彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

新銀行東京

パンダ、いなくていい?→石原都知事こそいなくていい

パンダ、いなくていい?→石原都知事こそいなくていい

 上野動物園のジャイアントパンダ「リンリン」の死去したことについて、石原慎太郎都知事が 「(パンダは)いてもいなくてもいい」などとまた暴言を吐いたというが、新銀行東京への400億円増資を強行した石原都知事こそ、「いなくていい」。「いてもいなくても」ではなく、こちらは、「いなくていい」のである。

 パンダのことを石原慎太郎という都知事に訊く記者も記者だが、自治体の首長である公人が発する内容の言葉ではない。あまりに品性を欠く言葉、人物としか言いようがない。

 新銀行東京については5月1日、「不法不当な支出」として、都民10人から石原都知事に400億円の回収を求める住民監査請求が出された。それと同時に、設立時に都が出資した1000億円についても石原知事の公金管理責任を追及、私財などによる損害の穴埋めを要求している。監査請求の結果次第で住民訴訟も検討しているという。

 近々、監督官庁である金融庁の検査が新銀行東京に入ることが明らかにされたが、その検査のなかで、なぜこの短期間のなか1000億円もの損失が生じるそんなずさんな経営がなされたのか、東京都というより、言い出しっぺの石原都知事が損失拡大に結果として大きな影響を及ぼしたのではないのかなど、原因究明を早急にはかってほしいと願う。しっかりと事の経緯と真実を都民、国民の前に詳らかにしてほしい。

 そして、そのときこそ、パンダならず都知事自身が「いてもいい」か「いなくてもいい」かを都民ひいては国民が決めることになるのである。

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どうにも納得できぬ400億円増資=新銀行東京2

どうにも納得できぬ400億円増資=新銀行東京

新銀行本店看板

新銀行ビル

新銀行正面

 

 

 

 



 

 

 



都議会与党の公明党が東京都が提案する新銀行東京再建のための増資に賛成する方針を固めた(読売新聞社3月22日)ことで、この増資案が26日の予算特別委員会でとうとう可決された。本案は28日の本会議で正式に決定をみることとなる。

 

新銀行東京についてわたしは当初からPJオピニオンで「石原都政の象徴、新銀行東京の赤字」(2006.12.5)、「赤字決算『新銀行東京』実質トップの石原都知事に株主代表訴訟?」(2007.6.5)、「『総ての責任は司令官たる自分にある』=新銀行東京」(2008.3.14)と、度々、その先行きについて警鐘を鳴らし、都知事の言動について批判を繰り返してきた。

 

特にH18年度決算発表後の定例記者会見(2007.6.1)で新銀行に関し、石原慎太郎都知事が口にした「進むも地獄、引くも地獄で乾坤一擲打って出る以外にない」との不適切な言辞に対しては、「乾坤一擲といった一か八かの経営姿勢なり行動をとるというのであれば、万が一経営が破綻するようなことにでもなれば、実質株主である都民(新銀行の株式の84%を都が保有)は実質、経営トップにある都知事に対し株主代表訴訟同様に、知事ポストの進退は言うに及ばず石原氏の個人財産の差し押さえをも展望した経営責任を厳しく問うていかねばならない」と断じたところである。

 

そしてこの度の「追加出資」要請の事態である。約9か月前の6月1日の記者会見では記者の「資本金に対してかなり累積損失の額が膨らんでいるが、追加出資が不要なのか」という質問に対し都知事は「これはありません。今のところ考えておりません」と答えていた。1000億円もの都税を投入し20054月に開業した新銀行東京。そのわずか2年後の2007年3月期決算で累積欠損が849億円に達したにも拘わらず、その決算発表の日に都知事はあまりにも危機意識の欠如した言葉で記者の質問を一蹴していたのである。その会見の冒頭では「新銀行東京についてでありますけども、今後2年間で経営を建て直す、そのめどをきっちりつける。少なくとも、2年後には単年度黒字を出す、そういう喫緊の目的のために人事を刷新することにいたしました」とも発言していたのである。2年後と言えば20093月期である。

 

今回、公表された薄っぺらな再建計画では、単年度黒字は20123月期へとこのわずか9か月の間に納得のゆく説明もないまま3年も後ろ倒しになったのである。


これは一体、何なのか。

 

都議会での新銀行についての野党との攻防でも「銀行の中身がよくわからない」、「株主の立場として」といった他人事のような責任逃れとしか見えぬ答弁に終始している。そうであれば9か月前の発言は何だったのか。一時凌ぎの言い繕いだったとしか思えぬではないか。中身がわかっていなければ、2年間で単年度黒字にもってゆくと答えられるはずなどない。もしわからずに言ったのであれば、自治体の首長、最高責任者として1000億円もの都民の税金を投入しておいて、あまりにも無責任極まりない発言と言わざるを得ない。

 

また一方で「株主」の立場を強調するのであれば、都民の税金を有効に運用する責任において、最低でも「善管注意義務」を全うする義務はあるはずである。株主は都民であり、都知事ではない。知事に委任しているのである。その注意義務を怠り、1000億円もの税金をドブに捨てるようなことになれば、それはプロジェクトの発案者たる都知事が責任を逃れる理屈はない。ましてや再建の道筋も明確に都民に示すことなく、さらなる400億円もの都税を投入することなど、都民の一人、いや国民の一人として到底、納得のゆく話ではない。今度の増資で再建がならなければ、傷口を大きくした末に、次は破綻処理という国税である公的資金の投入という最悪の事態も想定されないわけではないからである。

 

さらにこれは都知事のみの責任を問えばよい話ではない。万が一、再建がならねば、増資に賛成票を投じた議員一人ひとりは、特別背任ともいうべき責任に問われかねないのだと肝に銘じるべきである。来年の都議選はこの400億円増資について都民が良識ある裁断を下す番である。


 

「総ての責任は司令官たる自分にある」=新銀行東京5

「総ての責任は司令官たる自分にある」=新銀行東京

つい先日、藤田まこと主演の東映映画「明日への遺言」を観た。東海軍管区司令官であった岡田資(たすく)陸軍中将が名古屋空襲の際に撃ち落とされた米軍飛行兵を処刑した責でB級戦犯として裁かれる法廷ドラマである。タイトルの言葉はその岡田中将が横浜第一号法廷の審理において自分自身の助命嘆願を一切行うことなく自分と同じ罪に問われた19名の部下をかばい、また法理に基づく信念から何度となく繰り返し発された言葉である。「名古屋空襲は無差別爆撃であった。それは(戦争のルールを定めた)ハーグ協定違反であり、従って捕らえられた米兵は俘虜ではなく非戦闘員を大量殺戮した犯罪者として、処罰を行なった」という理屈である。しかし、判決は「ハング(絞首刑)」であった。その判決が下された場面で傍聴席の妻に対し「本望である」とだけ声をかけた中将の姿は、トップにある人間の責任のとり方、身の処し方としてまさにその品格、人の上に立つ人間の高潔な品性を感じさせるものであり、深い感銘を受けた。

 新銀行本店看板 新銀行正面

新銀行東京の入るビル

 

 

 

 

 

 

 

  新銀行東京本店    新銀行東京本店正面     新銀行の入る大手町のビル

 

翻って、400億円もの巨額増資要請で目下、都議会で紛糾している新銀行東京にかかる石原慎太郎都知事の一連の発言をみると、トップたる人物の覚悟のあり方において天と地ほどの違いがあると言わざるをえない。都議会の野党の責任追及に「最初からわたしが社長だったらもっと大きな銀行にしていますよ」(朝日新聞3月12日朝刊)とうそぶく姿は、新銀行の発案者でもあるトップたる人物の品格の欠片も感じられず、責任逃れに汲々としているように見える。

また、この2月29日の都の定例記者会見で番記者の「今現在の経営陣について(都知事は)リリーフだというふうにおっしゃったんですけども、これを刷新するタイミングというのはどのあたりをお考えになっているんでしょうか」(東京都HPより。以下同)との質問に対して、石原知事はさあ、これは銀行の当事者とも話しましてね、その後のセカンドステージの展開が、具体的に決まった段階だと思います。それはできるだけ急がなくちゃいかんと思っています」と、当然だが84%の実質オーナー株主である東京都の首長として、自分が発案し設立した銀行の人事権に大きな影響力を持つことを心ならずも口にした。

しかし、その直後の「知事は先だって、責任については、ご自身に諸々の責任があったというふうにおっしゃっているんですが、『諸々』というのは、もう少し、どのあたりに責任があったとお考えでしょうか」との質問に対しては、「まあ世の中は、この銀行を石原銀行と言われるからね、頭取の石原に責任があると言われればそれっきりかもしらんが、これは非常に皮相なものの括り方でね。私はとるべき責任はとるつもりでいますよ。しかしですね、どういう形でとるか、那辺に問題があって、それがどういうふうに構成されて、こういう事態になったかということを詳細に、要するに皆さんにわかっていただき、私も承知しなければ、今後の処理だってでき切れないでしょう」と、知事に責任があるという見方は皮相な考えであると、どこか第三者といった口ぶりでいたって歯切れが悪いのである。「公が民業」に進出することへの批判をものともせず、新銀行プロジェクトの言い出しっぺであり一番の推進者でもあった自治体のトップとして、この言い逃れとも見える様は冒頭の岡田中将をひきあいに出すまでもなく、いかにも見苦しい。

今回の400億円の増資要請と併せ、新銀行は2月20日付けで本文わずか5ページの「再建計画」を公表した。この再建計画を読み込むのにものの数分も必要としない。この数ページの再建計画を一瞥しただけで400億円という多額の増資に踏み切る経済人がいるとすれば、それは狂気の沙汰と言うしかない。内容の具体性のなさや計画の実効性に対する説得性のなさには正直あきれて物が言えない。

ひとつ数字をあげてこの再建計画の実現性に具体的疑問を呈してみる。新銀行東京の公表された直近期の決算数字(平成19年9月中間決算)のなかに利回・利鞘という項目があるが、そのなかに資金運用調達利回差という数字がある。これはいわば銀行が有する総資産の運用収益率である。19年9月期(中間)の数字は0.34%と公表されている。

今回発表の再建計画のなかで平年度ベース(つまり巡航速度の平常年度)の運用資産は700億円と計画されている。また単年度黒字化を達成する平成23年度の総資産は1360億円となっている。上記の資金運用調達利回差0.34%を仮に適用して試算すれば、平年度の運用資産から産み出される利益は、700億円×0.34%の2億3800万円となる。また仮に総資産1360億円全部が運用できたとしてもそこから生まれる利益はわずかに4億6240億円という計算になる。また同再建計画のなかに今後の経費カット後の業務経費として7億円、営業経費として26億円(平成23年度)という数字が示されている。現状の運用利回差0.34%を前提とすれば、縮小均衡の再建計画の総資産からでる利益は2億円から5億円程度と考えるのが、常識的な算盤勘定である。それしか利益が出ないのに対し経費総額は33億円(平成23年度)となれば30億円弱の大赤字になるというのが、単純な算数の世界の答えである。

しかし提出された再建計画では平成23年度の当期純利益は8億円と計上されている。その計画を利回りという別の観点から検証すれば、8億円の利益計上に必要な資金運用調達利回差は、最も利益が出るケースの総資産1360億円をすべて運用できたと仮定すると3.01%という計算結果となる。現在の新銀行東京の実績利回差(0.34%)の約9倍という利鞘まで今後の営業努力で引き上げねばならぬことになる。巷間、収益力があると言われる三井住友銀行の平成19年9月期(中間)の資金運用調達利回差ですら、その水準は0.57%でしかない。その約5倍の収益力を今後の4年間で達成するというのである。絶対的金利水準がきわめて低位にある現状の金融環境のなかで、そもそも通常の銀行業において3%もの総運用利回差を前提としていることこそ、この再建計画の実現性に大きな疑問があるのだと指摘せざるを得ないのである。

民間会社の取締役会でこうした杜撰な再建計画を鵜呑みにし増資決議を行ったとすれば、仮に将来、この新銀行が破綻した場合、増資に賛成した取締役は全員、特別背任の罪に問われても不思議はない。今回のケースで言えば、万が一そうした事態に陥ったときにその責めを負うべきは、大株主の東京都、就中、そのトップたる都知事であり、また増資要請に賛成の一票を投じる都議会議員である。特別背任という提訴はできぬが、行政訴訟を起こすべき事案であることは論をまたない。因みに2005年6月に成立した新会社法の第960条は、「取締役等の特別背任罪」について「次に掲げる者が、自己若しくは第三者の利益を図り又は株式会社に損害を加える目的で、その任務に背く行為をし、当該株式会社に財産上の損害を加えたときは、十年以下の懲役若しくは千万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する」と定めている。

言うまでもなく増資に当てられる400億円は都民の税金である。都知事がたった5ページの再建計画でフィージビリティー(事業可能性)ありと確信をもつのであれば、この増資断行に際し、何も迷うことなくその信念の証として税金投入につき債務の「個人保証」を行なったらよい。都知事の言う通り再建が果たされるのであれば、400億円という税金が紙くずになることはない。要すれば、都知事が400億円という債務の保証履行を迫られる事態などありえないのだから、信念と税金投入の妥当性への確信に基づき堂々と個人保証を行なうと宣言したらよい。そこまでやれば、「総ての責任は司令官たる自分にある」という都知事のトップたる覚悟のほどに都民も敬意を表し、400億円もの税金投入にも一応の納得を示すのではないだろうか。

 

赤字決算「新銀行東京」実質トップの石原都知事に株主代表訴訟?3

200612月11日の「石原都政の象徴、新銀行東京の赤字」で、わたしは「理念先行の石原都政が、この新銀行を都財政のお荷物にさせぬことを祈るばかりである」と述べた。しかし、その祈りはどうも天に届きそうもない。61日に新銀行東京の開業2期日の平成l8年度決算が発表された。経常損失401億円(計画180億円前後)、当期純損失547億円であった。すべて「利益」ではなく「損失」である。

 

銀行決算で「業務純益」と呼ぶ指標は一般企業でいう営業利益(=売上高−売上原価−一般管理・販売費)のようなものであり、銀行の本来業務の収益を表わすものである。またより厳密な銀行本来業務の収益を表わすものとして、特殊要因である変動的な国債等関連損益や一般貸倒引当金繰入等を除いた「実質業務純益」がある。新銀行東京のH18年度決算の「業務純益」はマイナス206億円、「実質業務純益」はマイナス85億円となった。

 

一般企業で「営業利益」がマイナスであれば、その事業は継続する「経済合理性がない」ということである。なぜなら、製品を作る原材料費や販売費、そして会社の一般管理費、それらに係わるすべての人件費などを差し引いた数字が「営業利益」であり、商売というものが利益を生み出すのが当然の理であることからすると、営業利益が赤字というのはその商売に経済合理性がないということをあらわす。新銀行東京はその営業利益にあたる「業務純益」がマイナス。またその期の変動要因を除いた「実質業務純益」もマイナスであった。

 

新銀行東京のHPではコーポレートスローガンに「従来の銀行とはちがう発想で、つぎつぎと便利なサービスを提供する新銀行東京」、「銀行の常識にとらわれない新しいスタイル」とある。

また仁司泰正代表執行役からのご挨拶のなかに「『新銀行東京』は、日本で初めての、中小企業に対する無担保融資を中核とし、多彩なサービスを提供する銀行です。債務超過でも、安定的なキャッシュフローがあれば、無担保で融資します」という金融常識からすれば大胆不敵な表現がある。これはこの銀行の出自が「技術力はあるが大銀行にいじめられ資金調達に悩む中小企業を救済」するホワイトナイトの役割を石原都知事が声高に標榜したことにある。道路公団民営化など「官から民へ」という大きな社会的要請のなかで、わざわざ公的部門が銀行業に進出する大義がそこにあった。

 

しかし、ホワイトナイトとしての活躍は実態からすると知事が吼えたようには行かなかったと言わざるを得ない。理念である「中小企業向け貸出し」が思ったように伸びないうえに、それが不良債権化しているからである。

 

開業初年度の平成l7年の83日に発表された3期目で期間黒字化を謳った「中期経営目標」において、目標年度のH19年度の業務純益は230億円、経常利益は21億円であった。そして中小企業向け融資・保証残高6020億円、預金口座数は100万口座であった。

 

ところが目標年度一年前のH18年度決算実績は冒頭の業務純益マイナス206億円、経常利益マイナス401億円であった。しかも不良債権比率は6.42%とこの一年間で5.52%もの上昇を示しているのである。

 

その決算発表時に批判をかわす意図でもあったのだろうか「新中期経営計画」があわせて公表された。単年度黒字化を当初計画より2期後ろ倒しし、目標年度をH21年度とするものである。その主要な経営指標は、H21年度で業務純益28億円(当初中期計画H19年度 230億円)、経常利益10億円(21億円)であった。そして本丸の中小企業向け融資・保証残高は1610億円(6020億円)と大幅に目標ダウン、預金口座数にいたってはわずか10万口座(同100万口座)に減少している。

 

当初の意気込みとあまりに違う数字に愕然とする以上に、この「新中期計画」も内容をつぶさに見ると、その実効性に首を傾げざるを得ない点が散見される。一例を挙げれば、「営

業推進体制の再構築」のなかの「営業推進担当者の増強」である。18年度末の62名を21

年度末までに110名に増やすとしている。わずか365名の総従業員数(H18.9.30現在)のなかで本部人員をスリム化、営業分野に人材を重点配置するとしている。しかし、最近の金融業界ではコンプライアンスやリスク管理などの徹底のため間接部門の要員強化を逆に迫られているのが実情である。

 

そうした業界環境のなかで「従来の銀行とはちがう発想」で経営する「新銀行」であるから、それも話としてはありうることかも知れぬ。しかし営業経費計画の具体的数値を見れば、その実現可能性に疑問を呈せざるを得ないのである。

物件費と税金を除いた純粋な営業経費はH18年度実績が35億円、目標年度の21年度が25億円である。営業要員を8割も増員して、純営業経費は逆に4割もの大幅減を達成させるという。コーポレートスローガンにいう「銀行の常識にとらわれない新しいスタイル」がこうした魔法のようなことを意味するのであれば、そして「従来の銀行とはちがう発想」で「新中期経営計画」が作成されているとすれば、その実現性はきわめて危うく、その根拠も脆弱であると評価せざるを得ない。

 

H18年度決算発表後の定例記者会見で石原慎太郎都知事は「できないと思ったらやらない。発案は私でその責任はあるが、私も金融の専門家ではない。経営者に責任がある」と素人が無理やり銀行を創らせ大幅赤字にしたことには頬かむりし、「進むも地獄、引くも地獄で乾坤一擲打って出る以外にない」と不穏当な言辞を弄した。

 

乾坤一擲(けんこんいってき)とは「運命を賭してのるかそるかの勝負をすること」を言う。l000億円もの税金を投じた事業に対し自治体の首長が口にすべき言葉ではない。乾坤一擲とは知事自身の己の財産なり命を賭して勝負をするときに使う言葉であって、都民の税金である公金を使った事業で、「一か八か」の博変(ばくち)を打つなどあってはならぬことである。

 

そうした経営姿勢なり行動をとるというのであれば、万が一経営が破綻するようなことにでもなれば、実質株主である都民(新銀行の株式の84%を都が保有)は実質、経営トップにある都知事に対し株主代表訴訟同様に、知事ポストの進退は言うに及ばず石原氏の個人財産の差し押さえをも展望した経営責任を厳しく問うていかねばならない。

石原都政の象徴、新銀行東京の赤字3

石原都政の象徴、新銀行東京の赤字

 

 11月30日に新銀行東京の第二期中間決算が発表された。同行は貸し剥がしで中小企業いじめをする大手銀行を批判する石原都知事の肝いりで、『資金調達に悩む中小企業を救済すること』を理念とし2005年4月に鳴り物入りの誕生をみた。その設立は銀行バッシングが続く世論を背景に、か弱き中小企業をいじめる悪者の大手銀行に立ち向かう正義の味方の登場といった風で、当時、木村剛氏らが興した日本振興銀行(2004.4設立)とあわせて世間の話題をさらったものである。

 

 BNPパリバ信託銀行を買収、名称変更を行い、再開業して2期目の中間決算である。スタート時の「マスタープラン」では3期目の来年は単年度黒字を達成する計画である。ちょうどその折り返し地点に来た恰好である。この9月中間期の赤字は当初予想純利益(▲100億円)を5割上回る▲154億円に上った。この結果、累積欠損は456億円に膨らんだ。石原都政はこの新銀行発足に際し、「官から民への動きに逆行」、「利子補給あるいは保証による信用補完でよい」といった内外のさまざまな意見にもかかわらず1000億円もの都税を惜しげもなく投入した。まだわずか一期半の決算でいたずらに結論を急ぐべきではないが、創業赤字とはいえ投下資金の半分がすでに消滅している。

 

 理念でもある融資・保証残高は平成18/3末実績の1,930 億円から今年度末計画の4,300億円(平成18/3末比純増2,370億円)に対し、この9月末残高は2,820億円(同890億円)と、今半期計画の約8割の達成率にとどまっている。この資産が増えぬことには黒字化は遠のくばかりである。一方で、預金残高は5,436億円にのぼるため、残る運用を国債に依存するかたちで今中間期残高は1,860億円に達し、半期の純増額は融資・保証額にほぼ肩を並べる758億円に及んだ。国債の保有は今後、金利上昇が予想されるなかでは含み損を拡大させる懸念を有するものである。そうした資産が運用の本業である融資・保証残高の2/3も占めるのは、財務的には金利上昇局面にきわめて脆弱な不安定さを持つ構造であると指摘せざるを得ない。その意味で現状の金融マーケットにおいて新銀行東京はきわめて困難な状況に置かれていると言うしかない。

 

 『資金調達に悩む中小企業を救済する』理念はすばらしいが、当時、「中小企業貸出が伸びなかった」原因がどこにあったかという実態分析を軽視した理念先行の石原都政が、この新銀行を都財政のお荷物にさせぬことを祈るばかりである。新銀行東京の不良債権比率はこのわずか半年間で0.9%から2.0%へと大きく増加している。

 

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