松代散策=1−松代町の概要
松代散策=4−真田10万石の城(松代城・海津城跡)
佐久間象山(1811〜1864)は松代藩の下級藩士の子として生まれるが、後に老中となる八代藩主真田幸貫(老中松平定信の次男)に認められ、洋学者として名を馳せた公武合体派の開国論者であった。その門弟には吉田松陰や勝海舟、橋本左内、河井継之助など当時の時代を先導した錚々たる俊英が名を連ねている。象山は諱(いみな・本名)を国忠と称し、象山という雅号は後に紹介する黄檗宗の禅寺恵明禅寺(えみょうぜんじ)の山号、象山に因んでいるといわれている。
象山神社は、今を去る150年ほど前の人物ながら神となった佐久間象山を祀る。同郷の元大審院長横田秀雄(1862〜1938・旧横田家住宅の主)の発起により、昭和13年に県社として創建された。境内には社殿のほか、高義亭(松陰渡航に連座し蟄居させられた建物)、心の池、生誕跡地などがある。
当日は小雨が終日降り続いていたためか、境内に参拝客は見当たらず、まことに静かであった。その静寂の世界は象山が駆け抜けた波乱に満ちた激動の生涯とは対照的であり、いまや知恵と学問の神として祀られる象山もさぞかし尻の辺りでもむず痒いのではないかと感じた。
神社の鳥居をくぐってすぐ、「心の池」手前の小径を左手に10mほどゆくと目の前にちょっとした空き地が広がる。象山の生家跡である。現在は建物が立っていたと思われる辺りをこぶし大の石で区画して見せており、敷地のほぼ中央に往時を唯一語るものとして、井戸が残されている。松代藩の下級武士の家の跡地ということで、6−「松代の歴史の町並み」で紹介する中級武士の家屋や跡地である旧横田家住宅や山寺常山亭と比較すると、規模の点でやはり歴然とした階級格差があったことが分かる。また、敷地内入口左手に煙雨亭という小さな建物があるが、象山が京都の三条木屋町に住んでいたときの茶室を移築したものである。どこか、寂しげで忘れ去られたような建屋だったことが、妙に印象的であった。
神社のすぐ近くに象山記念館がある。象山が砲術家、儒者、科学者、医者、詩人といった多才で幅広い知識人であったことを示すカメラ、地震予知器、電気治療機や書画など象山作の展示品などが陳列されている。
象山の墓は松代市役所の東400mほどのところにある蓮乗寺(れんじょうじ)にある。墓は京都の妙心寺より分葬されたものである。その墓石は新選組の隊士でもあった次男の恪二郎と並んで立っている。蓮乗寺は佐久間家代々の菩提寺であり、松代の寺院に特有の屋根の大棟に鯱(しゃち)が飾られ、六連銭の紋が大棟の下部に大きく印されている。歴代真田家に対する崇拝の証でも見るようである。