松代散策=1−松代町の概要
松代散策=7−川中島の戦い(古戦場・胴合橋)
松代散策の1において「静謐(せいひつ)」と表わした松代の町並みを、ここではご紹介する。
象山裾をめぐる「思索の小道」
歴史的道すじ(歴みち)
歴史的道すじ(歴みち)
山寺常山亭は象山壕、恵明禅寺を見学して「歴史的道すじ」(当地では「歴みち」と呼ぶ)を北へ向かうと、左手に長屋門形式といわれる全長約22mの松代一の大きさを誇る表門が見えるので、すぐそれとわかる。表門をふくむ一連の塀沿いには「カワ」と呼ばれる水路が清澄な水をゆったりと流している。常山亭前のその「カワ」には黒い大きな鯉が泳いでいた。
山寺常山亭の漆喰塀と長屋門形式の表門(黄色の部分)
塀に沿って「カワ」と呼ばれる用水路がある
表門前のカワには黒い鯉が・・・
常山亭表門
門を入ってすぐ正面に泉水庭
邸内は神田川の水(泉水)を引き入れた池のある庭園となっている。この泉水は塀の外を通るのではなく、邸内の泉水路を通り、隣の屋敷の池へと連綿と流れてゆく。今では泉水でつながる池も数少なくなっているが、武家の時代に各屋敷の池の水が邸内同士の水路でつながっていたとは、どこか松代藩の一体感や温かみを覚えさせる話である。そして町造りという意味では、松代は「カワ」や「泉水路」といった水路を縦横に駆使したエコな町であったともいえる。
また、建築物としては大正から昭和初期にかけて建てられた書院が存在するものの、主要な建物は大正時代になくなっている。そのため、拝観者は屋敷の敷地の大きさを一望し、西側に借景となる象山を目にすることになる。
突き当りが書院
常山亭から竹山随護稲荷神社が見える
常山先生の石碑
この屋敷の主である山寺常山は佐久間象山、鎌原桐山(かんばらとうざん)とともに松代三山と呼ばれ、寺社奉行や郡奉行を歴任した八代藩主幸貫の信望厚い人物であった。
現在、ここは観光客の無料休憩所にもなっており、トイレも清潔で温かいお茶もいただけるので、散策に疲れた時には絶好のお休み処である。
途中に武家屋敷のような一般のお家も
旧横田家標識
寄棟茅葺の主家
常山亭からまた少し北へゆき、象山神社角を東に折れて記念館前を北に折れた所に国の重要文化財に指定されている旧横田家住宅がある。横田家は禄高百五十石を食む、常山同様に郡奉行を務めるなど松代藩の中級武士の屋敷である。茅葺屋根の武家屋敷が当時のまま残されており、意外と廊下など狭いうえに、間取りもこぢんまりとしていた。時代劇に出てくる武家屋敷などとはかなり規模において異なっており、謹厳実直な武士の生活振りが身近に感じられる、そんな優れものであった。
式台付玄関
茶の間
勝手
便所
客間にお雛様
各部屋一望
縁より泉水池と奥に菜園
隠居所より庭を
隠居所
裏庭と小さな縁
文武学校や旧白井家表門、真田勘解由亭は時間の関係などから表からのみの見学となったが、松代の落ち着いた町並みによく溶け込み、手入れも丁寧に行き届いたものであった。
なお、当日は真田邸が改修工事(3月31日まで)のため入館ができなかったが、全面解体改修工事が終了したあかつきには、ぜひ屋敷や庭園をご覧になるとよい。真田家所縁の宝物は隣の真田宝物館で見学できる。250年の歴史の重みと継続することの価値を実感する貴重な陳列品が多いので、ぜひ、拝観されることをお奨めしたい。
文武学校正門前に石碑
文武学校正門
旧白井家案内板
旧白井家表門(文武学校の斜め前)
真田勘解由家案内板
勘解由家正門(旧白井家の対面)
勘解由家のなが〜い漆喰塀