中山成彬衆院議員、慰安婦問題で朝日新聞歪曲報道を指摘、国会招致を要請(2013.3.20)
辞任する必要などない、中山成彬国交相(2008.9.28)
中山成彬衆議院議員は堂々と信念に殉じて出馬すればよい(2008.10.17) 



925日、中山国交大臣(当時)は成田空港の拡張問題、観光振興に関する単一民族そして日教組が教育のガンという3つの失言を行なったとしてマスコミをはじめ、関係者および関連団体から厳しい批判を浴びた。同氏はその一連の発言が招いた混乱の責任を取って、国交大臣を辞任した。そして103日になり、麻生総理にこれ以上国会で頭を下げさせるわけにいかないとして、次の総選挙に立候補しないことを表明、議員引退の道を選んだ。


わたしは「
中山成彬国交大臣はそも辞任すべきではない」と主張した。それが、今度は議員辞任である。まことに残念でならぬ。国益の視点から自身の政治信条をここまではっきりと国民に対して訴える中山氏のような人こそ、政治家の資質を備えた国民のための政治家であると考えるからである。どう考えても中山氏は政界を引退すべきではない。そもそも失言とされる3つのことも、成田拡張問題と観光振興に絡んだ単一民族・内向き発言の2点については、発言を撤回し、謝罪をしている。


唯一、「日本の教育の『がん』である」と評した日教組に対する一連の発言を最後まで撤回していないのである。

中山氏は大臣辞任翌日の929日、批判の嵐のなかで敢えてTBSのニュース・情報番組「みのもんたの朝ズバッ!」に出演した。日教組批判の真意と日教組の実態をより詳しく伝えたいとの目的であったのだろう。しかし同番組には民主党の山岡賢次国対委員長に加え、与良正男毎日新聞論説委員らレギュラーコメンテーターが同席しており、結局は同氏の発言の真意が十分に国民に伝わることはなかった。

失言ということに関して言うと、中山氏の失言を厳しく糾弾した山岡国対委員長にも「アイヌの血を引く蛮族」発言(200710月)で、かつて陳謝、撤回した前科がある。さらに当日の番組中でも「麻生総理を支持する秋葉原の若者たちはナチス党員・軍国主義者」と採られかねない不穏当発言をした。政治家の失言という点では、山岡議員の方が同等かそれ以上の暴言を吐いているとも言えるのである。

そして「日教組が今の日本の教育のガンである」という中山発言は、実はネット上ではかなりの賛同を得ている。また中山氏の事務所に「よく言ってくれた」といった激励の電話やメールがたくさん来ているという。そうした状況を考慮すれば、みの氏が番組中で紹介した中山国交相が辞任すべきか否かを問うた「JNN世論調査」の「辞めるべき48%・辞める必要なし45%」という結果は、緊急で行なった割には世論の実態を意外と正直に伝えているのかもしれない。

現在の日本の教育について多くの国民は「本当にこのままでよいのか」「人心荒廃の背景に戦後教育の破たんがある」と感じているのではないのか。その一つの意思表示が「日本の教育の『がん』である日教組をぶっ壊す」という中山発言に対する「辞める必要なし45%」という約半数にのぼる数字であり、その数字が示す意味合いは大きいと言うべきである。

そう考えたとき中山議員の体を張った、途中からはおそらく政治生命をかけた日教組批判に対し、自民党の閣僚ならびに議員が異口同音に「暴言」だの「非常識」だのとメディアや民主党と同じことを言ったのには、あいた口が塞がらなかった。

自民党は当然のことだが教育基本法(200612月公布・施行)の長年の改正論議のなかで、かつての社会党や民主党の有力な支援母体である日教組に対し厳しい批判を繰り返してきた。自民党のHPでは「あきれた社会保険庁の実態」などと並び「あきれた教育現場の実態――これでもあなたは日教組に子供をまかせられますか」という意見コーナーまで設け、日教組批判の情宣に努めている。日教組批判の小見出しは「どうして学力調査まで拒否するのか、理解不能」「自民党は日教組問題に敢然と立ち向かいます」「日教組の目的は、民主党議員を当選させること」「教育格差を広げる日教組=民主党」「日教組の民主党か、国民の自民党か答えは明白!」といった具合である。

中山氏が発言している日教組批判の真意は、これまで自民党が堂々と国民に対して公表してきたことなのである。党の公論である日教組批判に対して、失言だの空気を読めていないなどとコメントする自民党議員こそ、その政治信条を疑わざるを得ないし、政治家としての資質を問わねばならないのではないのか。

議員を辞めねばならぬのは、党の公論に基づき日教組をぶっ壊すと発言した中山元国交大臣ではなく、世論の風になびき、メディアに媚び、総選挙におびえた政治信条の欠片もない他の自民党議員たちなのではないだろうか。

発言の真意を汲み取ろうとする公正・客観的姿勢も見せず、言葉狩りに汲々とする大手メディアや評論家と称するメディアに巣食う奸物たちが、気骨ある政治家の発言を封じ、政治生命を奪う国家の様に、わたしはそれこそ戦前の言論弾圧を見させられているようで、非常な恐怖感を覚える。

そして自党の公論に基づき政治生命をかけ信念を持って発言を重ねる同志を守ることすら出来ぬ自民党政治家は、党の公論をないがしろにする不実・不逞の輩であり、こうした人々を政治家と呼ばねばならぬ国民の不幸せに心はいよいよ重くなるのである。