「司法改革――裁判の迅速化の光と影」

 

 今朝(4日午前6時前)、秋田県で起きた米山豪憲君(7歳)殺害事件において、「能代署捜査本部が、殺人、死体遺棄容疑で同じ団地に住む女性の実家などの捜索を開始、女性からも事情を聞いている」とのテロップがTVで流れた。

 

 この女性は、ネットや週刊誌、タブロイド紙などにおいて疑惑が取りざたされていた人物であろう。この事件の真相解明は当然、これから警察、検察当局にまかせることになるが、わたしが本件でもっとも懸念したのは、「冤罪発生の危険性」「大衆による人民裁判」という暗黒の問題である。

 

 わたしは530付けで「豪憲君事件に見るメディアの人権意識の本性」http://app.blog.livedoor.jp/hero1945/tb.cgi/50090390

というタイトルで、今回の捜査の過程で人権を無視した報道機関の取材姿勢について批判を行なった。どんな理由があったにせよ、捜査当局が何の公表もしていない人物を、あたかも容疑者としてその逮捕の瞬間でも撮ろうと、家の前でカメラの放列を敷いていることに、「冤罪」「魔女狩り」「人民裁判」という忌まわしい言葉が頭をよぎってしかたがなかった。

 

 事は一人の人間の一生に関わる問題であり、万が一、間違っておれば取り返しのつかないことになるのは必至であるからである。その人の人生を葬り去るに等しい危険性をはらんでいるからであり、そうした権利は何人たりとも有していないと思っているからである。

 

 そこで、冒頭のテーマになるのだが、司法改革の一環として2003年7月9日に成立,同年7月16日に公布・施行された「裁判の迅速化に関する法律」(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/sihou/hourei/jinsokuka.html

の抱える光と影について、最近の事件とあわせて取り上げてみたい。

 

 そもそも検察当局は、事件の立件までには、自分のペースでじっくり時間を掛けて用意周到な準備を行なう。そして、容疑者を拘束、取調べを行い、逮捕にいたる。それから裁判手続きに入る。その場合に、迅速化の名の下に「容疑者」の弁護を行なう弁護側が検察当局と時間的な面で対等・同等な条件をもてるのだろうかという疑問がわたしの頭から離れない。

 

先般の山口県光市の母子殺害事件における被告弁護士の安田好弘氏の対応には、社会からの批判が集った。わたしも同氏の記者会見の様子を目にして、弁護士の本分をこの人は取り違えているのではないかと憤った一人であり、原告の本村洋氏の心中は如何ばかりかと心を痛めた。

 

しかし、事件の真相究明とそれに則した償うべき刑罰を判断し、判決として下すのが裁判である。当然、罪を犯したものはその償いとしてその刑に服さねばならぬ。仮に、判決が死刑であったとしても、従うのは法治国家にある国民として当たり前のことである。ただ、それは憲法第32条で保障されている「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」という公正な手続きに基づき裁判を受けた結果としての判決に服するということである。

 

15施行の「裁判の迅速化に関する法律」の弊害として、今回の光市の母子殺害事件の公判のあり方で、万が一、弁護側にこれまでの公判記録や新たな事実検証等の時間がないが故に、被告人弁護にハンディが生ずるとしたら、これは別の意味で大きな問題だと言わざるを得ない。「迅速化」の影の部分に思いが至った時に、安田弁護士の記者会見を感情的側面だけで判断すべきではないと、思い始めたのである。

 

迅速化というお題目の下に、場合によっては「冤罪」を引き起こす種が生まれる危険性が包含されている。言うまでもなく、光市事件の被告は自らがその事件を引き起こしたことを言明しており、その犯行は人間の尊厳を踏みにじる冷酷卑劣な行為と断じるべきであるが、裁判の迅速化という時代の要請が、「冤罪」という決して起こしてはならぬ過ちを惹起する危険性をはらんでいることを、わたしは忘れてはならぬと考えている。

 

「裁判の迅速化に関する法律」の施行により、既に検察側と弁護側が公判前に争点を絞り込む「公判前整理手続き」が開始されている。そして3年後に導入が予定されている「裁判員制度」を展望した時に、「裁判の迅速化」という光の部分のみでなく、その影の部分(弁護側の準備不足・一般裁判員がホットな状況のまま、心情的な判断をしてしまう危険性など)に、充分に配慮した公正な公判指揮がなされるべきだと考えている。特に、今回の豪憲君事件の報道機関の決め付けに似た取材姿勢を聞くにつけ、その思いを強くするのである。