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梅雨の真っ只中の七月二日に京都花背にある美山荘に蛍狩りに行った。八ヶ月前にこの日を予約した。蛍が出るのがこの日をはさんで前後、5,6日間ということで、当たれば儲けもので予約した。梅雨前線が行きつ戻りつする空模様に一喜一憂して、この日の京都行きを待った。
当日、午前9時半頃に京都へ到着したが、まさに到着と同時に篠突(しのつ)く雨。タクシーに乗るのも、十センチほどの水溜りを避けて必死に座席に滑り込む。当日は、美山町にある「かやぶきの里」を見てから、美山荘に向う予定。
まずは、「かやぶきの里」へ。これほどの僥倖があろうか、空模様は一転、晴れ模様。午後、3時半に美山荘に到着。
母屋の玄関
若女将
お部屋の床に生け花が・・・
母屋の縁側
母屋の床の戸袋の絵
お風呂に入り、夕食に舌鼓を打ち(下の写真は最初のお皿のみで、あと次々と出された料理は女将との談笑とおいしい日本酒「弥栄鶴」にかまけて、写真がない・・・。でも、献上鮎のおいしかったこと・・・)。そして、ついに午後9時ころに夢に描いた蛍狩りに出発した。
恒例の籠に盛られた八寸
母屋食事の間の襖絵
離れの部屋・床の間に片栗の活け花
蛍狩りという言葉は知っていたが、実際にどうするのかを知らないわたしは、家内や娘ら同宿の人たち9人とともに美山荘のワゴン車で7、8分ほどの渓流の橋の上に向った。樹林の細い径、と云っても真っ暗であるが、その間も車のライトのパッシングに釣られて樹間(おそらく)に蛍が青白い灯をぼ〜っと点す。ある時は数匹が寄り添うようにして、またある時は離れていくようにして、車の動きに合わせるように、陸続と蛍が湧いて出てくる。
寄り添う二匹の蛍
清流から立ち昇る蛍
漆黒の闇に蛍が・・・
まさに幽玄の世界とはこのこと。これから初めて経験するであろう蛍狩りに心が昂ぶって来る。橋の上は漆黒の闇である。おそらく上空は梅雨の雲が厚く覆っているのであろう、一条の月の光も一粒の星の影さえ見ることが出来ない。右も左も真っ暗である。
橋の下に渓流の大きな音が聴こえてきた。そして、十数個の蛍火がゆらゆらと、そしてす〜っと昇ってきた。あっと思う間もなく、今度は頭上から数匹の蛍がまるで流れ星のように降ってくる。それは、暗黒の世界をキャンバスにして繰り広げられる繊細な光の映像劇である。時間は止まったように動かない。
蛍袋の花芯で蛍が幻想的に灯をともす
緑色と薄紫の世界がきれい
鑑賞後は自然のもとへ・・・
若女将に渡されたうす紫色の蛍袋(ほたるぶくろ)の花弁に掌にとまる蛍を流し込む。花芯(かしん)に落ち着いた蛍が間歇的にぼ〜っと仄かに明かりを灯す。車の中で蛍袋という王朝絵巻のような名をつけられた花芯は強く弱く点滅を続けていた。その花びらを手にしたまま宿に戻った。部屋の縁に置いた蛍袋の花芯をのぞいた。そこにはうす紫の世界の中で、幻想的なみどり色の光を灯す蛍がいた。ゆっくりとした時間が流れ、待ち焦がれた京都の深山の夜が更けた。
寝ざめの梅茶
名栗の間で朝食
いつもおいしい朝食です
名栗の間の名栗面の床です
離れの部屋には露台が
いよいよ若女将ともお別れです
蛍狩りを楽しんだ翌日は、小糠雨(こぬかあめ)が朝から降っていた。寝覚めに効く梅茶を飲み、遅めの朝食をゆっくりと堪能する。やはり素材の野菜も厳選されておいしい。
そして夢のようで一幅の絵のような過ぎし日を心に仕舞い込み、大女将、若女将に別れの手を振った。
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