友枝昭世の第13回厳島観月能「紅葉狩」の夜

能・発祥の地、新熊野神社(いまくまのじんじゃ)を訪ねた

能・「融(とおる)」 六条河原院の縁の地を歩く 壱


京都、西本願寺で10月12日〜16日にかけて「大谷本廟 親鸞聖人750回大遠忌法要」にともない、通常は非公開である対面所・白書院(国宝)や虎渓の庭(特別名勝)など書院内部の拝観が許された。


書院入口
                書院入口
御影堂
         平成の大修復を終えた御影堂
 
わたしは、最後の16日午前9時から11時までの拝観時間に訪ねることができた。いつも京都にゆくとお願いしているMKタクシーの運転手さんが、教えてくれたのである。その日、わたしがお能の「融」所縁の源融の六条河原院の跡を見にゆくつもりだということを事前に伝えていたので、当日、国宝の能舞台が公開されていることを教えてくれた。 早速に、予定を変更し、まずは西本願寺へ向かうことになった。この3月31日に平成の大修復(平成11年から改修スタート)を完了した御影堂はいずれ寄ってみたいと思っていたので、良い機会と思い軽い気持ちで訪ねてみたのである。

ところが、二百三畳もあるとんでもなく絢爛豪華な対面所や三の間まである贅を尽くした白書院、御影堂の屋根を廬山に見立てた虎渓の庭などを見学し、その間に通る「対面所東狭屋の間」と呼ばれる細長い畳敷きの部屋の天井画の素晴らしさにも素直に驚愕した。「八方睨みの猫」も数多ある天井画の中から絵巻物の上にちょこんと坐る可愛らしい子猫を見つけ出して、はしたなくも「アソコにいた!」などとはしゃぎまわってしまう次第。何しろその桁はずれな豪華さに度肝を抜かれたというのが正直なところである。館内が撮影禁止であるため、写真でご紹介できぬのが残念であるが、次の公開の機会を、是非、見逃さずにトライされることを祈ります。

そして、書院の北側に出て、お目当ての北能舞台に対面したのである。入母屋造りの見事に簡素な舞台である。橋懸りの弓形にしなった欄干も珍しく、目を引いた。懸魚に天正九年(1581年)の銘があったとされ、わが国で最も古い能舞台として国宝に指定されているものである。

北能舞台・南能舞台西本願寺HPにてご覧いただけます。

そこは、これまでの金色に彩られた対面所や白書院とは正反対のあまりにも簡素で静寂なモノトーンの世界であった。わたしは一瞬、心が動じるとともに、なぜか厳粛な気分に陥っていったのである。 じっとそこにたたずみ、この舞台の上でかつて能が演じられたであろう情景を瞼に浮かべた。どこか森閑とした山深い神社にいるような気がしていた。それまでの「絢爛豪華の美」とこの「単純の美」の落差が、そうした厳粛な気分に一気にもってゆく効果を果たしているのかもしれない。 そしてこの光景と厳粛さをどこかで体験したことがあると感じた。(「国宝能舞台のデジタル復元とその応用」に北能舞台の考察が詳しい)

北能舞台の白州はこぶし大の丸石が敷き詰められていた。その異様な景色は、係員の説明では音響効果を高めるためではないかと言われているとのことであった。
出雲大社八足門
           出雲大社の八足門

本殿千木
            出雲大社御本殿の千木

しかし、わたしはその時、すでにある酷似した光景と雰囲気を、目に浮かべ心に感じていた。それは数年前に出雲大社を詣でた際に、八足門から神域内に入り御本殿をじかに拝観させていただく(「お庭踏み」の)機会を得たが、その時に御本殿の周囲に丸石が敷き詰められていたのを思い出したのである。そして森閑とした清浄な雰囲気の中、お神酒をいただき自然と厳粛な気持ちになっていった、あの情景とよく似ていると感じたのである。 霊と現世の掛け合いを基本にする能の世界と、あの「お庭踏み」において感じた太古の霊の世界とが、どこかで相通じているような、そんな非日常の体験を味わった瞬間であった。