初めて政治家というものの演説を知った
――小沢一郎民主党代表候補の演説
4月7日の午後3時から民主党代表候補としての菅直人、小沢一郎両氏の演説を聞いた。菅直人氏に続く小沢一郎氏の演説に耳を傾けながら、私はこれまでこのように明確な国家観をもった政治家の演説を聞いたことがないと思った。非常に格調の高い演説であった。「政治家たるもの言葉が命」とはよく言われる。真にそのことを知らされた名演説であった。
小沢氏は1993年に「日本改造計画」という著書で、その政治理念なり、国家観は明確に提示されていた。しかし、文字と言葉の違いを今回ほど知らされたのは初めてである。ひと言、ひと言、噛み締めるように語る小沢氏の表情には、その口から吐き出される言葉の重みと同様に緊張と真摯さが窺われた。
小沢一郎議員には「豪腕」、「壊し屋」、「寝業師」、「傲慢」といった本人にとっては嬉しくない評語がよく冠される。私もこれまでの小沢氏の政界遊泳のあり方に大きな疑問と不満を持ってきた人間である。決してその強引とも見える手法や非情とも思える行動原理に賛同はしない。しかし、同氏の持つ指導者としての資質は巷間云われている通り、おそらく本物なのであろう。何より今日の演説がそのリーダーとしての資質を証明して見せた。先に終わった菅直人氏の演説と比較してみて、その国家観のあり方、言葉で人心を捉える力量の差の大きさにあらためてびっくりした。
菅氏は所詮、市民活動家の域を超えることが出来ぬ政治家であったのだと逆に再認識させられた。ディベート上手とは言われるが、国家の舵取りを任せる最も大切な国家ビジョンをこの政治家の演説から汲み取ることは出来なかった。そして、この民主党代表候補の演説者のなかに小泉総理が参加していたら、もっと「政治家たるもの言葉が命」の真の意味がはっきりしたのではないかと思った。ワンフレーズで国家ビジョンが語れるほど国家の運営は簡単でないことを国民がはっきり知るよい機会であったと思ったからである。
そして、小沢一郎119票 : 菅直人72票で小沢氏が代表に決定
その選挙後の記者会見でそうした国家ビジョンについての質問がなかったのは残念であった。と云うよりも、その政見に対して質問するのがメディアの基本的姿勢であり、挙党体制や菅氏の処遇はどうかと云った党運営に偏重した質問が真っ先になされるのは、メディアが抱える問題意識の低さを表わしているようで残念でならなかった。もっとベテランの記者がこうした大事な会見には出席し、本質的な質問をすべきだと思った。国民が今、知りたいことは何か、知らせねばならぬことは何かを自らが問い質し、聞き出し、知らせて欲しいと思った。小沢氏がこの若い記者の質問にイライラした表情を見せたのも、おそらく「俺が今日言ったビジョン」をお前は聞いていたのかと云いたかったに違いないのだと私は思った。明日の新聞にはおそらく「自分も変わらねばならぬ」といった口の先から小沢氏は以前の小沢氏の顔を見せたとでも、大新聞の一面に見出しが躍るのであろうか。二大政党という政治情勢を何が何でも生み出してほしい、小沢という男に期待をしてみたい、「政治家の熱い声」を聴きこの日本という国を一度、任せてみたいとそう思った。