浜松城をあとにして、次は2017年のNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」で一躍有名となった井伊家の菩提寺、龍潭寺(りょうたんじ)へと向かった。

山門
龍潭寺・山門
当寺は天平5年(733)、僧行基によって開創されたと伝わる古刹であり、浜名湖の北端、奥浜名湖のその北に位置している。
広い本堂廊下を庫裡から
庫裡から本堂の広い廊下
山門を抜け、庫裡の拝観受付を通り広い本堂へと入ってゆく。

東門と庫裡
正面が庫裡
見事な龍虎の襖絵などが描かれた部屋や井伊家代々の位牌を祀る御霊屋など順路に沿って拝観する。

龍虎の襖絵の虎龍虎の襖絵の龍
大きな本堂の裏手に回ると、そこに裏山の斜面を巧みに活かした小堀遠州の作になる龍潭寺の石組み庭園がある。

龍潭寺小堀遠州作庭園

細長い縁側に一段高くなった畳敷きが設えられている。そこに腰をおろしてゆったりと庭園が鑑賞できる。

小堀遠州の作庭
小堀遠州の庭
斜面を中心に巧みに配された置き石は裏山の樹間に響き渡る種々の小鳥の鳴き声や世の雑音をあたかも吸いこむ吸音器のようであった。

小堀遠州作 庭園
静寂のなか小鳥のさえずり
チク・・・タク・・・チク・・・タクと分解写真のごとくゆったりと秒針が時を刻んでいるかのような静謐の小世界がそこにあった。

わたしはしばしコロナ騒動や世の喧騒を忘れて、小堀遠州が命を吹き込んだスピリチュアルな世界に身をまかせた。そして、さすが、小堀遠州!!と、通ぶってみた。

小堀遠州の石組み
小堀遠州の石組み
ただ、これは冗談ではなく、コロナ禍に襲われたこの嵐のような2年間。火照りきった魂をこのように鎮めてくれる時間に包まれたのはほんとうに久しぶりだと感じていたのは偽りではなかった。

/硫μ腓ら龍潭寺本堂を見る
仁王門から龍潭寺本堂を見る
その後、本堂脇にひっそりと鎮まる井伊家歴代の墓所にお参りした。

井伊氏歴代墓所 左奥から二基目が直虎の墓
井伊家の墓所
左右に並ぶ墓石の左側奥から2基目が「おんな城主直虎」の墓である。

四百数十年という永い時間を摩り込んだその苔むした五輪塔は、歴代井伊家当主の墓石のなかに肩を並べ、何を語らんとし、そんなにひっそりと立ちつくしているのだろうか。

おんな城主直虎
龍潭寺に置かれた井伊直虎の像
墓所の前を通り過ぎると、突き当りに後醍醐天皇の皇子・宗良(むねなが)親王の墓所がある。なぜ、この井伊谷(いいのや)という地に南朝の皇子の墓があるのか説明板を読むと、足利方(北朝)との抗争のなかで遠江国の豪族の井伊氏に身を寄せたことが縁とのこと。実は終焉の地はいくつかの説があるものの、明治政府が井伊谷宮の墳墓を陵墓と定めたため、現在、宮内庁の管理下にある。

宗良親王の墓所
宗良親王の陵墓
そして、宗良親王の陵墓に接して、明治維新の時、建武中興15社の一つとして井伊谷宮(いいのやぐう)を創建、親王をご祭神として祀っている。

井伊谷宮 拝殿
井伊谷宮の拝殿
井伊谷宮を後にして歩いて2、3分ほどのところに井伊家の始祖、共保(ともやす)公が出生したという井戸があるという。

出生した井戸とはこれいかに? 歴史上の人物の出生譚として、例えば弘法大師がここの水を産湯として使ったとの伝承を残す井戸など各地に多くあるが、この「井戸から生まれた」のだと伝えるものは初めてであるし、意味がよく理解できぬままに現地へ向かった。

案内板の通りにたどると、広々とした田んぼのなかに井戸らしき一画が見つかった。

井伊氏始祖が傍らで見つけられた井戸
井伊家始祖の出生した井戸
りっぱな漆喰塀に囲まれていたので、すぐにそれとわかった。

説明板によると共保(西暦1010年生誕)公はこの井戸の傍らで、当地の国司であった藤原氏に拾われ、そのやんごとない様子を認められ、養子とされたとの伝誦を残すとのこと。

井伊共保出生の井戸
現在は枯れ井戸
井戸から出てきたわけでなく、この井戸の脇に捨て子として置かれていたとのことらしい。ようやく、納得である。

そんな井戸が代々の井伊家当主によって千年もの間、大切に守られてきて、整然と整えられ今尚このように残されているというのは驚きであった。


そして、いよいよコキコキ・ドライブ旅も静岡県を離れて、今夜の宿、岐阜県の下呂温泉へと向かった。