小野小町ゆかりの随心院門跡を歩く 壱

随心院・小町和歌石碑

花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに

さて、いよいよ随心院所縁の小野小町の話題に入ることにする。

 

小野小町は、言わずと知れた六歌仙や三十六歌仙に名を連ねる才色兼備の天才歌人である。また、古今集仮名序において「(小町は)いにしへの衣通姫(そとおりのいらつめ)の流なり、あはれなるやうにて強からず、いはばよき女のなやめるところあるに似たり」と、美女を輩出する家系の末裔といった紹介がなされている。【衣通姫:日本書紀に「(応神天皇の孫にあたり)容姿絶妙で、その美しさは衣を透して輝いた」とある美女】

 

だが、それほどの人物でありながら、生没年や素性において確かな記録が残っておらず、その一生は謎に包まれている。逆にその薄絹に覆われたような小町の一生だからこそ、深草少将(四位少将)の「百夜通(ももよがよい)」や「髑髏小町」など諸々の伝説を生み、古来、浪漫の心を掻き立て、魅惑的な女性、人の世のはかなさを具現する人間として日本人の心のなかに生き続けているとも言える。


 この随心院には小町縁の化粧井戸や文塚などがあり、物語性豊かな山科の小野の郷を堪能できる。邸内を出て、外塀をぐるりと一周することになるが、小町の謎めいた一生に少しでも触れられたような気になるので、ぜひ、時間に余裕をもって廻ってみられることをお勧めする。

化粧の井戸案内板
小町の化粧井戸への案内板(この辺りが小町の屋敷跡と伝わる)

化粧井戸石柱
化粧井戸の石碑

小野小町化粧井戸
思ったより大きく深い井戸でした。ここの水が小町の美貌を作った

随心院外周・先に小町文塚
随心院の南外塀の小道(この先、左に曲がると文塚)

随心院外壁・斜め前に文塚
外塀を東に廻り込むと、趣のある土壁となる。斜め対面に文塚

正面に文塚
正面に文塚がある

文塚説明書き
文塚の説明書き

文塚
文塚:この下に千束の恋文が埋められ、供養されているという

金堂跡地宝搭
文塚手前にある、かつての金堂跡に建つ宝筺印塔(ほうきょういんとう)

 

 そして、こうした小野小町を身近に感じたのち、「能」の世界に目を向けて見ると、物語では華麗な前半生と対極にある老残の小町が描かれているのみである。「卒都婆小町」、「通小町」、「関寺小町」など老婆となった小町が題材としてなっている。絶世の美女の時代を中心に扱ってはいないのである。 

 それは、そうした小町を描くことで「明」から「幽」へ、「幽」から「明」へとその「裁面」・「境」はないのだということを、愚かなるわたしに教えてくれるようである。また小町という絶世の美女の老残と落魄を舞台で見せることで、形あるものは必ず「無」となることを、目で実感させてくれるとも言える。

 

 こう理詰めで考えて見れば、「能」の世界に生きる小野小町とは、「幽明」両界は薄絹一枚ほどの堺もないのだということを伝えるのに最適な人物の一人なのであろう。

 

しかし、凡夫のわたしは随心院を紹介するにあたって、あえて冒頭で、次の歌を紹介した。

 

あかつきの 榻(しじ)の端書き 百夜書き 

君の来ぬ夜は われぞ数書く

 

この歌は上の句を深草少将が、下の句を小町が詠んだという伝承が残るものである。深草の少将が誰かもハッキリしていないのに、こんな歌があるものかと頭では分かるのだが、やはり心ではこんなことがあってもいいんじゃないのかと、思ってみたくなるのである。


百夜通の榧の実
院内に飾られる99個の榧の実(数を数えるため数珠にした穴があいている)

小町榧(かや・古木)切株
小町榧の古木の切り株


 

何とも、ロマンに満ちた心の通った言い伝えではないか。

 

ちなみに、この歌の本歌というより、元歌は古今集の巻15に収録されている。詠み人知らずで、「暁の鴫(しぎ)の羽がき百羽がき君が来ぬ夜は我ぞ数かく」という歌である。冒頭の和歌は、その異伝であり、「奥義抄」「袖中抄」などに引用されているという。

 

 また、この歌を信じてみたい方は、深草の少将の住まいだったと伝わる墨染欣浄寺(ごんじょうじ)(京都市伏見区西桝屋町1038)から随心院までは距離にして5、6キロ、徒歩で1時間半ほど。ぜひ、一度は「少将の通い路」を歩いて、「百夜通」の恋の路をお試しになってはいかがであろうか。