讃岐の餡餅雑煮
2017年酉年、明けましておめでとうございます 彦左の正眼よろしく
あけましておめでとうございます
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
毎年わが家の正月は、年の瀬から押し寄せる弟一家、息子一家とその子供たち、それからグループホームで暮らす娘が帰宅し、総勢12名といういわば移動動物園がやってきたようなカオスいやお祭り状態となる。
さて、そんな毎年の正月であるが、細君はクリスマスが終わるとおせち料理の準備に入る。
まず28日には「もちっ子」で餅つきがはじまる。その前にもちょこちょこと下拵えをしている模様だが、申し訳ないことだが、細かくは知らない・・・。
そのため餡餅作りをふくめた餅つきは年の瀬の一大行事である。
餡餅のほかに、御飾用の鏡餅、それから桜エビの入った海老餅、海苔の入った緑色をした海苔餅と何も入らぬ白餅と多種類の餅がつかれる。
帰宅時にはそれぞれの家庭が各種の餅を持ち帰るので、今年は10kgと多めにもち米をついていた。
海老餅が毎年人気が高く、今年は海老餅を多めについていた。
チビどもはまだその意味もよく分からずに食べているが、年を重ねて振り返って、おばあちゃん手製のお節はおいしかったなぁと思い出してくれたらいいなと、傍らでわたしは思っている。
例えば、田づくりなどは、WOWOWをチラ見しながら夜鍋仕事のようにして、苦みをなくすために小さなカタクチイワシの腸を器用に指で取り除いている。だから水飴でまぶされて仕上がった田づくりはわたしの好物となっている。
そしてこの田づくり、実は赤ワインととても相性がいいのである。
ということで細君の田づくりは「日本の伝統料理も捨てたものではない」とひとり悦に入ることのできる隠れたイッツピンなのである。
また息子の大好きな栗きんとんもいつも大量につくってくれているが、モンブラン大好き人間の娘や子供たちのイナゴのような参戦により、三が日で私の口に入るのはいつも僅かなものとなる。
今年などは薩摩芋キントンのみがわたしには配膳され(子供たちがお手伝いで祝い膳を調えていた)、大ぶりの栗が元旦にわたしの口に入ることはなかった・・・。
ここで今年の元旦の祝い膳であるが、子供たちがお手伝いをしたいというので、品目の配置がややバランスを欠き、様式美を好むわたしとしては不満も残るのだが、これも伝統を後世に・・・大げさだぁ・・・よしとするしかない。
これは海老アレルギーを自認する娘やローストビーフの方がいいという子供たち用の祝い膳となっている。
これも時代の要請ということでヨシとするしかない・・・
さて引き続きお節だが、次に、釘を入れて煮た丹波の黒豆は黒光りして艶やかでいつもおいしい。
仕上がりの段階で、細君がこれくらいで味はよいかと、わたしに味見を依頼するのだが、この味見を終えて、残り汁を飲み干すのが実はわたしの隠れた歳末の楽しみのひとつなのだ。
この黒豆、甘くておいしいのでこどもたちの好物なのだが、一粒ずつ箸でつまむのが面倒くさいのか、お重に盛られた黒豆までは手がのびず、わたしの口に好きなだけ入るのでいつも幸せな気持ちになれる代物で、まさに福豆とはよく云ったものである。
その割に年々自分がまめまめしく立ち働くようになっているかと云えば、逆に年とともに無精の振る舞いが募っているのだから、黒豆の限界効用も年毎に逓減しているのだと思う。
昔習った経済理論の「限界効用逓減の法則」はわが家では見事に実証されていると言える。
そんなこんなのおせち料理談義だが、もうひとつ忘れてならないのがお屠蘇である。
ミツカンのミリンについているオマケの屠蘇とはモノがちがう。信心の足りぬ細君などは「かわらないんじゃない」などと不逞の言葉を吐くが、糺の森を吹き抜ける涼風のような神々しくも清々しい風味の屠蘇酒である。
口をつけてその神威を感じとれぬとは・・・あぁ!!・・・
といった具合で、賑やかな正月も三が日が過ぎるとまたは静かな老夫婦二人だけのわが家に戻っていく。
てな具合で、正月の疲れもとれたところで(細君は獅子奮迅の活躍であったが、このわたしは何もしてはいないのだが・・・)、今年最初のブログを記したところである。
本年がみなさんにとって本当によい年であるよう心よりお祈り申し上げ、箸を・・・もとい・・・筆を置くこととしたい。