NHKが12月6〜8日にかけて実施した世論調査において、安倍内閣支持率は前月比10%下落、50%へと急落、第二次安倍内閣発足後の最低水準となった。また不支持率も、35%(前月比+10%)へと大きく上昇した。


その内閣支持率に大きな影響を与えたと考えられる“特定秘密保護法”について、その成立により国民の「知る権利」が侵害されることが指摘されているが、その可能性について不安を感じるかとの問いに対しては、大いに不安を感じる27%、ある程度不安を感じる46%と「不安を感じる人」が73%にのぼった。


今回の特定秘密保護法案成立にいたる過程で、テレビ、新聞など大手メディアの驚くべき偏向報道に、わたしは正直、恐怖心を覚えた。


新聞購読を止めているわたしも、この特定秘密保護法案については各紙の社説などネットを通じ、目を通していた。


そしてテレビでは、最近、左翼的平和主義に毒されてきた関口宏の“サンデーモーニング(TBS)” や独り善がりな古館伊知郎の“報道ステーション(テレ朝)”などの同法案に関する報道をチェックした。


同法案に対する民放テレビの反対キャンペーンの過激さは異常で、どこか狂信的ですらあった。何しろ、反対、反対、反対なのである。


この法案のどの条文が国民の知る権利を侵し、どの条項が表現の自由を脅かし、どの項目によって何も知らぬ一般人が、突然、現れた警察官によって逮捕されるのかなど、具体的に明示し、その蓋然性が高いことを納得いくように解説してくれる報道はなかった。


逆に、戦前の憲兵国家・特高国家になるのだと言わんばかりに、視聴者の不安を煽りに煽るだけであった。


激しい情報戦争が繰り広げられる冷厳な国際情勢のなか、国家の安全保障の面から、この種の機密情報の保護・管理につきしっかりと法律によって制定・整備することが、スパイやテロ活動の防止、延いては国の安全保障に資する他国からの高度な機密情報の取得を可能にするのだといった視点の解説は、ほぼ皆無のように思われた。


メディアが大きな問題として取り上げた“不当逮捕”や“知る権利”について、特定秘密保護法は、“この法律の解釈適用”と題する第22条において、次のように規程している。


この法律の適用に当たっては、これを拡張して解釈して、国民の基本的人権を不当に侵害するようなことがあってはならず、国民の知る権利の保障に資する報道又は取材の自由に十分に配慮しなければならない。


2 出版又は報道の業務に従事する者の取材行為については、専ら公益を図る目的を有し、かつ、法令違反又は著しく不当な方法によるものと認められない限りは、これを正当な業務による行為とするものとする。」


わたしは上位法である憲法・第21条で保障された表現の自由、すなわち、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」があるにもかかわらず、わざわざ同法第22条でそれを担保している。


そうであるのに、どうしてメディア、言論人、ノーベル賞受賞者、果ては映画監督、女優までがこぞって、表現の自由が脅かされる、知る権利が危うくなる、特高国家になってしまうと、狂ったように我先に叫ぶのか、分からない。


そして、これらの人たちが単視眼的・視野狭窄的意見をヒステリックに表明する姿を目にするにつけ、 “鬼畜米英”と声高に叫び続けた人間が、その狂乱に眉を顰め、批判的であった無辜の国民を憲兵隊に突き出していった戦前の日本の姿に、逆にダブってしまい仕方がなかった。


法案の条文のどこの部分を読めば、そうした懸念、というより、断定的に声高に言えるのか、浅薄なわたしには、正直、まったくわからない。


中国漁船衝突事件で一色正春保安官がその映像を流出させた際に、時の民主党政権において菅直人首相(当時)「国の情報管理がしっかりとした形になっていないことに危機感を強く覚えた」と閣僚懇談会において発言している。


また、仙谷由人官房長官(当時)は国会審議の中で、「我が国の秘密保全に関する法令が、例えば、国家公務員法の守秘義務規定に関する罰則は相当程度に軽い。現在の罰則では抑止力が必ずしも十分でない。秘密保全の法制のあり方について結論を得るよう早急に検討を進めていきたい」と答弁している。


大畠章宏民主党幹事長(当時、経済産業大臣)も、「情報管理という意味では政治的な責任があるが、政府としての情報管理のあり方を全体的に見直すことが必要だ」と述べていた。


半年前まで民主党と連立政権を組んでいた福島瑞穂社民党党首(当時)も、映像流出について、「日中間、国と国の未来を左右しかねない重大なことが簡単に流出してしまうことは、日本の危機管理としてきわめて問題」と、国家機密の保護・管理が必要との認識を示していた。


そうした政党、政治家が自民・公明政権が提出した今回の特定秘密保護法案に対しては、端から廃案(一応、民主はアリバイ作りとして、杜撰な対案なるものを国会閉会ギリギリのタイミングで出したが・・・)と決め込んでの国会対応。


笑止である。


それこそ国民の生命財産を守るため、真剣に、国家の安全保障問題を、党利党略という矮小化したエゴ抜きで、熟慮したのか。


前述した政権を担っていた時点での菅首相をはじめ民主党閣僚や福島瑞穂参議院議員の発言を引用するまでもなく、今回の反対野党の本意は何であるのか、政治信条はどうなっているのか、問い質したくなるのである。


毎日新聞・社説は、この法案成立を見て、「民主主義の後退」、「民主主義を否定し、言論統制や人権侵害につながる法律」という。


朝日新聞も2チャンネルの投稿記事によれば、同法案の解説を簡単な漫画でやっていたが、その例示がどう考えても不適切というより、異なる法案としか思えぬような悪意に満ちた説明を行っている。


そして12月9日に行われた総理会見でも、特定秘密保護法必要論を主張してきた産経新聞阿比留記者質疑応答に、タイミングを合わせたように民放各局がこぞってCMを挟むといった報道は、これまでの一連のネガティブキャンペーンをはってきたこれら民放局の姿勢と併せ、どう考えても放送法の第4条(下の注を参照)に抵触しているといわざるを得ない。


報道各局が自らの行為で、国民の知る権利の道筋を狭め、抹殺しているように思えてならない。


(注)

第4条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。

1.公安及び善良な風俗を害しないこと。

2.政治的に公平であること。

3.報道は事実をまげないですること。

4.意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。


メディアとして“知る権利”の侵害を叫ぶ前に、法案の姿を正確に伝える、事実をありのままに伝えるという、そもそもの報道機関としての役割をこそ、見つめ直す必要があるのだと、心底、考えさせられた。


わたしは特定秘密保護法案の成立によって、自らの手で国を守る、真の独立を果たす意味において、普通の国となる手続きがようやくひとつ終えたのだと考える。憲法の改正になるのか、修正になるのか、実態と合わなくなっている現行憲法についても、真剣に議論すべき時期が到来していると思っている。


そして、同時に日米安全保障の問題も、その地位協定とも合わせ、誇りある日本国の安全保障をどう担保してゆくのか、国民的な議論を冷静に、丁寧に進めてゆくべきである。


今回の特定秘密法案の成立に至る過程での大手メディア、言論人など知識人と思われる人々の言動を見るにつけ、誇りある普通の独立国となるためには、真摯かつ冷静な議論を積み上げてゆくという地道な努力が必要なのだと強く感じたところである。