻まれていた石碑である。
六芒星、すなわち籠目紋は真名井神社の裏紋であることを第82代宮司・海部光彦氏が公表しており、失われたイスエラエルの十部族との関連、籠目の唄の謎など古代史オタクには興味の尽きぬ神社であり、強烈なパワースポットである。
真名井神社と匏宮と刻まれた石柱の内に足を踏み入れると、すぐ左手に“波せき地蔵堂”がある。
大宝年間(1300年ほど前)にこの地を襲った大津波を標高40mのここでせき止めたとの伝承に基づき、天災
地変から守る霊験と子育て病気よけを祈願し、地蔵堂が建てられたのだという。
そのすぐ奥に聖泉・真名井の泉がある。当日も車に大きなポリタンクを積み込んだ地元の方が、その清らかな霊水をとりにやって来た。
“真名井(まなゐ)”とは、日本書紀の巻一・神代上(第六段)、“素戔嗚尊と天照大神の誓約”出て来る“天真名
井(アマノマナイ)”に対する丹後の国・比治の真名井を表わす。
そして、まなは、すばらしい、神聖なの意であり、ゐは清泉という意味である。すなわち、宗像三神や天孫を次々に産み出した聖泉、清らかな水の如く尊い生命を湧き出だす泉ということである。
そして、真名井神社の社殿への階段前に二の鳥居が立つ。その両脇に狛犬ならぬ狛龍が睨みを利かせている。
龍は水神の化身であるが、本宮である籠(コノ)神社の“籠”と云う字が竹カンムリに龍という造作であり、籠神社の裏紋が籠目であることも考え合わせると、“竹籠に龍が閉じ込められている”という、いかにも謎めいた古代からの暗号がわれわれに投げ掛けられているようにも思える。
そして私は、どうしても日本書紀・巻第二・第十段の“海幸・山幸説話”の記述を思い起こさざるを得ないのである。
すなわち、塩土老翁が彦火火出見尊(山幸彦=籠神社の元々のご祭神)を海中の龍宮城に送るために入れた“無目籠(マナシカタマ)=すき間のない籠”こそ、籠神社の名前の謂れであり、丹後風土記逸文にある“筒川の嶼子(シマコ)”、すなわち、浦島太郎の話とあまりにも平仄のあった伝誦であるといわざるを得ない。
また、昭和62年に現宮司の海部光彦氏(82代)により二千年の沈黙を破り “邊津(ヘツ)鏡(前漢時代・2050年位前)”と“息津(オキツ)鏡(後漢時代・1950年位前)”という当社秘蔵の日本最古の伝世鏡が突如公表された。
その二鏡の存在の事実と、丹後風土記逸文の記述や籠神社の裏紋である籠目を考え併せることで、籠神社が往古より口を閉ざしてきた大きな謎を解くヒントが見えてくるようにも思える。
こうした籠神社、真名井神社の抱える深遠なる謎についての詳しい話は別稿に譲るとして、われわれは社殿の方へいよいよ向かってゆくことにしよう。
真名井神社の拝殿につづく本殿の裏に、祭祀の中心となる磐座主座と磐座西座の二つの森厳なる磐座が鎮座する。
その為、本殿裏には神々が磐座へと移り給うための出入口が存在するという。
向かって右(東側)の磐座主座は豊受大神を主祭神とし、相殿に水の神である罔象女(ミズハノメ)命・彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)・神代五代神を祀っている。
左の磐座西座は天照大神を主祭神とし伊射奈岐大神・伊射奈美大神を配祀している。
その神々しい磐座を割り、竜蛇のごとく四方に根を張る古木を見ると、民衆が太古より神々を敬ってきたその歴史の長さ、重ねた時間の重みに自然と心を致さぬわけにはいかない。
いつしかそんな敬虔な気持ちになっている自分に気付かされる“真名井神社”である。
小さな、小さな社殿である。
簡素で何の飾り気もないお社である。
でも、その佇まいはあくまでも気高く、崇高に見える。
磐座の奥には真名井原神体山が深々と広がり、その樹林のなかにもまた多数の磐座が鎮座している。
神体山入山口に立つ鳥居の正面に塩土老翁(シオツチノヲジ)の磐座がある。
塩土老翁は、本宮・籠神社のそもそもの主祭神であった彦火火出見尊(山幸彦)を龍宮城へといざなった潮流・航海の神様である。
そのすぐ右手にあるのが、宇迦之御魂(ウカノミタマ)の磐座。宇迦之御魂は伊邪那美尊が飢えていた時に産まれ出でた穀物の神である。
そして、樹林の左奥に須佐之男命の磐座と道祖神が見える。
太古からの聖地がこの神体山の先、奥に今でもずっと鎮まっているのだと思うと、日本人の祖先が大切に、大切に守り育ててきた祈りの地を、この後も子々孫々、侵すことなく、引き継いてゆかねばならぬと衷心より思ったものである。

にほんブログ村