「あるある」や「朝ズバッ!」など昨今のTV局の暴走振りは目に余るものがある。

 そして今回は若干15歳のアマチュアゴルファーのハニカミ王子こと石川遼選手に対する過熱報道である。

 

 この少年が注目を集めたのは、5月の「マンシングウェアオープンKSBカップ」(岡山県・東児が丘マリンヒルズGC)で日本ゴルフツアー最年少優勝を達成したことにあるのは周知のことである。

 

 そのこと自体はまさにニュースであったし、同人が世間の関心を強く惹くことも仕方のないことではある。

 

 しかしTV局は放送法に基づき認可を受けた公共の電波を使用する報道機関である。おのずからその報道には公器としての平衡感覚が求められてしかるべきである。

 

 石川選手がプロ選手に転向したとすれば、その扱いはおのずから変わるのも道理である。しかし、この少年は依然、アマチュアであり、15歳のついこの前まで中学生であった男の子である。日に日にこの少年がジャニーズ系のアイドルのようにタレント然とインタビューに応えるようになってゆく姿を目にするにつけ社会教育とは何かを別の意味で本当に考えさせられる。

 

 そうした問題は脇に置くとしても、報道の在り方についてここでは言及したい。

ついこの前の日本アマチュアゴルフ選手権(第92回)を例にとるが、その試合内容、経過をスポーツ報道として伝えるのであればまだしも、今朝のウエアーは何色だとか、ピンそばに寄せたスーパーショットなどとスポーツ報道のなかで報じられる。トップにある選手も当然、ピンそばショットがあるはずだが、その映像はおろか名前すら報道されぬ。こうした報道の主旨は一体何か。彼らが伝えるべきものは何なのか。TV局の編集者たちはどう考えているのであろうか。これも編集権の独立とやらで人様にとやかく言われる筋合いのものではないと嘯(うそぶ)くのであろうか。

 

 TV局が課せられている本来の使命は何か。メディア人たちはじっくり胸に手を当てて考えるときが来ているのではないだろうか。国民は最近のTV局の不祥事やその後始末の在り方の不誠実さと傲慢さに、ほとほと嫌気が差し始めているのである。

 

 このまま報道とも呼べぬ報道姿勢が続くのであれば、真実を伝えるという民主主義の根幹にかかわる役割自体を国民から剥奪される、シカトされる時代もそう遠くない時期にやって来るのではなかろうか。そしてあまりにも国民を愚弄した愚かなバラエティー番組、まさに便所の落書きを、公共の電波を使って麗々しく垂れ流す腐臭プンプンの機関に転落するのも間近いと言ってもよい。報道の重みとTVの使命いう言葉などもうとうに国民の頭の中から消え去ってしまったと言わざるをえない現実、民主主義を足元から崩すメディアの現実に背筋がゾクッと寒くなってくるのである。