『「クニ」というもの』

 

 先日、はじめて佐賀県にある吉野ヶ里遺跡を訪ねた。想像していたよりも壮大な環濠集落遺跡の規模に驚いた。写真で目にしていた主祭殿に昇って弥生時代の集落の全景を俯瞰しながら、しばし遠つ世に想いを馳せ、古代ロマンの世界に夢を馳せた。そして壮大ではあるが、木柵と濠といういたって簡易な人造物で囲まれたなだらかな丘陵全体が弥生時代の「クニ」という概念であったのだと想うとき、おそらく共同体に毛の生えたような単純な統治機構と、それを許容したであろう弥生人の素朴な思考構造にある種の羨ましさを覚えた。そもそも「クニ」というものは共通の価値観を有する人々が、価値観を異にする外敵から自らの生命と財産を守るため智恵と労力を出し合い築き上げたものであることが、この悠揚とした佇まいを見せる吉野ヶ里遺跡を眺めているうちに自然と体感されてきたのである。

 

翻って日本という「クニ」を思うと、今、日本人と呼称されている人たちが共通にしている価値観、今流にいえばアイデンティティーとは一体何なのか、何に価値を求めて日々を過ごしているのか自問せざるをえなかった。混迷を深める今日の国際社会のなかで、日本の社会構造はますます複雑さを深め、閉塞感を強めてきている。ほぼ毎日起きているといってよい陰惨で卑劣な事件の数々、公共道徳の欠如もここまで来たかと思える電車内の日常的な光景、経済苦を理由とした自殺者の急増といった不幸であまりにも哀しい社会事象を目や耳にするにつけ、この国は一体どうなってしまったのか、そしてこれからどうなって行くのかと真剣に憂えざるをえない。

 

 価値観を共にする先達たちが集い、智恵と労力で築き上げた「クニ」。そして、その後も様々な価値観をもった人々を受け入れ、見事とも云えるほどに絶妙な調和をはかりながらこの日本という「クニ」を築き上げてきた先達たち。その深遠な智恵と匠の技のような卓抜した調和力にあらためて頭が下がるのである。当然のことながらこの国の歴史書を紐解けば、度重なる戦もあり、謀略の蔓延する不幸な時代もあった。しかし、「クニ」が滅亡してしまう寸前で、英雄が出現したり、その時の国際情勢が味方するなどして必ず逆バネが効くことで、その国難を乗り越えてきたこともこの国の歴史が明解に語っている。

 

 今日の日本という「クニ」を眺め、理解するのは、吉野ヶ里遺跡を俯瞰するほど容易でないことは自明である。ただ、「クニ」というものが誰かのために存在するのであり、何かの価値のために存在するのであるという、そのことだけは古代から何ら変わっていないはずである。そうでなければ、こうした「クニ」という共同社会の仕組みはとっくに無用になっていたはずであるからである。しかし、現在の日本という国は「クニ」という基本概念がぼやけ、真に熔融し始めているといってもよい。「クニ」を消滅させないために何を自分たちはいま成さねばならないのか。投げかけられている課題はあまりにも大きいが、この解答なくして残念ながら日本という「クニ」の存続はありえない。

 

 その解答は「憲法の見直し」であるのか「社会規範の確立」であるのか定かではないが、吉野ケ里遺跡をのんびりと歩いているうちに、『そもそもの議論を国民的な規模でやるべき時機が到来しているのではないか』、『このままではこの「クニ」は雲散霧消の憂き目に遭うよ』と弥生人が私に問い掛けてきているような気がしてきたのである。