彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

和多都美神社

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 4(大吉戸神社・鋸割岩・金田城・和多都美神社)

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 番外編(大吉戸神社と金田城の謎)

神々のふるさと、対馬巡礼の旅――番外編(対馬のことごと)

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 1

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 5(鴨居瀬の住吉神社)

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 6(鴨居瀬の住吉神社・赤島)

 翌29日は事前に予約を入れておいた市営渡海船「ニューとよたま」(定員2030名)で、午前十時半から午後零時の間、浅茅湾を巡りながら海上から対馬を観光した。ルートは樽ヶ浜〜鋸割(ノコワキ)・城山(ジョウヤマ)〜和多都美〜樽ヶ浜である。

 


  

樽ヶ浜


樽ヶ浜に停泊する遊覧船


乗船する渡海船「ニューとよたま」

 

 当日は幸い好天に恵まれ、いや、相当に暑い日であったが、クルージングには最高の日和であった。その日はわれわれ6人に加え、やはり東京からの観光客一行7名を加えた二組だけのゆったりとした船旅であった。


樽ヶ浜から浅茅湾へ


丘の上に対馬空港


着陸態勢のANA機 

 

 樽ヶ浜は対馬空港から1km余、浅茅湾の東南隅の突き当りにある。小さな桟橋を出て、志々加島を右手に見て、みそくれ鼻を左に回り込んで鼠島を左手にかわすと、まず最初のビュースポットである飯盛山(126m)が見えてくる。丸いおにぎり型の山頂部分が夕刻になると白く輝き、本当においしいおにぎりソックリに見えるそうだ。

 


横からはゴリラの顔にも見える飯盛山


正面からの飯盛山。夕方、頭が白く輝くとお握りに見える。 

 

 その飯盛山を左後方に見ながら進むと、左手に、第二のビュースポット、突端に白い灯台が立つ芋崎が見えてくる。芋崎は西側海上から敵が攻めてきた時の浅茅湾の「のど仏」と云われ、古代から海上交通や軍事上の要衝の地であった。実際に、幕末の1861年、ロシア帝国海軍の軍艦「ポサドニック」が対馬租借を狙い半年にわたり占拠を続けた場所でもある。

 

 

芋崎の灯台



Uターンすると芋崎の岩肌は荒波で屹立している
 

その芋崎をくるりと左へUターンすると、正面に城山(272m)、ちょっと左に鶴ヶ岳(162m)が見える。その二つの山が迫る「細り口」という名前通りの狭い水路へと船は向かう。「細り口」から黒瀬湾へと入ってゆく鶴ヶ岳の南端に「鋸割(ノコワキ)岩」がある。このクルーズの最大の見どころと云ってもよい。石英斑岩の百メートル近い巨岩は海上から見上げると、まさに山を鋸でバサッと切り裂いたように垂直に岩肌が屹立し、豪壮とも評すべき絶景である。

 


正面は細り口。右が城山、左突端部が鋸割岩


鋸割岩に近づいてゆく


鋸割岩が迫る


間近に見る鋸割岩


海中に垂直に落ち込む鋸割岩 

 

そこから黒瀬湾に入ってすぐ右手、城山が海になだれ込む水際にまさに忽然と石の鳥居が姿を現す。湾というより静かな湖に居るようで、海面はこの船が起こす波紋が広がるのみで、船上に居ながら森閑とした深山のなかをゆく旅人の気分になる。その神秘的雰囲気のなかに、古くは黒瀬の「城八幡宮」とも号した「大吉戸神社」が静かに鎮座している。

 


黒瀬湾の入口右手に大吉戸神社の鳥居が・・・


鳥居の奥に石段が見える


城山の山裾に大吉戸神社がある 

 

右手に迫る城山中腹の樹林の合間に所々、石垣が見えてくる。

 


中腹に朝鮮式山城の金田城の石塁が 



はっきり見える山腹を巡る石塁
 

 

663年に白村江(ハクスキノエ)の戦いがあった。百済救援に向かった倭の艦隊が新羅を支援する唐の艦隊に大敗を帰した戦である。敗戦の後、天智天皇は667年に、新羅、唐からの侵寇に備え、金田城(カナタノキ)の造営を命じた。「紀」の「天智天皇611月の条」が、讃岐の屋嶋城、倭国(大和)の高安城と同時にこの金田城を築いたことを伝えている。その朝鮮式山城の城壁こそが樹林の隙間に見える石垣なのである。

 

 

 

現在も高さ2.5m〜6m、総延長5.4kmにわたりその石塁が残っている。一ノ城戸(キド)から三ノ城戸まで三つの城門があるが、近年、発掘も進み、その修復や復元とともに城壁に当たる石組みの修復も行なわれている。対馬が国防の拠点の最前線であったという当時の緊張した国際関係を肌で感じ取れる興味深い遺跡である。

 

 


正面上部に修復中の石塁が見える 

 

 

そして、そこで反転していよいよ、「ニューとよたま」は対馬観光の目玉とも云うべき海上からの和多都美神社観光へと向かう。

 


「ニューとよたま」 は黒瀬湾を出てゆく



聖なる山、白嶽山の頂上が見える

浅茅湾の真珠の養殖
浅茅湾では真珠の養殖が盛んである


湊の村


村の対岸に真珠の加工工場。毎日、工場へ船で行き来する
 

浅茅湾を北上し、仁位浅茅湾へと入り、時計回りに湾内を進んだ奥まった場所に、昨日、真珠の浜に降りて見上げた一之鳥居と二之鳥居が海上に浮かんでいるのが望見できた。

 


右手奥が真珠の浜。一之鳥居、二之鳥居が遠くに・・・


海中に立つ鳥居。前日は一之鳥居の少し 向こうまで歩いて来れた

 

 

船は鳥居の正面近くに停止する。海上から五つの鳥居をまっすぐに見通すのが、このクルーズの真骨頂ということだと、ガイドのオジサンが案内する。このスポットで鳥居をバックに記念撮影というのが定番ということなので、当然、われわれもパチパチとデジカメを撮り合った。

 


シャッター・チャンス!!船長さんお見事!


満ち潮に覆われた満珠瀬と豊玉姫の像


海上、満ち潮で隠れた太田浜から、玉の井の鳥居を
 

 

静かな入り江の海中に鳥居が立ち、それをくぐった奥に宮殿がある。海上から眺めてみて、ここがまさに龍宮城だということを確信した瞬間であった。 そして、和多都美の海は、わたしに夏の強烈な陽光を碧色に跳ね返して見せた。

 

ここが、龍宮城だと確信した瞬間!!!




樽ヶ浜へ

樽ヶ浜へ 

 
 船は一路、樽ヶ浜に向かい波を蹴った!

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 3 和多都美神社の玉の井

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 番外編(三柱鳥居と天照御魂神社の謎)

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 補足(参考・引用文献について)

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神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 2(和多都美神社)

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 1



 


左の舗装道をゆっくり上った先、左手に「玉の井」 ・正面、三柱鳥居

 

古くは和多都美神社の地続きの境内であったのだろうが、今は三之鳥居と四之鳥居の間をりっぱな舗装道路が横切り、その道路を車で1、2分行った左手、浜辺に降りる細い坂の先に「玉の井」はある。10mほどの坂を下ると、右手に石の鳥居があった。扁額に和多都美神社とある。その鳥居正面奥の木陰に「玉の井」が見えた。

 


玉の井周辺の地図


鳥居の奥正面に「玉の井」

玉の井の鳥居の扁額
和多都美神社と書かれた扁額 



玉の井で出逢う山幸彦と豊玉姫
 

 

「紀」の「神代下第10段」に、『(彦火火出見尊は)忽(タチマチ)に海神(ワタツミ)の宮に至りたまふ。其の宮は、雉�犬(チテフ・注1)整頓(トトノホ)り、台宇(ダイウ・注2)玲瓏(テリカガヤ)けり。門前に一つの井有り。井上(イノホトリ)に一の湯津(ユツ・注3)杜樹(カツラノキ・注4)有り。枝葉扶疏(シキモ=繁茂)し。時に彦火火出見尊、其の樹下に就(ユ)き、よろほひ彷徨(タタズ)みたまふ。良久(ヤヤヒサ)しくして一(ヒトリ)の美人(ヨキオトメ)有りて、闥(ワキノミカド・注5)を排(オシヒラ)きて出づ。遂に玉鋺(タママリ)を以ちて来り水を汲まむとす。因りて挙目(アフ)ぎて視(ミ)つ。乃(スナハ)ち驚きて還(カヘ)り入り、其の父母に白(マヲ)して曰(マヲ)さく、「一の希しき客者有り、門前の樹下に在す」まをす。海神、是に・・・』

とある。海神の宮に着いた山幸彦(彦火火出見尊)が門前の井戸のほとりにある桂の木の枝に腰かけ、水を汲みに来た豊玉姫が井戸の水面に映る山幸彦を見つける有名な場面である。

 

 その美しい鋺(ワン)に因んだ「玉の井」がこの満珠瀬と干珠瀬に挟まれた小さな浜のほとりにあった。脇に大きな木があり、緑の葉を繁茂させていたが、桂の木ではなかった。

 

大きな木の下に強い日差しをさけるように玉の井が
 

 

この井戸は今でも水が湧き出ているとのことであり、柄杓が井戸の蓋の上に置かれていた。周囲に夏草が生い茂り、草いきれも激しかったが、目を閉じて小さい頃に読んだおとぎ話を瞼の内に浮かべて見ると、雑草と思われた夏草は龍宮城を飾る色とりどりの藻に変じ、むっとした草いきれは、桂の木が放つ爽やかな薫りのように思えてきた。

 


今でも湧水が出ているという玉の井


周辺には夏草が生い茂る 

 

 

鳥居を背にして眼前には太田浜が広がっている。すぐ左手には満珠瀬があり、その左隣の浜が真珠の浜となる。満珠瀬には豊玉姫の銅像が建てられている。また、目を右手に転じると、汀に沿ってちょっと斜め右手に干珠瀬が見えた。穏やかで、豊な海がどこまでも広がっている、そんな気持ちがわたしを包み込んだ。わたしは、この和多都美の宮殿のほとりに、いま、まさに立っているのだと実感した。

 


穏やかな太田浜の水面


山の落ち込んだ突端部が干珠瀬(満珠瀬より撮影)


満珠瀬に建つ豊玉姫の像
 

 

 鳥居の脇に小屋があった。中に二艘の和船が置かれていた。二人の若者が一生懸命、船の手入れをしていた。近く、競漕があるとのことで、その準備に余念がないといった様子であった。後で調べたところ、その競漕は「船ぐろう」と呼ばれるものであった。

 


「船ぐろう」に 出る二艘の和船

 

境内の拝殿前の建屋に和船が一艘、収められていたが、この「船ぐろう」でかつて優勝でもした船であったろうか。

 


拝殿前の脇に置かれた和船 

 

和多都美神社では、古式大祭として毎年旧暦81日(今年は98日)に、「船ぐろう」と呼ばれる櫓漕ぎ和船二艘による競漕が行なわれる。櫓を11丁使い、神社へ向かって沖合から片道200mで争われる。

 


壱岐にも「船グロウ」と呼ばれる同様の習俗が残っている。当社の「船ぐろう」は昭和56年に復活したそうだが、対馬内でも海神神社をはじめとし多くの神社や海村で、この「船ぐろう」は催されている。船には神官が乗ったり、神功皇后の新羅征伐を彷彿とさせる女装をした老練の漁師が舳先に乗る例もあり、古来の神事と思われる習俗である。

 

出雲の美保関で白装束の氏子による二艘の古代船による競漕は、「諸手船(モロタブネ)神事」と呼ばれ、今に、「大国主命が国譲りの際に美保神社の祭神・事代主命に諸手船で使者を送った」との故事を伝えている。

 

対馬や壱岐の「船ぐろう」が沖(海)から浜(陸)へ向かって競争し、浜に飛び降り、旗や日の丸、御幣などを取り合うという行為は、今の私たちに何を伝えようとしているのだろうか。

 

対馬の随所でこの「船ぐろう」が絶えては復活、絶えては復活を繰り返しながら、現代に継承されて来ていることに、対馬の人々の血のなかに、神功皇后の新羅征伐を援けた海人族としての誇りというDNAを見つけたような気がした。

 

時間は移ろい、さっき歩いた真珠の浜に潮が満ちはじめ、二之鳥居までが潮に浸かっていた・・・

 


いつしか潮が満ちて来た・・・(満珠瀬より) 

 

(紀の注1)雉�犬(チテフ):城の長く高い女垣。「雉(チ)」は城の垣の尺度の単位で、横が三丈、高さが一丈。

(紀の注2)台宇(ダイウ):「台」は、「説文」に「台は四方を観るに高き者也」とある。「宇」は軒、屋根の意。二語でウテナの意。

(紀の注3)湯津:「神聖な」の意。

(紀の注4)「杜」は境界木としての木の意(新撰字鏡)で、ここでは、カツラの木(楓はヲカツラ、桂はメカツラ)。天神の降臨の木として登場。

(紀の注5)「脇の御門」の意で、宮廷人が日常通用する小門。

 

 

 

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 番外編(三柱鳥居と天照御魂神社の謎)

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 1

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 2(和多都美神社)

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 3 和多都美神社の玉の井

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 補足(参考・引用文献について)
 


磯良の墓を護る三柱鳥居。潮が満ちてくると鳥居は海水に浸される


磯良の墓


三柱鳥居は海水の入り込む潮溜まりに 

 

 

阿曇磯良の墳墓伝承のある磐座を中央に収める三柱鳥居は非常に珍しい鳥居様式である。全国でも数例(京都・木嶋神社、東京・三囲(ミメグリ)神社、)を数えるのみで、就中、京都の蚕の社と親しまれている木嶋(コノシマ)神社(京都市右京区太秦森ヶ東町)の三柱鳥居がつとに有名である。

 


海神の豊玉彦命の墓を護る三柱鳥居(横から)


三柱鳥居が美しい・中央に海神の墓が。 

 

  その木嶋の鳥居も拝殿正面にあるのは笠木に反り増すのない普通の神明鳥居で、三柱鳥居は拝殿左奥の階段を数段下った、薄暗い元糺(モトタダス)の池の中に立っている(現在は近隣の宅地開発の影響で水は枯渇し、枯れ池となっている)。 また三囲神社の三柱鳥居は中心にある井戸を護るように立っている。

神社の前

京都太秦の元糺にある木嶋坐天照御魂神社

元糺の池に立つ三柱鳥居

水が溜まる石組に囲まれている

湧水の水位を測るのだろうか、三柱鳥居の前に大きな石組みの池が

三柱の中心に磯良の墓を思わせる石の造作が・・・

こうした例と和多都美の潮溜りの海中に立つもの(磯良恵比寿)とを併せ考えると、謎と云われる三柱鳥居の由来に、海なり水、或いは潮の満ち引きに深く関係していることは確かなところであろう。

 

さらに木嶋神社の別名である木嶋坐天照御魂(コノシマニマスアマテルミタマ)神社という名が、後日、訪ねる対馬の阿麻テ留(アマテル)神社の御祭神が、「対馬下県主『日神命』または『天照魂命』」(「大帳」)とあるのが、「日の神」と「海・水の神」との融合に何か関係があるようにも思われる。

 

同様に、延喜式名神大社の摂津の新屋坐天照御魂(ニイヤニマスアマテルミタマ)神社の論社である西福井、宿久庄、西河原の新屋坐天照御魂神社(共に大阪府茨木市在)の祭神のなかに、大綿津見大神(西福井)、住吉三神・磯良神(宿久庄)、住吉神・磯良神(西河原)の顔が見えることも、「日の神」と「海の神」の融合を暗示させる。

 

とくに興味深いのが、西河原天照御魂神社の元境内社であった磯良神が独立して、茨木市三島丘に疣(イボ)水・磯良神社として祀られている。その地に「玉の井」という霊泉があり、山幸彦伝説の「玉の井」と同名の井戸があるのも興味深い。

 

そして、新屋天照御魂の3論社に共通して神功皇后の三韓征伐時の禊ぎや凱旋時にここの玉の井で洗顔し、美しい顔に戻った(出征時には男装し、顔に疣(イボ)をつけた)とされる皇后伝承が残っているのも注目すべき点である。

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 2(和多都美神社)

 

神々のふるさと、対馬探訪の旅 ―― 1

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 補足(参考・引用文献について)

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 補足(参考・引用文献について)

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 番外編(三柱鳥居と天照御魂神社の謎)

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 3 和多都美神社の玉の井


海上より和多都美神社と境内を覆う原生林を 

 

 

 いよいよ、和多都美(ワタヅミ)神社(豊玉町仁位和宮55の境内へと足を踏み入れることにしよう。

 


三之鳥居から陸地へ


最後の五之鳥居から境内と三之鳥居を 

 

 

 

 「紀」の神代上(第五段)・一書第六に「底津少童命(ソコツワタツミノミコト)・中津少童命(ナカツワタツミノミコト)・表津少童命(ウハツワタツミノミコト)は、是阿曇連等が祭れる神なり」とある。伊弉諾尊(イザナギノミコト)が橘小戸(タチバナノオド)の海中で祓除(ミソキハラ)いをした時に産まれ出たのが上にある「綿津見三神」であり、さらに同時に産まれ出た「住吉三神」とともに「海神」とされる。

 

ワタヅミという名から当社が海と深く関わる神社であることは言を俟たない。また、当所に残された幾多の伝承や遺跡から、この地こそお伽話に出てくる「龍宮城」であるとするのは、この地に立ち、海上からこの宮を見た者が等しく抱く素直な感情ではなかろうか。当社の御祭神、由緒をまず詳細する。

 

【和多都美神社の概略(「対馬の神道」より)】

    社号:「明細帳」は「渡海(ワタツミ)宮」を和多都美に充てる。「大小神社帳」には「天神宮」を充てるが、同宮は古くは和多都美御子(オンコノ)神社と號したとある。

    祭神:彦火火出見尊(ヒコホホデノミコト・山幸彦)・豊玉姫命(海神豊玉彦命の娘)

    由緒明細帳)

當社は海宮の古跡なり。古くは海神豊玉彦命此の地に宮殿を造り住み玉ひ、御子に一男二女在して、一男を穂高見命と申し、二女を豊玉姫命、玉依姫命と申す。ある時、彦火火出見命、失せし鉤を得んと上國より下り玉ひ、此の海宮に在す事三年にして、終(ツイ)に豊玉姫を娶り配遇し玉ふ。良有て鉤(ハリ)を得、又上國へ還り玉ふが故に、宮跡に配遇の二神を齋(イツ)き奉りて和多都美神社と號す。又社殿を距る凡二十歩にして豊玉姫の山陵及豊玉彦命の墳墓あり。寛文年中(16611673)洪浪の為めに神殿悉く流れて、神体の(原文は「」)、渚に寄り来れるが故に、往古の棟札なく、勧請年月未詳。・・・」

 

 

さて、海上より数えて四つ目の鳥居に向かって白砂利の敷かれた境内に入ると、左手に石組みに囲われたプール状の潮溜りがある。その中央付近に三柱鳥居がある。3本の柱に囲まれて「磯良恵比寿」と呼ばれる「安曇磯良の墓」(伝承)が見えた。

 


四之鳥居に向かい左手の潮溜りに三柱鳥居に囲まれた磯良の墓が 

 

 

各種案内では、「鱗状の亀裂が入った」と形容されるが、その泥色をした岩は大きな拳状の塊がくっ付きあったような奇怪な形をし、思いのほか大きかった。海中に生活していたため鮑や牡蠣がくっついた見苦しい顔であったとされる磯良の気味悪さを表わしているような、そんな形状であった。

 


三柱鳥居


奇怪な形状の磯良恵比寿


説明板 

 

 

当日は狙い通り干潮から一時間ほど経った時刻に詣でることができ、磯良恵比寿の全貌を心ゆくまで堪能できた。そして、ひょっとしたらこの岩の下に、海中に通じる「橘小戸(タチバナノオド)」があるのではないかとあらぬ妄想に駆られたりした。

 


干潮時の社前の真珠の浜と一、二之鳥居


これ、ひょっとして橘の小戸? 

 

そこから少し進み四つ目の鳥居をくぐると、正面に最後の鳥居と拝殿がある。その拝殿の奥に神明造りの本殿がある。拝殿脇の松の古木の大きな根が龍のように体�默をくねらせ本殿を目指し這っている姿が印象的であった。

 

 

五之鳥居と拝殿



拝殿境内入口で睨みをきかす狛犬


拝殿正面


神明造りの本殿


本殿へと這う松の古木の根っこ 

 

拝殿の左脇にまた三柱鳥居を見つけた。その中心には大きな磐座のように見える岩があった。海神豊玉彦命の墳墓とも云われるものである。何の表示も説明板もない。各種のWEB SITEで書かれているので、そう思ったまでである。

 


三柱鳥居に護られた豊玉彦命の墳墓 

 

ただ、番外編の「三柱鳥居」で述べるように、水神なり海神と三柱鳥居が関係するのであれば、この磐座が海神、豊玉彦命の墳墓であるとしても、あながちおかしくはない。龍宮であるこの海神の宮に豊玉彦の墓が祀られていない方が奇妙と云えば奇妙なのだから。さらに、神社誌の注釈にも、「社殿を距る凡二十歩にして豊玉姫の山陵及豊玉彦命の墳墓あり」とあり、過去、神殿は流されてもご神体は渚に戻ってきたと記されていることから、次に見る豊玉姫の御稜と併せ、この磐座が豊玉彦命の墳墓と看做(ミナ)すのは妥当と考える。

 

次に鬱蒼とした薄暗い森の中へと入ってゆく。我々一行6人以外に誰もいない原生林は霊気を孕(ハラ)み、目に見えぬ神が語りかけて来るように感じた。

 


霊気の漂う境内の原生林 

 

細い小道をしばらく行くと、左手に鳥居が見えた。根っこが捻じり上がったような樹の根元に豊玉姫の御稜はあった。7080cmほどの楕円形の自然石に「豊玉姫の墳墓」と刻まれていた。その自然石はたくさんの平板な石が積まれた上に乗り、後方に武骨で大きな岩が見守るように寄り添っているのが印象的であった。

 


 

原生林と磐座に依る豊玉姫の墳墓


中央のだ円形の自然石に豊玉姫の墳墓と刻まれている 

 

 

境内をさらに進むと、おそらく雨が降った時には小さな川になるのだろう、そこに木橋が架かり、原生林を抜けると境内の裏から入る鳥居にぶつかった。 

 

木橋
境内の木橋 

 

扁額に「一宮和多」まで何とか読めたが、あとは緑色の苔が覆っていた。

 


苔むした裏の鳥居の扁額 

 


神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 1

 828日、福岡国際空港から対馬海峡を飛び越え、定刻の午後4時に浅茅湾東南奥、本島のほぼ真ん中に位置する対馬空港へ降り立った。これから34日の神々を巡る対馬の旅が始まる。

 


対馬海峡(デジカメで撮影可能な上空から)

対馬海峡に小さく浮かぶ小島が見える(同上) 

 

 空港へ迎えに来てくれた従妹家族の車で対馬グランドホテルへ直行(5分)、まず、チェックイン。従妹夫婦は小学校の教員であるが、長崎県の教職員には原則、4年間の離島赴任が義務づけられている。今年が彼らの対馬における最後の夏になるというので、押しかけた次第である。

 


宿泊先の対馬グランドホテル


日本海を見晴らすテラス

コテージ
ロッジに泊る。この先右手階段を下りると日本海の磯に繋がる


磯辺から日本海に昇る朝陽を(29日早朝)


水平線に朝陽が(同上)


素晴らしい朝焼けの空(同上) 

 

そして、ホテルでの休憩もそこそこにお目当ての和多都美(ワタヅミ)神社へ向かうことにした。予め、当日の干潮が午後430分であることを調べておいた。

 

干潮時でないと和多都美神社の海中に立つ鳥居の傍に歩いて行けない。また、潮溜まりにあるはずの阿曇磯良(アズミノイソラ)の墓との伝承のある磐座(イワクラ)が水没していては堪らないと思ったのだ。

 


和多都美神社


干潮で全貌を見せる磯良恵比寿 

 

 車で約40分。和多都美神社(豊玉町仁位)は、仁位浅茅湾の奥にあった。潮が引いた「真珠の浜」に降りて、早速、歩いた。残念ながら一之鳥居はわずかに足元を潮に濡らしていたが、二之鳥居と一之鳥居の土台がしっかり見えた。

 

 

真珠の浜に下りて、三之鳥居から拝殿を臨む



二之鳥居から一之鳥居を


二之鳥居正面から拝殿方向を

 

 右手の堰堤の突端の辺りが、山幸彦の神話に出てくる潮満瓊(シホミツタマ)・潮涸瓊(シホフルタマ)の宝珠にちなみ「満珠瀬」と呼ばれる場所である。その土手の上に潮満瓊をささげる豊玉姫の銅像が建っていた。


この堰堤の突端の辺りが満珠瀬




 晩夏の夕暮れ、干潮の真珠の浜にはわれわれ以外には人っ子一人いない。ただ、両脇に迫る小高い山から蝉しぐれが降り注ぐのみである。

潮満瓊(シオミツタマ)を奉げる豊玉姫の銅像

 


刻々と潮が満ちてくる浜に静謐の時間が・・・ 

 

 海神、豊玉彦命の宮殿の地を静謐の時間が充たした瞬間である。

 

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 2」で、和多都美神社の由緒等詳細を語る。


神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 2(和多都美神社) 

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 補足(参考・引用文献について)

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 番外編(三柱鳥居と天照御魂神社の謎)

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 3 和多都美神社の玉の井


神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 4(大吉戸神社・鋸割岩・金田城・和多都美神社)

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 5(鴨居瀬の住吉神社)

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 6(鴨居瀬の住吉神社・赤島)

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 7(梅林寺)

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 8(鶏知の住吉神社と阿比留一族)

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 9(雷命(ライメイ)神社)

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 10(太祝詞(フトノリト)神社)

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