2012年秋の嵐山・嵯峨野=“トロッコ列車”で保津川下りに行ってきました!!
2012年秋の保津川下り=保津川下り乗船場へ“馬車”に揺られてポッコ、ポコ
2012年秋、保津川下り=乗って知った! 知っとくと便利な豆知識
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これからコースの見どころ、楽しみどころをご紹介していくのだが、その前に“保津川”なるものは一体どういう川なのかについて説明をしておかねばならぬ。

迫る渓谷にJRの鉄橋
保津川

なお、この説明が、あぁ鬱陶しいという方は次の保津川下りレポートへスキップしていただいて構いません。

さて、そもそも保津川とはどこからどこまでを言うのとか、保津川の下流はあの有名な桂川につながってるよねとか、ひとつ流れの川を保津川とか桂川って呼んでいるの?ってな、いろいろ疑問を抱かれる方も多いと思われる。

そこで船下りの前に、その点だけは一応、得心しておいた方がよいと思われるので、少々、保津川についての薀蓄(うんちく)を述べさせていただく。

そもそも“保津川”の行政上の呼称はあの有名な“桂川”である。その“桂川”は琵琶湖から流れ出る唯一の河川で大阪湾に流れ込むあの“淀川”の水系に属する一級河川だということである。

そして桂川の源流はと謂えば、日本海の若狭湾へ流れ込む由良川水系と、最後には瀬戸内海(大阪湾)に流れ込む淀川水系(桂川)との大分水嶺である佐々里峠(京都市左京区広河原と京都府南丹市の境)にまで遡る。

その“桂川”は源流を離れると、まず左京区の広河原、花脊を南流し、花脊の南部で流れを大きく西へと転じる。そして今度は右京区の京北地区を東から西へ大きく蛇行しながら横断し、南丹市の世木ダム・日吉ダムへ流れ込み、日吉ダムから出ると今度は亀岡盆地へ向けて南丹市を南下してゆく。

亀岡市の中央部を南東の方向に縦断して、途中、保津川下り乗船場を過ぎて、保津峡に入ってゆく。


保津峡の入口・請田神社下

その保津峡をさらに南東へ流れて嵐山に到達、京都盆地へと出ることとなる。


右が嵐山、この先に渡月橋があります

それから桂離宮脇を過ぎ一挙に南下し、伏見区の辺りで鴨川と西高瀬川を併せ、大阪府との境で宇治川と木津川と合流し、淀川となり、大阪湾へそそぎ込むこととなる。


平等院の脇を流れる宇治川

要するに、“桂川”は、京都北部の佐々里峠という大分水嶺に源を発し僅かに南流するが、市街の北端辺りで西行し南丹市にて、今度は南東方向へと流れを変え、亀岡市を抜け、伏見区で京都市街を流れてきた鴨川と合流するまで、京都市街をあたかも避けるかのように、また京都の町を抱き込むようにも見える、大きく“くの字”形をして流れているのである。


そのように洛中を包み込むように流れる川だけに、京都の長い歴史と合わさって色々な面を併せ持つ川が“桂川”だといえる。


そのため桂川には、一本の川でありながら、その歴史との関わりに於いて、その流れのある個所に通称としての川の名前が冠されているのである。

その源流から順にその通称を列べると、次の如くである。

上桂川→桂川(南丹市園部地区)→大井川(南丹市八木地区から亀岡市)→保津川(亀岡市保津町請田から嵐山)→大堰(おおい)川(渡月橋を挟み堰と堰の間2km)→桂川

何とも賑やかな変幻自在ぶりである。そして、驚きが、嵐山の名勝、渡月橋の真下を流れる時は、“桂川”ではなく“大堰川”という通称というのだから、面白い・・・。


渡月橋の下を流れる川の通称は、なんと、大堰(おおい)川といいます

その詳細については当ブログの “名勝嵐山の桂川は変幻自在” (2009.2.1)にも詳しく記載しているので、それを参照されたい。


堰の手前までが保津川・その先渡月橋をくぐり2kmほど先の堰までが大堰(おおい)川

要は、保津川とは桂川の一部、保津峡の入口である保津町請田から嵐山の下船場の先の堰まで、まさに保津川下りの16kmの流れを呼ぶ通称であるということである。


堰の右が保津川、左が大堰川

なお、京都の豪商、角倉良以が慶長11年(1606)に保津川を開削し、丹波から京都への水上輸送を確立してから400年余が経つ“保津川下りの歴史”については、“保津川下り公式HP”に詳しいので、それを参照してください。

もう、そんなこんなで紙数を費やすのはよそう。さぁ早く、保津川下りの船出としよう・・・