此度、初めて知ったのだが、奥嵯峨に念仏寺は二寺あり、それもお昼をいただいた平野屋を挟んで南北に各々300mほどの距離の場所に位置していた。
仁和寺から平野屋へのルートをGOOGLE MAPで調べていた際にわたしは念仏寺が化野のほかにもうひとつあることを知り、興味を抱いた。
そこで、まず平野屋前の愛宕街道を奥へほんの少しゆくと天台宗寺院である愛宕(おたぎ)の念仏寺がある。
そこに小さな御堂が建っていた。
鎌倉中期の建造となり、重要文化財に指定されているという。
ひんやりとした堂内に足を踏み入れると、雪洞の灯りのなかに浮かぶようにご本尊の千手観音像が安置されている。
そして薄暗い堂内に目が慣れ、堂内に目を凝らすと、天井が最も格式の高い二重折上げ格天井となっていたのに驚く。
それから境内へ出て、羅漢像を見て回る。
石像に注意深く目を向けると、寂しげな羅漢像や剽軽な表情をした羅漢様などほんとうにさまざまであり、その寄進者、人の願いや煩悶に果てはないのだとつくづく思ったものである。
また中にはご夫婦であろう、仲良く肩を組んだ二体の羅漢像・・・などなど。
その鄙びた境内の趣きは一度足を運ぶ価値は十分にあると思った。
様々な思いをこめてこれらの羅漢様を寄進されてこられた人々。
その真摯な無数の祈りが正しく仏様の元に届いていることを心から願うばかりである。
この寝転んで楽しい夢でも食(は)んでいる態の天下泰平の羅漢様が境内一杯に埋め尽くされる時代がはやく到来してほしいと思いながら、次の化野念仏寺へと向かった。
浄土宗寺院である化野(あだしの)の念仏寺は確か最初に詣でたのは高校生の修学旅行ではなかったかと思う。
その後、大学生になってすぐ神護寺辺りから清滝川の川沿いに嵐山まで歩き通したことがあるが、その時に化野へ立ち寄ったのかもしれないが記憶は定かでない。
2009年に鮎茶屋・平野屋へ寄ったついでと云っては申し訳ないが、その時に久しぶりにお参りしたのが最後であった。
化野は、平安時代あたりから死者の風葬の地であったとのことで、当寺開創の伝承にも空海が放置されたご遺体を供養したことにはじまったとある。
そのため、境内には無数の無縁仏が所狭しとならんでいる。
本堂前の一画は三途の川の手前の広がる賽の河原に似ているとのことで、「西院の河原」と呼ばれている。
例年8月下旬に河原に蠟燭がともされる「千灯供養」が催されている。
まだ行ったことはないが、さぞかし幻想的な光景であろうと思う。
ただコロナの影響で、今年も3年連続で中止の憂き目にあっている。
昼日中の念仏寺はどことなくその神秘性を欠き、やはり闇夜に月あかりか燈明の灯りのなかで夢か現の態で参拝するのが、中世の葬送の地の風趣が感じられるようである。
さて、われわれは葬送の地をあとにして、ちょっと晴明神社に立ち寄りホテルで小休止、そして京都グルメの〆となる割烹まつおかへと出陣することとなる。