掲題の言葉は、3月4日のテレビ朝日「サンデー!スクランブル」の長野智子キャスターが発した言葉である。
「森進一『おふくろさん』封印へ なぜ川内氏は、森進一を拒み続けるのか?」のタイトルでいつもの佐々木正洋キャスター、黒金ヒロシ氏らとオフクロサン騒動について語っていたなかで、発された言葉である。番組中で森進一が歌詞を付け足して歌う「問題のおふくろさん」が流された。
付け足された歌詞は「いつも心配かけてばかり、いけない息子の僕でした、・・・」と四フレーズの歌詞であったが、川内氏の原詩の冒頭にイントロのメロディーに乗せて歌手森進一が唄っていた。セリフと言われるものとは明らかに異なる、まさに楽曲の一部となっているものである。その正真正銘の森進一の歌が流された直後に長野キャスターは「どうして川内(康範)さんは(これほどまでに)怒っているのでしょうか?」と、口にしたのである。
わたしは正直、わが耳を疑った。仮にも報道いやメディアという世界に身を置き、しかも見識がなければ務まらぬキャスターという職業を生業としている人物が、これを言ってはおしまいである。フーテンの寅さんが「それを言っちゃ〜、おしまいよ」と、あの世で嘆いているのが目に浮かぶようである。
番組のなかで流された歌詞は完全なメロディーに乗った歌であった。しかもその四フレーズの歌詞を書き留めた台紙がわざわざ示されたが、その右隅にははっきりと判別はできなかったものの、作詞家と思しき人物名がご丁寧に括弧書きされていた。
川内氏の原曲「おふくろさん」は「おふくろさんよ おふくろさん 空を見上げりゃ 空にある・・・」で始まり、一番から三番の歌詞まですべて「おふくろさんよ おふくろさん」が出だしでリフレインされる。この出だしのインパクトに川内氏の作詞家としての強い思い、こだわりがあるのだろう。一番目の歌詞の最初に「いつも心配かけてばかり、いけない息子の僕でした」とやられてしまえば、森進一版はどう考えても明らかな歌詞の付け足しによるオリジナル歌詞の改変である。
知的財産である歌詞を創った作詞家としては「ふざけるな!勝手にいじるんじゃねぇ!」となるのは当たり前である。またメロディーと歌詞が一体となった音曲を唄う歌手森進一も同様に知的財産を創造するアーティストであり、30年にわたり行なってきた付け足し行為はりっぱな犯罪であり、謝って許されるべきものではない。
その一方でメディアに席を置く人間としてキャスターは、本件については殊更に「知的財産権の侵害」であると声を大にして警鐘を鳴らし、啓蒙に努めねばならぬ立場にあるのは論を俟(ま)たない。なぜならメディア自身が知的財産を日々創造している知的産業であるからである。
わたしは1月27日付け「関西テレビ捏造に透ける知的財産権の軽さ」 のブログを、放送業界が「自らの存在を否定するような『知的財産権』を無視する行為を目にし、そのあまりにも低レベルの意識にこの国のどうしようもない文化水準の低さを見るようでむなしさを隠せなかった」と結んだ。この日の長野智子キャスターの言葉を耳にし、ふたたびこの国のどうしようもない文化水準の低さを見せつけられ、度し難いレベルの人々がテレビという巨大なメディアに巣食っていることをあらためて知らされた思いがした。
これだけワイドショー的に世間の耳目を集めている「おふくろ」問題である。ぜひ川内氏には法的手段に訴えていただき、知的財産というものがどのように大切なものであり、価値あるものかを国民いやメディア業界に教えてもらいたいと強く願う次第である。