詩人で作家の清岡卓行(きよおか・たかゆき)さんが3日、東京都内の病院で間質性肺炎のため死去(83歳)されたことを新聞の訃報欄でたまたま知った。ここに同氏のご冥福を祈るとともに、久しぶりに清岡氏の名を目にしたことで、原口統三とアルチュール・ランボーのことを思い起こした。この30年近く、この両名のことをじっくり考えてみる余裕などなかった。
原口統三の「二十歳のエチュード」とランボーの「地獄の季節」
その「二十歳のエチュード」のなかで、原口はアルチュール・ランボーについて熱病に浮かされたように語っていた。また、尊敬する先輩として清岡卓行氏に言及する個所が何ヶ所も出てきた。それで、昭和45年に芥川賞を受賞した清岡氏の「アカシアの大連」を読んだことがある。読後にこの清岡氏がどうして原口にあれほどまでに賛美される先輩として映ったのか、正直、よくわからなかった。「アカシアの大連」という小説にもほとんどといってよいほど感激をしなかった。この清岡氏という人物に20才になったばかりの私は、人生というものの謎解きを期待し、受賞作を熟読したつもりであった。詩人らしく文章が透明感に満ちて、さらりとしていたように記憶しているが、人生の深奥に迫る迫力は感じなかった。読後感として物足りなさが残ったのだと思う。(今読み返して見たら、どうなのだろうかとも思うが・・・)
わたしは逆にそれほどに「二十歳のエチュード」に出合った青春のある時期、自分の魂を吸い取られるような興奮に駆られ、人生というものへの好奇心に満ちていたのだと、いまさらながら懐かしく思い出すのである。たかだか20歳直前の同年代の人間がこのような思想、思考、表現力を有し得るものなのか、これほどまでに人生を透徹する(その時はそう思った)眼力を有し得るものなのかと、思い悩んだ日々が走馬灯のように、いま、わたしの脳裡を駆け巡る。
原口統三は昭和2年1月14日に生を受け、同21年10月25日夜、神奈川県逗子海岸において入水自殺をした。『逗子海岸に面する「なぎさホテル」の白ペンキで塗られた柵に古ぼけた一高の制帽と風呂敷包みが残され、遺体はその翌日、ホテル前の浜に打上げられ、発見された』と当時の新聞記事にあった。
だから、原口統三はこの瀟洒な西洋建築の白い柵に浜辺から直接歩いてきて、一高の制帽と風呂敷包みを引っ掛けたのだろう。風呂敷のなかには「死人覚え書」という自筆の身元証明のような書面が入っていたということだ。
わたしは宿泊したその時点には、原口統三がこのホテルと、死ぬ直前にそうした接点があったことをまったく知らなかった。知っておれば、芝生の庭に出てそっと木柵に手を触れ、原口統三という若者の人生に間接的に触れてみたいと思ったに違いない。
なぎさホテルの朝食時に食堂内に漂っていた「アンニュイ」と言おうか「虚無感」のような空気は、今でもわたしの内に、皮膚感覚として確かに残っている。本当にどこか気だるい、このまま誰にも知られずにどこか遠くへ行ってしまいたくなるような、そんな不思議な雰囲気にさせる魔物のような時空がそこにはあった・・・。
原口統三・・・、それは、と〜い、と〜い昔のわたしの御伽噺である。