彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

捏造

メディアの責務、「人の噂も75日」に時効の中断を!3

 

「人の噂も75日」と言われるが、昨今の凶悪事件の多発や多様化する情報の氾濫から、その75日という時日が極端に短くなっていると感じる。テレビや新聞で見かける法廷報道で「あぁ、こんな事件があったなぁ」と数年前の事件のことを思い出すという経験をどなたもお持ちではなかろうか。

 

 これだけ多様なソースから情報がシャワーのように毎日、秒刻みで浴びせ掛けられると、一週間前の出来事さえ遠い昔のように感じてしまうことも度々であり、それも仕方がないことだと妙に納得してしまう自分に空恐ろしさを感じてしまう。

 

 しかしわれわれは決して忘れてはいけないことがあることを覚えておかねばならない。そして情報洪水のなかでメディアはその忘れてはならぬことを時に応じリフレインのように社会に対し記憶再生させる責務がある。それは目の前の事件や災害に目を奪われ、その情報処理に忙しい社会に、意識の奥底に埋没させた忘れてはならぬことを思い出させ、その後の検証・フォローをさせ、現状がどうなっているのかを社会全体で再認識する必要があるからである。そのことは未解決事件の解決につながり、事故や災害被害の悲惨さを忘れないためであり、そしてそこから学んだ貴重な教訓を風化させぬためである。

 

さらに繰り返し思い起こさねばならぬものに、政治家をふくめた人々の口から発された「言葉」がある。その言葉とはいま流行りの失言と言うより、その場をしのぐためあるいは事件を少しでも早く手仕舞いたいがために発された「謝罪の言葉」のことである。

 

人間の「言葉」は当然ことだが、時と場合により大きな重みを持つことがある。

一例として挙げれば、いじめを苦にして自殺した筑前町立三輪中学二年生男子の担当教諭の「謝罪の言葉」である。ご遺族の前で彼は「一生かけて償います」と頭を下げた。そのとき、わたしはこの人物が口にした言葉に瞬間的に疑念を持った。この男は「己の一生をかけた償い」という言葉の重みがわかって謝罪しているのだろうかと思ったからである。

 

福岡県警は19日、暴力行為法違反(共同暴行)の疑いで自殺した少年の同級生3人を書類送検した。そして担当教諭についても事情聴取を行ない慎重に調べを進めているという。

 

JR西日本の福知山線事故、パロマガスの湯沸かし器事故、不二家の消費期限切れ食品問題、関西テレビの「あるある大事典供忸埖い修靴督日新聞の盗作問題等々、不祥事のたびに繰り返し「謝罪の言葉」が当事者の口から発される。しかしその「謝罪の言葉」に本当の言葉の重みを知ったうえで、それを口にしているのだろうか。その場しのぎの言葉であってはならぬことは言うまでもない。

 

その「言葉」の逃げ得を許さぬためにも、メディアは繰り返し「謝罪の言葉」のその後を検証する意味で、謝罪が意味した具体的行為・行動を継続的に報じる責務がある。それが例えメディア自身の「謝罪の言葉」であろうが、そこに何ら差別、いや優遇すべき点はもちろんない。「人の噂も75日」、この情報過多のなかで「謝罪の言葉」はいつしか人々の記憶のなかから消え去ってゆく。だからこそメディアはそれをリフレインすることで「75日の時効」を常に中断させる責務があると考える。

 

 担当教諭の「一生かけた償い」の中身はいったい何なのか、われわれは常にその成り行きに眼を光らせてゆかねばならない。

 

毎日放送の歪曲報道と大手メディアの報道倫理の欠如4

 

女子ゴルフのミズノクラシック(三重県近鉄賢島CC)を中継した毎日放送(MBS)が4日(土)の番組放映のなかで、宮里藍選手が実際には一位になっていないにもかかわらず途中順位で、16番ホールで宮里選手がバーディーをとった瞬間、アナウンサーが意図的に「一位」に並んだと放送をした。

 

同番組は実況と録画を織り交ぜて中継番組を構成しており、そのなかで視聴者の興味をひきつけようと巧妙に編集し、そして実際にはあり得なかった藍ちゃんの一位というフィクションを作り出した。好意的に見れば録画と実況の混在する画面編集が、偶々そうした虚構の世界を作り出したのかも知れぬ。そして、その偶然を視聴率UPにつなげようと条件反射的に「一位」という言葉がアナウンサーの口をついて出たのかも知れぬ。

 

しかし、これは明らかな捏造である。現にMBSはこの放送が発覚した後に、「エンターテインメント性を重視した判断だが、今後の課題も残る」と、捏造の事実を間接的に認める説明をしている。その問題認識、報道姿勢の甘さには唖然とせざるをえない。スポーツ番組は立派な報道番組であり、もちろんフィクションではない。報道とは事実を正確に伝えることが何にも増して先ず優先されるべきである。事実をゆがめた映像解説は報道の根幹を否定するジャーナリズムの自殺行為であることは言うまでもない。「エンターテインメント性を重視」と見当違いの釈明を平然と行なったMBSの能天気さに、ジャーナリズムとしての致命的欠陥を指摘せざるをえない。

 

そしてそこには、最近のジャーナリズム一般に言えることだが、勘違いの驕りと軽薄さが透けて見えてくる。真実を捻じ曲げることの怖さに鈍感であることは、この国のジャーナリズムの精神的堕落のみでなく、メディアの手によって国民の知る権利がなおざりにされていくということである。さらにMBSの報道姿勢について大手メディアは軽く触れる程度で、深く掘り下げることをしなかった。その大手メディアの事実報道に対する意識の希薄化と倫理感の欠如のほうに、わたしはより強い危機感を覚えた。



 

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