彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

御柱祭

諏訪大社、7年に一度の奇祭、「御柱祭」の里曳きを見た

諏訪大社御柱祭の上社木落(きおと)しを見る(2010.4.7)

ザ・ババリアン・ペーター タテシナ―――グルメ蓼科編?



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2日から4日の3日間、諏訪大社上社の御柱祭の里曳きと建て御柱があった。

 

 2日は高部東の信号のところで、本宮一之柱、二之柱の里曳きを歩道の塀の上に座り、見物した。


太い縄を里曳き
曳き子が木遣唄に合わせ一斉に曳き綱を曳く
 

 3日は午前10時半に建て御柱見物に前宮へ出かけた。鳥居をくぐるともう、参道にはたくさんの人がいた。坂を登り始めると途中に、警察官が黄色いテープを引いて、「氏子以外の人はこれ以上、中へは入れません」と、観光客を制していた。ここから御柱が建つのは見えるのかと問うと、「人家が邪魔になり見えないと思う」という。


前宮建御柱
正面櫓の右手奥に前宮一之御柱が建つはず・・・

押しかける見物客
ぞくぞく押しかける見物客
 

 仕方がないのでわれわれ家族は、本宮の方に向かった。本宮への御柱の曳行が続いており、その日に4本の柱が諏訪大社の境内に入ることになっている。翌日が本宮での建て御柱だ。


里曳き本宮二之柱
本宮二之御柱曳行の後尾より
 

 本宮の三之柱と二之柱の曳行を追い抜き、途中で休憩中の御柱に腰かけさせてもらい、記念撮影を行なう。当日はまさに五月晴れの絶好の里曳き日和であった。


境内へ入ろうとする本宮一之柱
表参道にひしめく曳き子や見物客
正面に本宮一のメドデコとその奥に大鳥居が見える
 

 1日にバーバリアン・ペーターでいつものベーコンとアイスクリームを買い求めた際、今年に入って初めて坂本オーナーにお会いした。

 

「明日からの里曳きを見物に来た」と言うと、「本宮の表(東)参道の鳥居から150mほどに桟敷を用意している。よかったらどうぞ」と言われたので、すごい人混みではあったが運よく見つかればご挨拶だけでもと思い、本宮へ向かったのである。

 

 そして本宮一之柱の曳行の最後尾のあたりで、右側に見慣れたペーターの旗印の模様を見つけた。鉄パイプで造作された二階の仮設桟敷に坂本氏がいた。

 

 裏から階段を昇り桟敷内に入ると、坂本さんを知る人々がテーブルを囲み、祭りを楽しんでいた。もちろんレストランピーターのワインやペーターのソーセージ、それにお弁当が振る舞われた。正直、びっくりした。気分は一挙に自分も氏子になった気分で、祭りの雰囲気に馴染んでいった。

 

 桟敷のパイプ越しに表参道を真下に眺め、右手先に青銅製の大鳥居が見える。その鳥居下のアーチ型の石橋に御柱が乗り上げ、鳥居をギリギリ潜り抜けるのが、里曳きの最後の大きな見せ場となる。

 

 冷えたビールとおいしい弁当を食べている時に、柳平茅野市長が桟敷を訪れた。その後も坂本さんを慕う人たちがひっきりなしに桟敷に出入りし、にぎわった。


坂本氏と柳平茅野市長
坂本家の桟敷で坂本氏(左)と柳平茅野市長(右)
 

こっちは参道に面した席に陣取り本宮二之柱の里曳きを心行くまで堪能した。正面の桟敷では子ども木遣りがひっきりなしに、オンベを右手にかざし、木遣りを「鳴く」。右斜めには旧藩主の諏訪家の桟敷があった。ここが一等席であることがそのことでもよくわかった。坂本さん、感謝!感謝!


旧藩主諏訪家桟敷前を曳行する氏子と観光客
諏訪家の家紋入りの桟敷。諏訪家所縁の方も見物していた
 

「山の神様、お願いだ〜」、「もう一息だでお願いだ〜」、「どうでもこうでもお願いだ〜」と、本木遣りの甲高い声が騒音を突き抜けて響きわたる。その声が曳き子の先頭まで届くと、それに合わせて参道の曳き子たちが「ヨイサ、ヨイサ」と一斉に掛け声をあげる。そして、太い曳き綱を思いっきり引っ張り、御柱は本宮へ一歩、また一歩と近づいてゆくのである。


御柱通りを近づく本宮二之柱
やって来た本宮二の御柱
 

 参道一杯にひしめく曳き子やメドデコに乗ってオンベを振りかざす若衆たちのイナセな姿に祭りの気分は最高潮に達した。
 

 メドデコが手を伸ばすと届く位置に来た時には、知らず知らずわたしも「ヨイサ!ヨイサ!」と、大声を挙げていた。


本宮二が桟敷前を曳かれてゆく
まさに目の前をメドデコが過ぎて行った・・・
 

 二之柱が過ぎて、坂本さんにお別れをし、本宮へ向かった。そして、境内の内から二之柱の大鳥居潜りを見た。一之柱の翌日の建て御柱の準備も、布橋の廻廊を抜けた塀重門の前辺りでゆっくりと眺めることが出来た。


曳行の縄が御柱を離れる
本宮二の曳行終了で、曳き綱を相撲土俵の脇に置く

建御柱を待つ本宮一之柱
本宮一の御柱・樅の木
この先端が冠落しといって尖らされ、反対端が土に埋められる
 

長い伝統というものは、年齢や職業といった様々な日常生活の違いを超えて、同じ空気を吸う共同体といった一体感を、この熱病のような雰囲気の中で、自然に醸成してゆくのだと感じた時間であった。今回はあまりの人数と氏子以外の進入規制もあり、建て御柱を見る機会に恵まれなかったが、7年後の次は何とか建て御柱の見物ができるよう、健康にも留意し、用意を周到にしたいと思った。

 

諏訪大社御柱祭の上社木落(きおと)しを見る

諏訪大社、7年に一度の奇祭、「御柱祭」の里曳きを見た

 44日(日)、長野県茅野市仲町上川河川敷(宮川木落し公園対岸)で御柱祭の上社木落しを見た。今回から上社でも御柱祭誘客促進協議会による有料観覧席が用意されたので、応募したところ、本宮四之柱の木落し(4日正午)のチケット四枚をゲット。家族と親戚のものとで3日より長野入りした。

 

 前日の2日が上社の山出しの日であったが、これが7年目ごと(寅年と申年)に行なわれる諏訪大社の御柱祭(おんばしらさい)という神事のクライマックスへ向けたスタートである。


御柱出発の地
綱置場にはためく旗

綱置場
前日までここに八本の樅の木があった綱置場

道路に残る山出しの痕
道路に残された山出しの痕(樅の木の木皮)

 

 茅野市と原村の境の綱置場から八本のモミの木の巨木が数千人の氏子により曳き出され、木落し坂の上まで順次、運ばれてゆき、翌日と翌々日に行なわれる木落しを待つ。

 

 われわれは快晴の絶好の御柱日和に恵まれ、観覧席の最前列で初めての天下の大祭を観た。木落しの山というより丘は斜度27度で、坂の長さは50mほどであった。思ったより距離も短く、傾斜もそれほど急には見えなかった。


木落し坂
木落し公園・斜度27度・斜面50mほど

 

 テレビなどで放映される勇壮な木落しは翌週の土・日に行われる下社のものであることを、その時知った。下社は斜度45度で100mを滑り落ちるというのだから、そちらが迫力の点でまさっているのだろう、テレビなどでよく取り上げられるはずである。

 

 12年前の寅年にやはり上社の里曳きを見ていたが、木落しは初めてである。どんな具合かも分からぬまま、樅の木が坂の上に姿を現すのを待った。上社の特徴は、御柱の前後に「メドデコ」というV字型の細い柱が差し込まれ、そこに各々、10人余の若者が乗っかり、木遣りの声やラッパの音に合わせて赤や黄色の御幣(おんべ)を振りかざす。


前宮三
前宮三之柱

前宮三木落し
前宮三之柱木落しの瞬間

 

 一時間ほど待つと、坂の上に御柱のメドデコが姿を現した。何のなんの、その巨大な姿は勇壮である。そして、メドデコの装飾が美しい。


本宮四のメドデコ
本宮四之柱のメドデコが姿を現す

坂の中腹のラッパ隊や鼓笛隊
ラッパ隊や鼓笛隊が雰囲気を盛り上げる

 

 子供木遣りやラッパ隊、鼓笛隊などがこれからの木落しをいやがうえにも盛り上げる。そして、花火が打ち上げられ、会場に「ウォーッ!」という歓声が挙がるや、全周2m45?の四之柱が右に傾いて、坂の上から落ちてきた。


木落し直前
木落し直前
 

 あっという間の出来事であった。しかし、それは1200年以上も前から行われているこの神事の絶えざる流れの一筋に、自分が参加し、身を置き、溶け込んだ瞬間でもあった。
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