四月に“ころぼっくるひゅって”を訪ねたのは、たぶん、初めてではないだろうか。
以前、四月初旬に車山肩を訪ねた際は、散策路自体への進入がチェーンにより禁止されていた。もちろん、“ころぼっくる”も閉鎖中であった。
この日はGWの4月28日で、もうすぐ五月である。さすがに車山肩の散策路は開放されていた。ただし、ニッコウキスゲの芽ぶきもまだ先で、したがってあの無粋な鹿除けの針金柵もなく、見晴らしは最高である。 後ほど訊ねた“ころぼっくる”二代目の手塚貴峰(タカネ)さんの言によれば、もうしばらくするとやっぱり無粋な柵は設けられるのだそうだ。 いつもの車山肩のちょっと高みに登る散策路を周回しようとしたが、一部、4月20日に降った雪が残っていたため、そこで折り返すことになった。 この日は好天に恵まれ、風があり、気温も少し低めであったため、とおく乗鞍岳や中央アルプス、八ヶ岳の山脈がきれいに見えた。 眼下に見下ろす八島ヶ原湿原はひっそりと春の訪れを待っているように見えた。 そして省エネ過ぎた散策を終えた私たちは、いつものように“ころぼっくるひゅって”へ向かった。 入口の手前には、“ひゅって”の50周年を記念する石碑が置かれているが、昨年9月に亡くなられた手塚宗球さんが作詞し、友人である佐藤宗幸氏が作曲した“キスゲに寄す”の歌碑である。 “花の名をささやいたあの人はもういない秋” 自然を愛し、霧ヶ峰を愛し、そして浪漫を愛した手塚宗球さんのいない“ころぼっくるひゅって”のいつものテラス突端の指定席に坐った。 目の前に宗球さんが愛した車山湿原が開ける。自然は人の生命も大きく包みこみ、この春、また新たな命を生み出そうとしている。 “ころぼっくる”名物の熱いココアをいただいた。 いつものカップと高原のショットだが、映像にただよう空気感、雪渓が見える景観は本格的な春、命の芽ぶきにはまだしばらくの時間がかかるよと言っているようである。 目の前に広がる高原と空も“春まだ来”ということだろう、その色合いもどこか寒々しい。 しかし、ふと、テラス脇の地面に目を移すと、そこに蕗の薹がその花茎を現わしているではないか。 あぁ・・・、春の足音は確実にこの標高1800mの高地にも近づいている。