彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

和菓子特殊銘柄18品

京都通が知る亀屋良永で清涼感溢れる葛羊羹・白瀧を買ったぁ!!

麸屋町通りの京扇の老舗、白竹堂へ娘に頼まれて扇を買いに行った。

⓪白竹堂
麸屋町通りにある京扇の老舗・白竹堂
御池通りからお店が並ぶ寺町へ入り、途中から西に入り麩屋町通りにぶつかろうと思ったのだ。

ところが、寺町通りの入口には天保3年(1832年)創業の亀屋良永がぱっくりと口を開けてわたしを待ち受けていた。幸い開店の10時少し前であったため難なく通り過ぎ、お目当ての白竹堂本店まで一目散。

途中から麸屋町通りに入ると、炭屋旅館があったので細君を門前に立たせ、いかにもいま高級旅館の炭屋さんから出てきた風のスナップショットを撮った。

炭屋旅館
いかにも高級そうな炭屋旅館
古希を過ぎた翁と媼も童心に戻るときもある、ちょっとした遊心である。


目的の白竹堂は享保三年(1718)、八代将軍徳川吉宗の時代の創業で、三百余年の歴史を有す京扇の老舗である。

開店と同時に暖簾をくぐり、一本の扇をもとめ入念に吟味した。

⓪富岡鉄斎揮毫の扁額
富岡鉄斎揮毫の扁額
お店の女性がこちらの好みにあった扇子をいくつか見せてくれた。

どれも素敵ないかにも京都の薫りをくゆらせる扇である。

そのなかの桜を意匠とした一本を購入することにした。

桜の花びらが意匠された白竹堂の扇子
桜が扇面・親骨・仲骨にもあしらわれた女性らしい京扇子

白竹堂では親骨の裏側に名前を刻んでくれるサービスがあった。

娘の喜ぶ姿見たさに、お店の方に勧められ、即行でお願いする自分に父親の威厳の欠片もなく、ほとほとなさけないと思ったものだ。

白竹堂購入の扇子
白竹堂の京扇子
桐箱に入った扇子の写真をと思ったが、娘はさっさとグループホームへと持ち去ってしまい、今度、持ってきてもらい写真を撮らせてもらうことにした。

桐箱に入れられた京扇子
撮りました、写真!
さて、重要なミッションを終えたわれらはホテルへ戻ることになったが、細君は通ったことのない道筋を歩いてみたいと往路と異なる筋を選ぼうとする。

ところが私の脳内にはあのお店、もう開店しているはず、「そうはさせじ」と微妙に通りを選んで戻ろうとがんばる。

その駆け引きやまことに達人の技。古希を超えてこそなせる熟達の技といってよい。何せ自然に、いかにも偶々といった感じでそこの前を通らなければならないのだから・・・

そして、シャッターがあがった亀屋良永の前を偶然、通りかかった・・・のである。

亀屋良永 店構え
亀屋良永
「買って帰る?」と、細君が訊く。

「うん」と、ほんとうは欣喜雀躍の態でスキップしながら入るところ、ひと呼吸おいて悠然と足を踏み入れた。

店内は広くはないが、菓子の種類は多い。目移りする。

おいしそうな菓子がならぶ
ショーケースにはたくさんの京菓子が・・・
六代目当主の下邑修さんが出てこられて、これおいしいですよと試食もすすめてくれて、もうお買い物モードは全開。

このアットホームな雰囲気・・・タマラン!!

そこで、目に付いた菓子を三種類買ってしまった。

細君も人が悪い。二品ですまそうとぐっと我慢していたが、「これなんかどう?」と悪魔の囁き、いや、天使の囁き。

もちろん、即行、頷いた。

そして、購入した三品が次なる銘菓である。

第一にわたしの大好きな落雁。

和三盆の落雁 月
桂離宮の襖の引手を模した落雁
月の名所である桂離宮の月の形状をデフォルメした襖の引手を模した餡入りの和三盆使用の落雁、「月」である。


和三盆を使った落雁 月
和三盆の上品な甘味がきいた落雁である。

亀屋良永 茶菓と落雁・月
落雁のなかに餡子が・・・
次に「茶果」という、江戸時代の禅僧で画家でもあった仙冢他阿痢△□の図案をモチーフにした儚いくらいに薄く焼かれたウエハースのような食感を醸す餡をうすく挟んだお薄色と白色のせんべいである。

茶果 仙崖禅師の墨跡とともに
茶果 揮毫は仙崖禅師
表面には△と□が刻印されているが、〇はせんべいそのものの形ということなのだそうだ。

茶菓の中身
餡子が上品
最後に猛暑の夏にぜひお薦めなのが、「白瀧」といかにも涼やかな名をもつ葛羊羹である。

葛羊羹・白瀧
葛羊羹 白瀧
半透明の葛羊羹のなかにブルーの小さなサイコロのような寒天が散りばめられ、あたかも流れ落ちる水色の瀧と瀑布に煙る白い霧と飛沫が目に浮かび、口に入れると今度は滝壷のマイナスイオンが口腔から胃の腑へと沁みわたってゆく。

竹皮のなかに白瀧
竹皮に包まれた葛羊羹
屋内にて一瞬にして山深い瀧のほとりに立つようで、その爽快感は別格である。殊に冷やされた「白瀧」は絶品である。

夏に涼し気な白瀧
寒天のブルーが涼やか
亀屋良永の菓子は味の上品さはもちろんだが、「月」といい、「茶果」といい、その意匠に優れたものを感じた。

次は亀屋良永の代表的銘菓である「御池煎餅」にチャレンジしたいと思っている。


最後に「かめやよしなが」という同じ音読する京菓子の老舗がもう一軒ある。以前にブログで紹介した、昭和17年、京の菓子作りの伝統を後世に残さんと、時の京都府が砂糖など特別の配給を行ない保護した「和菓子特殊銘柄18品」のひとつ「烏羽玉(うばたま)」を今に伝える享和三年(1803年)創業の亀屋である。

亀屋良長店内
亀屋良長の店内
同店は四条堀川の交差点から東に一筋目の醒ヶ井(さめがい)通りと四条通りのぶつかる角に店を構えているが、この良永と源は異にするという。
ただ亀屋良永といい、亀屋良長といい、両店とも京菓子の伝統を上手に現代に伝え、そのなかで巧みにモダンを絡めとって続く世にも伝承していく、老舗と呼ばれるお店に共通する「しぶとい商い」の神髄を垣間見るようでもあり、京扇の白竹堂も同様であるが今を逞しく生きてゆく老舗とはまことに興味深い存在だと感じ入ったものだ。

餡子好きには堪らぬ、甘泉堂の“とりどりもなか”=旅人の見た京都のお菓子

東山区祇園東富永町 ☎ 075−561−2133

10:00−22:00・定休日 日曜日


春は花、夏は涼みに秋紅葉、冬は雪見ととりどりに四切れに分けて色も香も、たがえて忍ばす巧みのあんばい、先ず一切れを召しませば、いとし由縁の京情緒、舌に床しく風味する、そそる味覚に二切三切ついつい手を出すとりどり最中・・・

甘泉堂主人挨拶

と、主人の口上がつづく甘泉堂は、細い路地の奥にある。

細い路地に入ります
この細い路地の奥、左手に甘泉堂はある

四条通りと花見小路角の“よ−じや”の隣りの“京都現代美術館”横の路地を北側に入ってゆく。

京都現代美術館脇の路地を入る
表のこの甘泉堂の看板が目印

目印はその路地入口に掲げられる“京菓子司 甘泉堂”の看板である。

左手に甘泉堂の看板
左手に甘泉堂の縦看板

店構えはいたってこじんまり。

甘泉堂の店構え

店内正面に京都出身の文人画家・富岡鉄斎揮毫の味わい深い書・“甘泉堂”の扁額が素っ気なく掛けられている。

富岡鉄斎揮毫の扁額

そこに130年におよぶ当店の歴史が見て取れるが、雰囲気は老舗の京菓子司というより、下町のご近所にある肩の凝らぬ菓子屋といった風情である。

甘泉堂店内
飾らぬ店内

店内に入ってもよいのだろうが、硝子戸が開けられており、道ばたからショーケース越しに注文するというこれまた庶民的で威張っておらぬところが好ましい。

”とりどりもなか”の見本が置かれたショーケース

ショーケースには“とりどりもなか”の餡の説明がなされた見本も、まぁ、飾り気なく置かれている。

季節限定の水ようかんも  おいしそうな菓子が・・・

また、季節限定の“水ようかん”もあった。次のお客さんは、これを所望しておりました。

今回、お目当ての“とりどりもなか”は、物資困窮の戦時下の昭和17年、京菓子作りの伝統を後世に残さんと時の京都府が砂糖などを特別配給、保護した和菓子特殊銘柄18品のひとつで、川端道喜の“ちまき”や亀末廣の“竹裡(ちくり)”などと並ぶまことに由緒正しき御菓子なのである。


その“とりどりもなか”は注文してから餡を詰めてくれるので、手にするのに少々時間がかかる。皮のパリッとした食感を壊さぬための手間なのだという。


といっても、二個頼んでほんの2、3分程度の時間でしたが・・・。

ただ、この短い待ち時間が、温かな手作り感を顧客に伝えてくれる重要な要素であるとのちに思いついた。


帰京後、早速、“とりどりもなか”をいただく。

箱の中、こんな紙袋に入っています
紙箱のなか、紙袋に入っていました

直径14cmほどの大きな最中です。

直径14cmほどの大きい最中

その最中が島津藩の家紋・丸十のように最中の皮に溝が刻まれ、四つに仕切られている。時計回りに右上から春・夏・秋・冬の意匠が焼き付けられている。

四切れに分割
四つに分けます

その四つの仕切り毎に、甘泉堂主人の「ここ許参らするとりどり最中をご覧じませ一つが四季の味がする・・・」との挨拶にあるように、春の大納言粒餡(小豆・砂糖・寒天)、夏の緑色の柚餡(手芒(テボ)豆・砂糖・寒天・柚子)。

春の大納言粒餡 夏の緑色の柚子餡
左:春の大納言粒餡             右:夏の緑色柚餡
秋の小豆漉し餡(小豆・砂糖・寒天)、冬の白インゲンの斗六漉し餡(手芒豆・砂糖・寒天)と四種類の餡が一つの最中で楽しめる。
秋の小豆漉し餡 冬の白隠元の漉し餡
左:秋の小豆漉し餡           右:冬の白隠元の斗六漉し餡


アンコ大好き族には堪らぬ菓子である。それも・・・大きくて・・・食べ応えがある・・・


それでは、店主に代わり、甘泉堂の“とりどりもなか”、
「豊かな味も伝来の暖簾にかけし最中の家元 先づは召しませ、試しませ」

京都祇園を訪れた際には京都の路地(ろーじ)に足を踏み入れて、甘泉堂の“とりどりもなか”を是非ともご賞味あれ。


“総本家駿河屋”の“古代伏見羊羹”=旅人の見た京都のお菓子

伏見は京都の南、宇治川の北岸に展開し、江戸時代には水運で栄えた宿場町であった。

伏見の水運 旅籠・寺田屋
伏見の水運              旅籠・寺田屋

近くは坂本龍馬の寺田屋や鳥羽伏見の戦いなど沸騰する幕末の時代を、遠くは安土・桃山の豪華絢爛、自由奔放な時代を、伏見桃山城の眼下に、まさに直に眺めてきた土地である。

伏見稲荷
伏見稲荷

その伏見の地、京阪本線の伏見桃山駅、近鉄京都線・桃山御陵駅から徒歩1分のところに“総本家駿河屋伏見本舗”はある。


京町通りを隔てて対面には、明和元(1764)年、讃岐出身の初代・三郎兵衛が創業した老舗京懐石・“魚三楼(うおさぶろう)”がある。

京懐石老舗・魚三郎

その店先の格子には鳥羽伏見の戦いの際に受けた弾痕がいまも生々しく残されていた。まさに、幕末乱世の劇中に舞い降りたような気分になれる通りでもある。

魚三楼店頭にある説明版 鳥羽伏見の戦いで受けた弾痕
弾痕がそのままの魚三楼の格子

今回は、前にご紹介した亀屋良長の“烏羽玉(うばたま)”や亀末廣の“竹裡(ちくり)”と同じく、戦時下の昭和17年、京菓子作りの伝統を後世に残さんと、時の京都府が砂糖など特別の配給を行ない保護した“和菓子特殊銘柄18品”のひとつ、“古代伏見羊羹”に迫ってみた。

伏見本舗
総本家駿河屋・伏見本舗

総本家駿河屋は寛政二年(1461)、初代岡本善右衛門が船戸庄村(現在の伏見の郊外)に「鶴屋」の屋号で饅頭処の商いを始めたのを嚆矢とする。

店内
店内

天正年間に蒸羊羹を改良し「伏見羊羹」、別名「紅羊羹」を発売。それが、豊臣秀吉の大茶会で諸侯に引き出物として用いられ絶賛された(同社HPによる)。

店内・古代伏見羊羹説明書き
古代伏見羊羹の説明

ただ、どうもこの古代伏見羊羹は従来の蒸羊羹を改良して、澱粉、砂糖に赤色を加えた紅羊羹で、実際のところは今の煉羊羹とは異なるものであったようである。


さらに、駿河屋HPにある“天正17年(1589)の北野の大茶会で供された”ことについては、大茶会開催が天正15年であることから、総本家駿河屋の紅羊羹が引き出物として供され絶賛を博したのは、天正17年5月20日に催された聚楽第で公卿や徳川家康など諸大名に金6千枚、銀2万2千枚の金銀を配った、世に云われるところの“太閤の金配り”の際のことであったと推測される。


能書きはこれぐらいにして、早速に古代伏見羊羹を食べてみよう。購入したのは“夜の梅”と“練羊羹(紅羊羹)”の二棹の課題羊羹である。

古代伏見羊羹 夜の梅・紅羊羹

それと、比較の意味で、現代版の“夜の梅”を一棹購入した。家内に言わせると、何が比較衡量だと申しておりましたが、やはりグルメの達人の道へと少し足を踏み入れた男として、それは、突然、偶然でもなく、必然の行為であると、強く主張したい。

夜の梅・包装

それで、まず、現代版の“夜の梅”をいただく。見た目も肌裡細やかで、切り口に小豆が浮き出て、まるで夜の闇に浮かぶ梅の花のよう。

現代の夜の梅

味も上品な甘さでとてもおいしい。


次に、古代伏見羊羹の練羊羹、いわゆる紅羊羹をいただく。見た目に砂糖が少し吹き出しているのが、何とも郷愁といおうか、懐かしさを感じさせる。

古代伏見羊羹・練り羊羹

味はすっきり素朴で、甘みがしつこくなく、本当においしい。これぞ、“羊羹”である。昨今の甘みのきつい羊羹は、量があまりいけないが、これだと思う存分に羊羹の世界を堪能できる・・・


次に古代伏見羊羹の“夜の梅”にいく。

これはまた、見かけも漆黒の闇から咲き乱れた梅の花が浮かび上がってきたようで、なかなかの趣きである。

古代羊羹・梅花が浮き出ています

おいしい・・・おいしい・・・おいひ〜い!!

古代紅羊羹・肌裡は細やかです 古代羊羹・しっとりしています

これが羊羹!! これぞ羊羹!!と、はしたなくも雄叫びを上げたものでした。


以上が“古代伏見羊羹を食す”のレポートであるが、この紅羊羹を製造販売する法人・(株)駿河屋の現況についても、残念ながら少し触れておかねばならぬ。

総本家駿河屋看板

駿河屋(本社・和歌山市)は本年1月17日に和歌山地裁に民事再生法の適用を申請、保全命令を受けている。


ただ、同法の適用が受諾されたことから、これまで通り営業を続けながら同社の再生が図られてゆくわけで、古代伏見羊羹は今までと同じようにわれわれは口にすることが出来る。


古代伏見羊羹札

“古代伏見羊羹”の熱烈なファンが少なくとも、一人、ここに厳然といることを同社経営陣は肝に銘じて速やかなる再建を果たさんことを強く願うものである。


そしてこの懐かしい味をわたしの舌の上に運んでくれる“紅羊羹”を、これからも大切に心を籠めて作り続けて頂きたいと望む。


そのためにも全国羊羹愛好会の一員であると自負して止まない方々は、総本家駿河屋に伺うもよし、ネットで購入するもよし(電話で頼めば、古代伏見羊羹も送ってもらえます)、彦左衛門のためにも、古代伏見羊羹を食べてくださ〜い!!



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