彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

哀しいことの多すぎた2011年も大みそか・・・

あまりにも哀しすぎることの多かった2011年もいつもの年のように大みそかを迎えた。
津波が越えていった石巻の堤防
あの日、この堤防を大津波が越えていった・・・(石巻市・12月23日・撮影者は息子)
3.11の東日本大震災では自然の前では、人間の知恵など何ほどのこともないことを骨の髄から知らされた。

新宿からビルが密集する小さな人の営みを望む
その一方で、東北の被災地の人々のひたむきな姿を目にすることで、人間は悲しみのどん底に落とされようとも、これから将来に横たわる一秒、一秒を拾い集めながら、”生きる”という苦しくつらいけど、”尊厳”という絨毯の敷かれた長い路を歩んでゆく存在であることを知った。

そんな2011年の大みそかに空を見上げた。
2011年大みそかの雲ひとつない青空
そこにはどこまでも、どこまでも、青い、青い・・・空が広がっていた。

そして中天にうっすらと白い昼の月を見つけた。
月齢6.4の月
月齢6.4、もう少しで上弦の月・・・
もう少しで上弦の月なんだ・・・

一秒、一秒、太古から変わらぬ息遣いをしている自然の不敵さを見た。

右に目を移すと、そこにキラキラと耀く太陽があった・・・
まぶしくて直視できない。

そのまぶしさを手に入れようと写真に収めた。
そこには不思議な六つの赫い光輪が太陽を守るかのように取り囲んでいる姿が映っていた
2011年大みそかの太陽
それは、わたしに”まぶしさ”を独り占めさせないかのように見えた。

まぶしい命はひとしく人々の上にそそぐのだと云っているかのように・・・

金子兜太に聴き入る子らに命の輝き3

 

 

 年末、NHKで放映された「課外授業ようこそ先輩スペシャル」を観た。埼玉県秩父の皆野(みなの)小学校を87歳になる俳人金子兜太氏が訪れ、75歳年下の後輩たちに俳句を通じ「命」の大切さを熱っぽく訴えた。

川原へ子供たちを連れ出し、そこで踊りながら民謡を唄わせ、その歌詞のひと言ひと言が「七、七、五」からなっていることを巧まずして教えていた。そのリズムの良さとわれわれ日本人のなかにそのリズムがDNAとして流れていることを自然と体感で教える、その姿に「師」の真髄を見たような気になった。

 

画面は一転して俳句を子供たちに詠ませながら自由に講評させる教室内の光景に移った。季語などと難しいことは言わず、子供たちに自分の一番大切なものを「五、七、五」のリズムで自由に詠わせた。

「おじいさん病気になってもスーパーマン」「ばんそうこう形やがらに個性あり」「色えんぴつよく使ってるから小さいよ」などなど。そのなかに「美野山が笑っているよ正月だ」という兜太氏の句もこっそりと紛れ込まされていた。子供たちは同氏の句を評して「作った感じがする」「頭のなかで考えたようだ」と、現代俳句界の異才に容赦のない辛口の寸評を下した。同氏のいつもの激越な舌鋒も影を潜め、目には郷土の後輩たちに対する慈愛の光が灯っていた。

 

 そして兜太氏は先刻行った川や山にいる魚や小さな虫など、自然はすべてに「命」があることを語った。その小さな命を体でしっかりと抱きしめなさい、実際に抱き合ってみてごらんと子供たちに勧めた。そうして初めていろいろなものの命を体感できるのだと熱っぽく語った。87歳になる兜太氏の口元を12歳の子供たちは食い入るように見つめていた。たくさんの小さな瞳が命の輝きを放っていた。久しぶりに目にした子供の瞳の輝きであった。わたしも兜太氏の言葉に、命を抱きしめ体感することの大切さを久しく忘れていたことに気づかされた。

 

 京都の清水寺恒例の2006年の漢字一文字は「命」であった。今年ほど「命」の言葉が世の中で叫ばれた年もなかった。メディアのなかで、学校のなかで、国会のなかで、キャスターや教育コメンテーター、政治家に、果てはバラエティー番組の出演者たちまでが「命」、「命」の大合唱であった。しかし、なぜかその多くの声はむなしく、わたしには空々しく聴こえた。

俳人金子兜太氏の言葉に真剣に耳を傾ける子供たちの姿と瞳の輝きを見て、むなしさを感じた原因が「命を語る」人の実感からではなく「頭のなかで考えた理屈」で「命の大切さ」を訴えることの空々しさにあることに気づいたのである。

今年の漢字『命』が泣いていた5

今年も歳末恒例となっている、一年の世相を表わす「今年の漢字」に「命」という字が選ばれた。京都の清水寺で、森清範(せいはん)貫主が特大の色紙に揮毫(きごう)する姿がテレビ映像で流された。たっぷりと墨を含ませた巨大な筆で、ゆったりと「いのち」の漢字が描かれた。その「線」は生命の重みを思わせる重量感にあふれそしてそのふくよかな極太の線は命の温もりを表わしているように見えた。この一年を総括したまさに正鵠(せいこく)を射た漢字であると感心した。

 

今年は小学生や中学生の学校内でのいじめに起因する年少者の自殺や、親が子を、子が親を殺害するという家庭内での傷ましい事件または幼い命が犠牲になるなど飲酒運転による悲惨な事故が多発した。海外でもイラクをはじめとする中東で頻発する自爆テロなどこの一年で日本を問わず世界中で不条理に奪われ、失われた「命」は数知れず、その軽んじられた「命」の数は枚挙に暇がない。

 

その一方で皇室では41年ぶりの皇族男子となられる悠仁さまという新しい「命」のご誕生という国民的な慶事もあった。

 

森貫主が渾身をこめて「命」の字を書き終えたあと、その「命」と描かれた墨痕(ぼっこん)という墨痕からまるで涙が流れ出るようにたっぷりとした墨汁が滂沱(ぼうだ)と下に垂れ続けたのである。その流れを止めぬ情景はまるで「命」という「漢字」が身もだえして泣いているように見えた。この一年は生命の誕生という喜びをはるかに超えて、あまりにも多く理不尽で不条理に命を落とす傷ましさが社会を埋め尽くした。そのことで天がまるで慟哭(どうこく)しているように思えてならなかった。

 

わたしはその真っ黒な涙を見て、来年こそは「命」という「漢字」が涙を流すことのない年にさせねばならぬ、「命」の尊さをもう一度、社会全体で見つめなおす年にしなければならぬと心から思った。


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