此度、初めて知ったのだが、奥嵯峨に念仏寺は二寺あり、それもお昼をいただいた平野屋を挟んで南北に各々300mほどの距離の場所に位置していた。

2022.5.16 平野屋
白洲正子が愛した鮎茶屋・平野屋
化野(あだしの)の念仏寺は境内に広がる無縁仏の光景であまりにも有名だが、今度初めて訪ねる愛宕(おたぎ)の念仏寺を訪ねた人はあまり多くないのではなかろうか。

化野念仏寺 無縁仏
化野(あだしの)の念仏寺の西院の河原
仁和寺から平野屋へのルートをGOOGLE MAPで調べていた際にわたしは念仏寺が化野のほかにもうひとつあることを知り、興味を抱いた。

そこで、まず平野屋前の愛宕街道を奥へほんの少しゆくと天台宗寺院である愛宕(おたぎ)の念仏寺がある。

愛宕念仏寺・ふれあい観音堂と本堂
愛宕(おだき)の念仏寺 手前 ふれ愛観音堂 奥 本堂
細い坂道を登った先の小高い丘の上にわずかな平坦地がある。

そこに小さな御堂が建っていた。

愛宕(おたぎ)念仏寺・本堂と石像群
本堂と羅漢像
本堂は鎌倉の質朴さそのままのたたずまいで建っている。

鎌倉中期の建造となり、重要文化財に指定されているという。

ひんやりとした堂内に足を踏み入れると、雪洞の灯りのなかに浮かぶようにご本尊の千手観音像が安置されている。

愛宕念仏寺 二重折り上げ格天井の本堂
粛然とする本堂内
森閑とした山気のなかで手を合わせると自然と厳粛な気持ちになる。

そして薄暗い堂内に目が慣れ、堂内に目を凝らすと、天井が最も格式の高い二重折上げ格天井となっていたのに驚く。

⓪千手観音像 愛宕念仏寺・ご本尊
ご本尊・千手観音像
ずいぶんと大切にされている立派なお堂であると、感じ入った。

それから境内へ出て、羅漢像を見て回る。

愛宕念仏寺境内の千二百羅漢
無数の羅漢像
愛宕(おたぎ)の念仏寺は「千二百羅漢の寺」とも呼ばれるのだそうで、境内至る所に苔むした羅漢像が数多建っている。多彩な表情をした羅漢像が境内に所狭しと充ち、その霊魂がそれぞれに言の葉を紡いでいるようで、愛宕は化野に負けぬ京都・奥嵯峨のパワースポットといってよい。

愛宕念仏寺・石像たちと多宝塔
愛宕念仏寺の苔むした羅漢像
石像に注意深く目を向けると、寂しげな羅漢像や剽軽な表情をした羅漢様などほんとうにさまざまであり、その寄進者、人の願いや煩悶に果てはないのだとつくづく思ったものである。

千二百羅漢像 愛宕念仏寺
剽軽な表情の羅漢像
また中にはご夫婦であろう、仲良く肩を組んだ二体の羅漢像・・・などなど。

ご夫婦の羅漢様
肩を組み合う夫婦像
その鄙びた境内の趣きは一度足を運ぶ価値は十分にあると思った。

愛宕念仏寺の羅漢像 - コピー
鄙びた境内
様々な思いをこめてこれらの羅漢様を寄進されてこられた人々。

愛宕念仏寺 哀しげな羅漢様
哀しげな表情の羅漢様
その真摯な無数の祈りが正しく仏様の元に届いていることを心から願うばかりである。

寝転んで休憩中の羅漢様
寝転んで夢を食む羅漢様
この寝転んで楽しい夢でも食()んでいる態の天下泰平の羅漢様が境内一杯に埋め尽くされる時代がはやく到来してほしいと思いながら、次の化野念仏寺へと向かった。

化野・西院の河原
化野の念仏寺 西院の河原
浄土宗寺院である化野(あだしの)の念仏寺は確か最初に詣でたのは高校生の修学旅行ではなかったかと思う。

化野念仏寺の竹林
化野念仏寺の竹林
その後、大学生になってすぐ神護寺辺りから清滝川の川沿いに嵐山まで歩き通したことがあるが、その時に化野へ立ち寄ったのかもしれないが記憶は定かでない。

2009年に鮎茶屋・平野屋へ寄ったついでと云っては申し訳ないが、その時に久しぶりにお参りしたのが最後であった。

化野念仏寺・仏舎利塔 2009.1.16
2009年 インド式仏舎利塔(ストゥーパ)
此度は83歳の叔母は初めてだというので案内したのが主な理由であったが、愛宕(おだき)と化野の念仏寺ってどう違うのかという素朴な興味があったのも事実である。

化野念仏寺・ご本尊阿弥陀如来像
化野念仏寺のご本尊・阿弥陀如来坐像
化野は、平安時代あたりから死者の風葬の地であったとのことで、当寺開創の伝承にも空海が放置されたご遺体を供養したことにはじまったとある。

化野の無縁仏
無数の無縁仏
そのため、境内には無数の無縁仏が所狭しとならんでいる。

本堂前の一画は三途の川の手前の広がる賽の河原に似ているとのことで、「西院の河原」と呼ばれている。

化野念仏寺
西院の河原
フジTVの人気シリーズであった「赤い霊柩車」の冒頭場面で片平なぎささんがお決まりの述懐をするのが、この念仏寺の西院の河原である。

例年8月下旬に河原に蠟燭がともされる「千灯供養」が催されている。

まだ行ったことはないが、さぞかし幻想的な光景であろうと思う。

ただコロナの影響で、今年も3年連続で中止の憂き目にあっている。

昼日中の念仏寺はどことなくその神秘性を欠き、やはり闇夜に月あかりか燈明の灯りのなかで夢か現の態で参拝するのが、中世の葬送の地の風趣が感じられるようである。
さて、われわれは葬送の地をあとにして、ちょっと晴明神社に立ち寄りホテルで小休止、そして京都グルメの〆となる割烹まつおかへと出陣することとなる。