「『珍しい白菜だった』木更津市職員を窃盗容疑で逮捕」

これは、13日の民放テレビでこのキャプションで放映されたニュースである。


「東大生、中2女子に裸画像送らせる 家出で発覚、逮捕『13歳と知っていた』」

こちらは、14日にこのタイトルで配信された新聞報道(ウェブサイト)である。


白菜泥棒の報道は、この事件?がテレビのニュースで流さなければならぬほどの事柄なのかというそもそも論もあるのだが、まぁ、流してしまったのだからいまさら仕方がない。問題は、ニュースのなかでその職員の名前・年齢まで明らかにした必然性は何かということである。


また次の裸画像送付つまり児童ポルノの件では、罪を犯した弱冠二十歳の学生の実名がしっかりと記載されていた。これも、実名まで報道する必要性があったのだろうかということである。


もちろん、どちらも、やってはならぬ罪である。


とくに後者は、国際社会でも多くの深刻な問題を抱え、関心の高い児童ポルノにかかる犯罪であるから、児童買春・ポルノ禁止法の厳格適用の観点からも摘発・逮捕は当然であろう。


だが、メディアのニュース報道にあって気になるのが、強盗殺人事件などの重大犯罪などは報道されるのは当然だが、それらと比較すると明らかに微罪であると考えられるものでも、それを犯した人物の属性によってどうも報道される場合とされない場合があるということである。


なるほど、社会的地位の發ぜ圓筝的性格の強い職業についており社会に対する影響が大きいと判断される場合などは、微罪であっても報道がなされ、かつ実名も公表されるケースが多い。

それにしても、本当にそこまで執拗に報道する必要があるのかというケースも正直ある。


その者が犯した罪が社会に大きな影響を及ぼすと判断される場合、それは例え一般的には微罪であったとしても、報道に値するケースはあるだろうし、そうした場合は、わたしは多分、違和感を覚えぬことから、今回のような憤りを感じないのだと思う。


今回、なぜ、実名までもという報道が続いたものだから、敢えて、言うのだが、メディアに今回の報道について胸を張って言えるような公正・公平な基準があるのだろうか。


属するのが東大という名前だけで、やっつけてやれといった品性下劣な気持ちが蠢いていなかったか、面白いからやっちまえといった思いが頭をかすめなかったか。


白菜を盗む、それも理由が下らぬ、これは笑えるといった視点で、報道をしなかったか。


そして、ある意味、これからの人生を大きく毀損(きそん)させるに十分な“実名報道”ということまで、この二つの事件?はされねばならなかったのだろうか。


未成年の場合は重大事件を起こした者も、基本的に実名報道はされない。


しかし、成人であれば、罪を犯せば、どんな場合でも実名報道されても仕方がない。

成人なのだから、罪を犯すことには当然、それに付随して社会的責任を負わねばならぬ。


ただ、白菜のケースは起訴され、裁判までいくのかも疑問だし、たとえ裁判で有罪判決が下っても、罪を贖ったものには、今度は、更生して社会に復帰する権利がある。


また、20歳の若者の場合は、児童ポルノというまだ13歳という少女に対する行為であるので、何ともこれも言いようのない事柄ではあるが、これも、裁判になれば当り前だが、実名で判決が下される。


それで、刑を執行するのであれば、そこで粛々と刑に服すればよいし、それが終われば、しっかりと更生し、常識ある社会人として生きてゆけばよい。


何も、過ちを犯したこの段階で、実名を曝され、あまりにも重い社会的制裁を受けさせる必要はないのではないか、そう考えたのである。


今回のケースは、思慮の足りぬメディアのちょっとした一言が、ひとりの市井人をあまりにも事も無げに苛酷な人生の流れに放り込んだようで、どうにもやるせない気持ちになったのである。