安倍内閣と官僚機構対決の行方

 

 今回の官邸人事をみると官邸主導の政策運営を強烈に意識した布陣、体制である。また先日の所信表明のなかでも官邸主導型、言い換えれば米国型の大統領型の政治体制へのシフトについての決意が並々ならぬものであることが示された。「政治のリーダーシップを発揮する」意味では当然であるかも知れぬ。

 

 わが国を取り巻く国際環境を冷静に見つめると、従来型の官僚機構に依存した持ち上げ型の意思決定方式では、とてもこの激動の国際政治のなかで的確機動的な判断と行動を選択することには、もう限界が出て来たということであろう。

 

 その意味で、安倍晋三総理が小泉前総理以上に官邸機構を強化し、霞ヶ関へのグリップ力を増し、政治主導の意思決定を目指そうと考えたのは、方向として正しい。敢えて言えば国益の観点からは、もともと、そうあらねばならなかったと考える。

 

 そこで、方向は正しいとすればそれでよいではないかということになるが、国益を害さない形で、政治主導型にうまくソフトランディングをさせねばならぬことが、難儀なことだなと感じるので、事は簡単ではない。明治維新以来営々と築かれてきた官僚主導の政策決定プロセスの土台を突き崩し、あらたな土台を築き直すのはそんなに容易なことではないはずである。

 

 まず、行政は毎日二十四時間、滞ることがあってはならぬ。だから、意思決定・政策決定のプロセス変換に当たっても、細心の注意をもって用意周到に準備されねばならぬ。力技でエイッとばかりにやればよいというわけにいかない。そんなことをすれば、日本中の行政機構は大混乱をきたし、われわれ日常生活にストレートに影響が出てくることは必至である。

 

 ここに、この問題の一番の難しさが潜んでいる。日々の行政の意思決定は、まさに網の目のように張り巡らされた行政機構、いわば行政の神経を通じて済々と行われている。そこには百年以上にわたる智恵といったものも含まれているし、行政の隠し味的な妙味、すなわち潤滑油のようなものも恐らく組み込まれているのだと思う。

 

 こうした末端に至るまでの詳細で精緻な行政プロセスは、実は官僚たちにしか分からぬように組み上げられている。政治主導型への転換とは、まさにその官僚主導の意思決定機構の土台を突き崩すことであり、突き崩す傍らでは、昨日と同じように末端行政機能は微動だにせずに、今日も同じ歯車を回してもらわぬと困るのである。

 

 つまり官僚支配の意思決定機能を突き崩すにあたって、官僚の力を借りねば、官僚主導型機構の仕組みの分解と再構築が非常に難しいというトートロジーの世界にこの問題はあるということである。破壊すればよいという問題ではないだけに、その実行は言うは易く行うは難しい、まことに厄介な代物と言える。

国益という旗印の下で、志ある官僚が多数出現し大きな協力の輪が広がらねば、安倍内閣のぶち上げる政治主導型の体制への大転換は、画餅に帰することになる。

 

 そのためには、中曽根内閣時代の行政改革の旗振り役を見事に果たした土光氏のような精錬潔白な国士をシンボル的に、その大改革推進の長に頂かねば難しいのだと思う。そう考えたときに、国民が「この人の言うことであれば」と思える人物が今の世に存在するのだろうかと、頭を巡らして見ても直ぐには思いつかない。

思いつかないままに、安倍晋三総理の決意を形あるものにすることは、相当な至難の業である。ただ、官僚との対決姿勢だけでは事の成就はならぬ。この巨大で老練な官僚機構の力を逆に利用する小が大を御する柔術の匠の名人技を、この少壮の総理に期待するしかない。

 

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