15日午後7時から社団法人東京青年会議所(松本直勝理事長)主催による公開討論会が、約1時間45分の予定で、中野ZEROホール(収容人員1292名)において開催された。現在、東京都知事選挙へ立候補を表明している四人の候補者を招いたそのライブがTOKYO MX TVで放映された。討論参加者は浅野史郎氏、石原慎太郎氏、黒川紀章氏、吉田万三氏(あいうえお順)の四氏である。

 

 TBSの特別解説委員川戸恵子氏がこの公開討論のコーディネーターを務めた。候補者間の公平性を期すために各候補者の発言は1回あたり2分、質問は1分半、発言回数も極力平等とし、クロストーク方式で行なうとされ、米大統領選でのディベート方式にならった形で討論を進めることが冒頭に説明された。

 

 公開討論開始は5分ほど遅れた。7時5分に石原現都知事が公務のため45分ほど遅れるため三人で始めるとの説明がなされ、討論は舞台に向かって左から黒川氏、吉田氏、浅野氏と座って、右端の席が空席のままスタートを切った。1時間45分の予定の公開討論で約半分の時間、現職知事が同席しないまま公開討論が始まったことで、最初、肩すかしを喰らわされた気分になった。

 

 討論のテーマは々睥隹充匆颪悗梁弍、∈8紊僚電誓策(4000億円政策資金として使うとしたら)、オリンピック招致の是非、ぜ遡箏措阿4問(温暖化対策、アニメ・ゲーム業界の成長の是非、羽田・横田基地など空港整備、都の区市部への権限委譲の是非)への回答と、大きく4項目に分けられた。会の最後には各候補3分づつ言い足りなかったことの補足発言が許された。そして公開討論は定刻の午後845分ちょうどの終了となった。

 

 さて石原都知事は第1テーマの高齢化対策についての討論が終了した737分に席に着き、2番目のテーマである今後の重点政策からの討論参加となった。従ってただでさえ忙しい候補者四名が一堂に会した貴重な討論は、結果として正味1時間ほどとなってしまった。

 

 石原都知事が参加してから都政批判というより激しい石原批判を行なったのは黒川氏であった。浅野氏の宮城県知事時代に県財政の借金が倍になったことと反対に、都の財政は8年前と比べ改善し財政再建がなったと自賛する石原氏に対し、黒川氏は都の管理する外郭団体や第三セクターの借金を「隠れ借金」と糾弾し、実際は夕張市以上の財政状況の悪さであると指摘した。

 

そこで最もたくさんの時間が割かれ、問題も広範囲におよんだオリンピック招致についてのやり取りをここに詳しく記す。

 

石原氏一人が当然のことだが招致に賛成の意見であった。理由として今の日本や若者には夢がない。夢を作る必要がある。オリンピックをやることで東京に欠けている最も重要な都市機能である道路整備が可能になるとした。

それに対し黒川氏は招致反対とし、オリンピック招致基金1000億円を積み立てているが石原都政のひとつの目玉であった環境問題のディーゼル規制予算はh1832億円からh19年の28億円へ減少していると具体的数字を挙げてその政策の一貫性、継続性を批判した。

吉田氏も招致反対で、理由として現在都民の暮らしが大変である。オリンピックには結果として7、8兆円がかかるので、いまやる時期ではないとした。また、オリンピックの名のもとで大型開発事業をやろうとしていると批判した。

浅野氏も招致反対である。このまま突っ走るのではなく、一旦、立ち止まって考える必要がある。基本は金がかかるため、(必然的に)他の事業を削る必要が出てくる。オリンピックって何ということを基本に立ち返って考えることが大切。夢が必要と言うことは同意するが、石原氏のこの席上での説明を聞いておかしいと思い始めた。吉田氏の批判と同様であり、オリンピックを利用して道路を作る、国威発揚というのでは(夢を与えることとは違うので)おかしいと思ったとの疑問を呈した。

 

一時間余という短い時間ではあったが、四人の言葉が重なり合う局面もほとんどなく、混乱なく、落ちついた雰囲気のなかで討論が進められたと評価できる。公開討論をあと何度か開催すれば、それぞれの候補者の政策の具体的中身やその素顔、行政能力が見て取れる。こうした試みは非常に意味のあることだと感じた。当然と言えば当然だが、これをキー局でないTOKYO MX TVがやったことで、CMも入らずにじっくりと落ちついて議論を聞けたことは非常に意義のあることであった。ひとつのメディアとしてのあり方、つまりじっくり討論を聞かすだけの番組作りのよい例であると思った。今度はもっと具体的数字をベースに据えた政策論争を四人同席ということにとらわれずに、二対二といった形でのディベートも聞いてみたいと思った。それを試みる価値は十分あるのではないかと考えた。

 

そして選挙民は単なるイメージや既成観念で候補者を選ぶべきではないという思いを今更ながらに強くしたと同時に、メディアが果たすべき重要な役割のひとつが、したり顔のコメンテーターのうるさい講釈もなく、視聴者が意見を聞きたいと思う人の生の声を淡々と流すことにもあることを、このTOKYO MXが示してくれたような気がした。