習近平(シー・チンピン)国家副主席の天皇陛下との特例会見のセットについて、その反応の代表的例があるので、紹介する。

 

それは、お隣り、大韓民国で最も購読数の多い新聞である「朝鮮日報」が伝えたものである。同紙は1214日に訪日する習近平副主席が天皇陛下との会見をセットされたことに関し、「鳩山政権、中国には破格の待遇」のタイトルで記事を流した。そのなかで「日米同盟を決裂の一歩寸前にまで追い込みつつある日本の民主党政権が、中国に対しては破格の待遇を用意しつつ接近を図っている」と述べている。

 

 その「破格の待遇」とは、次の経緯を言う。

 

今月7日に平野博文官房長官は電話で、中華人民共和国の習近平副主席来日の際に、天皇陛下への会見をセットするよう羽毛田信吾宮内庁長官に要請した。この時、羽毛田長官は「(天皇との会見は1ヶ月前までに申請する)ルールは政府内で重視されており、尊重されるべきだ」と、これまでのルールを盾にその要請を拒絶した。

 ところが、この10日に再度電話で、平野長官が羽毛田長官に会見セットを要請。平野長官はこの会見が鳩山由紀夫首相の強い意向であるという理由で会見をセットするよう迫り、特例的に認めざるを得なかったという。

 

そこで、羽毛田長官は11日、異例の緊急会見を開き、「(1カ月ルールは)国の大小、政治的重要性で差を付けずに適用してきた。単なるルールではなく、現憲法下の陛下の役割にかかわることだ」と、天皇の政治利用について強い不快感を示した。

 

10日の小沢訪中と合せるように特例扱いで天皇陛下との会見がセットされたとなれば、鳩山首相の強い意向であると釈明するものの、その蔭に小沢幹事長の強引な指示がなかったと思う方が不自然で、無理な話である。

 

小沢の一声でさまざまなことが強引に決められる。民主党政権になってから、しばしば目にし、強く感じることである。そして、今回のことで、小沢一郎衆議院議員が実質的な最高権力者であることが、白日の下に曝されたと言ってよい。

 

それはそうとして、天皇と政治の距離の問題である。

 

天皇陛下はご結婚満50年に際する記者会見(H.21.4.8)において、「日本国憲法にある『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴』であるという規定に心を致しつつ、国民の期待にこたえられるよう願ってきました。象徴とはどうあるべきかということはいつも私の念頭を離れず、その望ましい在り方を求めて今日に至っています。なお大日本帝国憲法下の天皇の在り方と日本国憲法下の天皇の在り方を比べれば、日本国憲法下の天皇の在り方の方が天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います」と、ずいぶん直截に政治との距離感についてご自身のお考えを述べられた。

 

 皇后陛下も、天皇陛下ご即位二十年に際しての宮殿での記者会見(H21.11.6)において「戦後新憲法により、天皇のご存在が「象徴」という、私にとっては不思議な言葉で示された昭和22年、私はまだ中学に入ったばかりで、これを理解することは難しく、何となく意味の深そうなその言葉を、ただそのままに受け止めておりました。御所に上がって50年がたちますが、『象徴』の意味は、今も言葉には表し難く、ただ、陛下が『国の象徴』また『国民統合の象徴』としての在り方を絶えず模索され、そのことをお考えになりつつ、それにふさわしくあろうと努めておられたお姿の中に、常にそれを感じてきたとのみ、答えさせていただきます」と述べられた。

 

 このように両陛下が象徴天皇の意味を問い続け、真剣に心を砕いてこられたご様子を知る国民として、今回の暴挙と言ってよい「政治利用」は、これまでの両陛下の血の滲むようなご努力と国民への御心を踏みにじるものであり、断じてこれを許すことはできない。

 

 14日の鳩山由紀夫首相の「天皇陛下のお体が一番大事だが、その中で許す限りお会いになっていただく。日中関係をさらに未来的に発展させるために大変大きな意味があると思うから、判断は間違っていなかった」との発言は、「日中関係をさらに未来的に発展させる」によって「外交」としての意味合いが濃いことを心ならずも吐露し、会見が政治利用であることを物語っている。

 

 さらに、こんな無理強いをしておきながら、陛下の健康を気遣うなどと、よくも言えたものだと思う。鳩山由紀夫という人物の言葉の「軽さ」、「空虚さ」を思わざるを得ない。

 

そもそも天皇と政治の距離感は常に細心の注意をもって見極めていかねばならない。天皇皇后両陛下がこれまでの会見で天皇の役割について述べられた深い思いを一顧だにせぬ今回の判断を「間違っていなかった」と言い切る鳩山首相の無思慮と小沢一郎幹事長の「力づくの権力」を「わたくし」するような行為に、わたしは憤りを隠すことはできない。

 

そして、この問題は、羽毛田信吾宮内庁長官が言うように「憲法に規程されている天皇の役割にかかわる」ものであり、慎重なうえにも慎重な対応が求められるものだと考える。

 

民主党政権の権力の乱用が、国の根幹を危うくするものに本当にならねばよいと感じた「事件」である。