彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

京都の割烹

2014年、祇園祭の“割烹やました”で、涼をもとめる=京都グルメ

2016年9月、倦怠期に木屋町通りの「割烹やました」のランチは格別!(2016.9.30)
2014年祇園祭・山鉾巡行前祭(さきまつり)に興じる(2014.7.21)
2013年・水無月の割烹“やました”、“あこう”の洗いで初夏の爽やかな音色を聴く=京都グルメ
(2013.7.1)

中京区木屋町通二条下ル上樵木町491−3 ☎075−256−4506


7月17日、山鉾巡行が終了した夜、京都の知人ご夫妻と“割烹やました”で会食をした。

0・いつもながらいい笑顔です
いつもこの笑顔がたまらぬ山下茂氏

祇園祭の本義である神幸祭の神輿渡御が木屋町通りすなわち“やました”の前を通ることを知ったので、この日に“やました”を予約した。

1・舞殿に並ぶ三基の神輿
宵宮に八坂神社舞殿にならぶ三基の神輿

要は、“やました”の料理に舌鼓を打ちながら神輿渡御も観覧するといった一挙両得、ぜいたくな目論見を立てたというわけだ。


加えて一年半ぶりの再会となる旧知のご夫妻と積もる話も同時に楽しもうとイベント、テンコ盛りな“やました”の夜を計画したわけである。


6時の予約にあわせ押小路橋を歩いていると“やました”の前で祭りの出店を準備する大将の姿を認めた。

2・割烹やましたへ

え〜っ! やました”が出店屋台?と訝(いぶか)るわたし、つい、「大将! 商売熱心だねぇ」と声をかけた。

3・神輿渡御振舞い酒の準備をする大将

気づいた大将が何か言うがよく聞こえない。近づくと缶ビールやらペットボトル飲料を氷で冷やす仕度中である。


神輿を挙げる連の人たちへの差入だという。当方、冗談にせよ商売熱心だねなどと声をかけたことに、少々、赤面の態。


それと、“やました”へ通うのに一斗樽を積んだ高瀬舟が見えないのはちょっと情緒に欠けていた。

4・高瀬川に浮かぶ旧高瀬舟  5・高瀬舟のない高瀬川
左:旧高瀬舟(2008年撮影)  右:2013年、撤去されて何もない高瀬川

当日はまだ明るい高瀬川にひとまわり大きくなった高瀬舟が新調なって浮かんでいた。そこで一枚、写真を撮った。

6・0新調なった高瀬舟

高瀬舟が浮かぶ景色、京都情緒たっぷりのまことにいい雰囲気である。


さて、店内、いつものカウンター奥の席へ陣取った。

6・1先付
先付

早速、乾いた喉を潤すべく恵比寿ビールを注文、それから“桃の滴”の冷酒をいただく。

6・2冷えた桃の滴

料理の方は今回のサプライズは“鱧の洗い”と“冷やし肉”。


これまで“やました”の鱧と云えば“炙り”であった。もちろん、当夜も炙ってもらった。

7・真剣に鱧を炙る芹生君
鱧を炙る芹生君

ところが、芹生君が“鱧の洗い”はいかがですかとさらに問う。

8・活きの良い鱧を捌く芹生君
跳ねる鱧を捌く芹生君、頑張る!!

「エッ? 鱧の洗い」と問い返すと同時に「それもちょうだい」と即答する。まだまだ私も若い、すばらしいクイックリスポンス、条件反射能力であると妙なところで悦に入る。

9・鱧の洗い
これが鱧の洗いです

ともあれ、この洗いには正直、唸り声を上げた。この発想、仕上げにはアッパレというしかなかったのである。

あまりにも新鮮な食感! 炙り鱧にも、もちろん湯引きの鱧など遠く足元にもおよばぬ斬新なまさに炎暑に涼を呼び込む食感である。

10・鱧の洗い、これは新たな発見
お見事、この食感!!

常に食材の新たな調理法を追い求める“やました”の姿勢に恐れ入り、またまた惚れ直したところである。


次に“冷やし肉”なる、これまたこんなお肉の食べ方、初めてという代物。

実のところ男性陣は網焼きを頼んでいたのだが、お隣のご婦人方の前にならぶお肉に目がいった。

11・牛の網焼き
男性陣が頼んだ網焼き

それに気づいた女性陣がおひとついかがと憐憫をかけてくれたので、この新たなる珍味にありつけたもの。

12・0冷やし肉
これが冷やし肉です

二杯酢でさっぱりと“涼”をいただく、美味である。


12・1万願寺唐辛子の掏り流し  12・2冷たい野菜の炊合せ
左:万願寺唐辛子の掏り流し 右:詰めた野菜の炊き合せ

炎暑の夜に斯様な涼を次々と演出する大将の凄腕にあらためて驚嘆するとともに、衷心からの敬意を表するところである。


そして、いよいよもうひとつのビッグイベント、神輿渡御の始まりである。


まだまだ明るい午後7時少し前。神輿を先導する行列が“やました”の前の木屋町通りに入ってきた。

13・色々、雅な行列が続きます

お客さんも一時、食事を中断、外にて観覧。駒形稚児や騎馬で進む神官の行列がつづく。

14・稚児さんも騎馬でゆく
可愛らしい駒形稚児が通る

神輿の前にこれほど本格的な行列を見たのは初めてであった。

15・騎馬行列がゆく

7時17分。三若神輿会の担ぐ中御座神輿が“ほいっと、ほいっと〜!”の掛け声とともに近づいてきた。

道路を埋め尽くす人、人、人にはビックリ。

16・道を埋め尽くす人
大勢の人と共に中御座が見えて来る

中御座は六角形の屋根に鳳凰を冠し、ご祭神は八坂神社の主祭神・素戔嗚尊(スサノオノミコト)である。

17・中御座
中御座神輿

何しろすごい人数が次々と店の前を通り過ぎてゆく。

18・大勢の担ぎ手が過ぎてゆく

中御座を見送ると、一同、一旦、店内へ戻る。


午後9時前、錦神輿会が担ぐ西御座がやってきたので外へどうぞとの声。大将以下、お客とともに道路へ出る。さすがにもう外は真っ暗。


だが、神輿が近づくにつれ人の大群が押し寄せるようなどよめきが聴こえる。

19・西御座がやって来る
西御座が近づく

“ほいっと!ほいっと!” 西御座神輿が現われる。

屋根が八角形の鳳凰を冠するこれまたりっぱな神輿である。ご祭神は素戔嗚尊の御子たちである八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)。

20・錦神輿会・西御座
西御座神輿

錦神輿会のメンバーは“やました”が仕入れでお世話になる錦市場の人たちが大勢いるのだという。

“やました”の前で神輿もしばし休憩。担ぎ手の人たちも乾いた喉を潤す。大将が準備した飲料の前は昂揚した連の人たちの熱気があふれる。芹生君や女子衆もお世話に大活躍。

21・錦神輿会の人たちに振る舞う

そんななかを粛然と騎乗の神官が行く姿もこれまたすばらしい。

22・担ぎ手のなかを行く騎馬

そして、神輿はふたたび大勢の担ぎ手に担がれ、暗闇に“ほいっと! ほいっと!”の響(とよ)みを残し四条の御旅所へと去っていった。

23・西御座

嵐のようにやってきた神輿を見送り、暖簾の方を見返ると大将が満足の笑みである。

大将、満面の笑み
大将、最高の祭だね〜

神輿渡御の迫力と行列の厳かさを目にし、1100年の歴史を有する祇園祭の本義・神幸祭は京都の町衆に支えられてきたまさに神儀であると実感させられた。


路傍から観覧するだけで祭の当事者のような高揚感を味わったわれわれはふたたび店内へ戻り、じっくりと“やました”の料理を堪能。

25・料理が並んでいます
まだまだ祇園祭の夜は長いのです・・・

神輿渡御を“やました”の前で観覧するという最高の祇園祭を過ごすことが出来た。満足この上ない一日であった。


そして、“やました”の“もてなし”の真義が大将の日頃の心映えにこそあったのだと心底、納得した。


2014年の“割烹やました”!!


祇園祭の神輿渡御を観ながら料理に舌鼓をうつという新たな“やました”の魅力を発見した一日でもあった。


そして最後に新料理長を紹介しておかねばならない。安達料理長である。

26・大将と新料理長の安達さん
新料理長・安達さん

以前、長年“やました”におられたということで、これから勝手知ったる板場で大将の右腕として思う存分その腕を振るっていただけると大いに期待している。


何せ、当夜は神輿見物に出たり入ったり、久しぶりの旧知の友との語らいとやたら忙しく慌ただしい時間を“やました”で過ごした。


次回にじっくり安達さんとお話できることをきたいして2014年の“やました・訪問記”の筆を置くことにする。



2012年春の“割烹やました”=京都グルメ

2014年、祇園祭の“割烹やました”で、涼をもとめる=京都グルメ(2014.8.13)
2013年・水無月の“やました”、“あこう”の洗いで初夏の爽やかな音色を聴く=京都グルメ
(2013.7.1)
千変万化、山下茂氏の手練の技、“2012年秋の割烹やました” に感服!!
(2012.10.23)
割烹やました・2010年の味=京都グルメ
(2010.12.12)
秋の京割烹「やました」、行って参りました=京都グルメ(2009.11.23)
割烹「やました」・・・京都グルメ編(2008.3.14)

京都・“割烹まつおか”に初見参=京都グルメ(2012.10.7)

中京区木屋町二条下ル

075-256-4506


昨年6月に訪れて以来、9か月ぶりの“やました”である。昨年、ブログへのアップを怠ったので、今年は遅ればせではあるが、“やました”探訪記を残しておく。

山下茂氏と花島氏
”やました”の大将と花島さん

なにしろ昨今は多くの知人が“やました”ファンとなった御蔭で、東京でもやたら「やました、行って来たよ」、「やましたの岩ガキおいしかったよ」とか、まぁ、こっちの気も知らないで“やました”自慢の花盛り、花盛り・・・。


そこで、この春、義母の米寿祝いに四国を訪れた帰路、京都で途中下車。もちろん定番“やました”へ向かうためである。そして今回は、学生時代以来の京都一人旅であり、事前の計画なしに洛中をブラブラする「無計画の計画」を心ゆくまで愉しむこともひとつ大きな目的としていた。

嵐電
学生時代以来の嵐電に乗りました

ただし、夜だけは「無計画」とは異なり、一日目が“御料理はやし”、二日目を“割烹やました”と、しっかりと事前に予約しておいたのはまぁ大人のご愛嬌である。

北野白梅町駅
昔、京都へ来ると、この北野白梅町駅をよく利用した

こうした行動パターンは、「無計画の計画」をモットーに洛中を彷徨していた学生の頃の自分が最も忌み嫌った「肥満した精神」の発露そのものである。

帷子の辻駅
この帷子の辻(かたびらのつじ)駅で乗り換えたり、ここから歩いたりしたもんだ・・・

正直、近年の「食」へのこだわり方は老いとともに執拗さを増し、己で制御するのが難しくなっている。理性を失ったかのようなその執着心のあさましさをまだ恥ずかしながら自覚していることが、まぁぎりぎりの救いってところかなと感じているところである。

帷子の辻駅前
帷子の辻駅前はまったくその様相が一変・・・、わたしには寂寥感のみが・・・

そうは言っても、あの青春時代のまぶしいような「無計画の計画」はお天道さまが顔を見せている時間帯だけという所業については、まぁ、若い人から見たら堕落しきった代物(しろもの)と一刀両断に唾棄されても仕方あるまい。

冷酒
大人の証明・・・、いやお酒の魔力・・・

あぁ、そんな噺はどうでもよいのだった。ここでは“やました”の近況を報告すればよかったのだ。

八寸
まずは八寸

ということで、今回は一人旅ということで、“やました”の大将がカウンター中央に席が取られていた。要すれば光栄にも大将の正面に坐ることとなった。これまではカウンターの一番奥に陣取り、隅から板場を見るのを常としていたが、今回は同行の話し相手もいないことから、計らずも大将とゆっくりと話をすることができた。


料理はいつもの“おこぜ”の刺身ではなく、“てっさ”をいただくことにした。大将がいうには、「いつもお造りは“おこぜ”だから、たまに違うのはどうか」と奨められたからである。前々回だったか娘が頼んだフグを少し横から掠め取り口に入れたところ、微妙に厚みがあって甘味が口の中にふわっと広がり、それまでフグ刺しをあまり好まなかったわたしにとり、ちょっとした新鮮な驚きがあったのを覚えていたためである。

てっさ
ちょっと肉厚で、噛みごたえのある”てっさ”は、わたし好み!!

今回はひとりで思いっきりその“てっさ”を堪能した。思った通りの醍醐味を感じさせる質感と淡白さの中にほの甘い味のするこれぞ“やました”の“てっさ”であった。

太った本モロコ
太った本モロコ

それから本モロコを久しぶりに戴くことにした。写真で分かるように、見事なモロコである。淡白でほっこりとした食感が堪らなくおいしい・・・。

本モロコ
おいしそうに焼きあがっています
ほっこりした本モロコ
思いっきりたくさん戴きました、本モロコ!

そして大将との談笑の合間に、色々と酒のツマミにとちょこちょこと繰り出される小気味よい技にほとほと感心しながら、酒はいよいよ進み、時間が経つのも忘れてしまったのは当然の成り行き。

おつまみ
この蕗の塔を刻み込んだ味噌でお酒の進むこと、進むこと・・・
おつまみ
からし和えもお酒が・・・欲しい・・・
酢味噌和え


山菜の天ぷら
山菜の天ぷらまで頼んでいたんだ、よく一人で食べたなぁ・・・

いつしか第一陣のお客で残っているのはわたしのみで、隣には大原からやって来られた気さくなご夫婦が坐っていた。


大将とはどうも野菜の仕入れの関係で長年のお付き合いがある様で、気の置けない談話が始まっていた。そしてわたしもいつの間にか当たり前のようにその仲間に入り、心温まる時間を過ごさせていただいた。


その会話の中で、大将の食材に対する造詣の深さや新たな食材への飽くなき探求心といったものを知り、笑顔の底に隠された“食の匠”としての凄みを知らされた貴重なひと時でもあった。


そうこうするうちに時間は看板の時刻を疾うに過ぎ11時近くとなり、大原のご夫婦を残して店を出ることにした。いつもの如く大将が外まで見送りに出てくれたが、「今夜は奥様がいないから“K6”(カクテルバー)には寄らずにまっすぐ、ホテルへゆくがよい」と誰かさんの伝言でもあったかのような適切なアドバイスをいただき、それではと初春の夜風に火照った頬をなぶらせながら、ゆっくりと、とろりんちょと、ホテルへ向かった次第である。


斯様にして2012年最初の“やました”の夜も更けていったのである。


それと大切な報告をここでしておかなければならない。“やました”の焼き方と揚げ場を担っていた松岡君が独立し、「割烹まつおか」(京都市東山区松原通大和大路西入る南側弓矢町25・電話075-531-0233)をこの426日(木)に開店したことである。カウンター7席の小さなお店とのことであるが、近いうちにぜひ伺いたいものと思っている。

右近君頑張る
若手の右近君、頑張っています

松岡君のいない“やました”はちょっとさびしい気もするが、これまで通り花島さんがしっかり大将を支え、若手の右近君が松岡君の抜けた穴をカバーし、いつも通りの旅人に優しい気の置けない“やました”はもちろん健在であり、今後とも脚を運び続けるのは言うまでもない。

割烹やました・2010年の味=京都グルメ

割烹「やました」・・・京都グルメ編(2008.3.14)
葵祭りの日、割烹「やました」へ(前編)(2008.5.21)
割烹やました(後編)――「Bar K6」(2008.5.30)
割烹「やました」天下の珍味を堪能!!(上)(2009.2.18)
割烹「やました」天下の珍味を堪能!(下)――京都グルメ(2009.2.21)
秋の京割烹「やました」、行って参りました=京都グルメ(2009.11.23)
2012年春の“割烹やました”=京都グルメ(2012.3.13)
千変万化、山下茂氏の手練の技、“2012年秋の割烹やました” に感服!!(2012.10.23)

中京区木屋町通り二条下ル上樵木町491-3(押小路橋突き当り)

075-256-4506

 

今年も残り一カ月を切った。早いものでもう師走である。

 

今年一年間、わたしの周囲の人間が何人も「やました」にお世話になった。

 

やました

 

 みんな「おいしかった」、「旅先であの雰囲気を楽しめるのは最高」、「皆さんがよろしくと言ってましたよ」などと、この一年言われ続けの「お預け!」の日々でありました。

 

元気で明るい板場 

 そこで、こちらもホテルのディスカウント案内に背中を押されるようにして、年も押し迫った師走に一年二ヶ月ぶりの「やました」往訪となった次第。まぁ、寅年初めての見参なるも、一年間のご挨拶をかねて、「良いお年をお迎えください」との年末挨拶も序でにかねて、さらに忘れちゃいけないのが娘が今回、「やました」デビューということで、てんこ盛りの上におまけのアイスを載っけたようなチョコパフェ状態での「やました」行きであった。


てなことでその日、一年の無沙汰を詫びながらカウンター奥の席に腰を下ろした。
この夜はひと言で言えば、「松葉ガニ」と「日本酒」の夜でありました。当夜はまず、いつものように「おこぜ」の薄造りをいただいた。美味である。

おこぜ薄造り

 次いでめずらしく「ふぐ」の薄造りに挑戦した。巷の「ふぐ刺」をいつも酒精の飛んだ日本酒のようだと毛嫌いしていた自分が嘘のようだ。

 

 「やました」の「ふぐ」は違ったのだ。淡泊だが味にしっかりとした芯があると云ったらよいのだろうか、しっとりとした舌触りのなかに上品なコクがあるとでも表現すべきか、何せこれまで口に入れた「ふぐ」とは明らかに違った。

 

ふぐ薄造り

 「やました」の「ふぐ」は大きめであり味がしっかりとしているのだと、松岡君が説明してくれた。もう少し詳しい説明をいただいたのだが、実は、次の「松葉ガニ」の刺身と焼き蟹に格闘しながらであったので、申し訳ないことに心ここにあらずで大意のみをお伝えする。言えることは、「やました」の「ふぐ」は食して見る価値あり!ということです。


当夜のお奨めで出てきたのが、写真の「松葉ガニ」である。

お奨めの松葉ガニ

頼んでビックリ、食べてビックリの「松葉ガニ」三昧でした。まぁ、こんな贅沢も一回ぐらいいいよねと家内と二人で一匹(生きた蟹は匹、死んで食用に供される場合は杯というのだそうだ)を黙々と平らげたのでありました。お酒などを入れちょっとした味付けをした蟹ミソもまろやかな風味でこれも絶品でした。

松葉ガニの刺身


焼きガニ

蟹みそ

 娘の方はというと・・・、蟹アレルギーのためこの食べ比べには参戦せず一人、グジの焼き物に箸を立てておりましたなぁ。

 

グジの焼き物

やました風汲み上げ湯葉

かぶら煮

湯葉まんじゅう

蓮根煎餅なる絶品

野菜の雑炊、結構、私の知らぬところで頼んでいましたな・・・

 そしてこの夜のお酒は京都伏見の「鳳麟」という純米大吟醸であった。2006年に国際品評会の「モンドセレクション」で最高金賞を受賞したのだそうで、そう思うと一段と口当たりがよく感じられ、見えない杜氏に「Good Job!」とつい声を掛けたくなるような芳醇な味ではありました。



さらに、当夜は「松葉ガニ」の甲羅で甲羅酒を三杯もいただいてしまいました。おいしかった・で・す!

甲羅酒
透明度を増す二杯目
甲羅酒の三杯目
清水のごとき三杯目 

これが、甲羅酒一杯目の色です

また、来年ね!! 

こうして松葉ガニと日本酒の宴も終わり、三人は仲良くホテルへ帰っていったんだとさ。
2010年の「やました」のお話は以上でオ・シ・マ・イ・・・。 

 

割烹「やました」天下の珍味を堪能!!(上)5

割烹「やました」天下の珍味を堪能!!(上)

 

(´∀`*)京都のグルメ

 

京都府京都市中京区木屋町通二条下ル上樵木町491-3

075-256-4506

 

 

 割烹「やました」・・・京都グルメ編(08.3.14)

 

葵祭りの日、割烹やましたへ(08.5.21)

 

割烹「やました」天下の珍味を堪能(下)


秋の京割烹「やました」、行って参りました=京都グルメ(09.10.15)
 

 冬の割烹「やました」へ行ってきました。昨年の師走、大将の山下茂氏が足を骨折し入院中との噂が東京方面で流れ、事実確認に京都在住の友人に確認したところ噂は事実、板場に入っていないとの情報。一月中旬に予約を入れていたわれわれも、自分の胃袋と舌の欲望から「早く、治れ!」と、ご祈祷の毎日・・・。

 

 上洛初日の夜、早速「やました」を訪れ、板場に大将の笑顔を発見!!

 

ヤレヤレ! (●´ω`●)

 

 つい三日前からリハビリを兼ね、数時間ずつ店に出始めたとのこと。わたしたちもホッと胸を撫で下ろし、心にもない憎まれ口を大将に叩いた。「(骨折の)理由が理由だから、同情なんてしないよ」って・・・。

 

包丁さばきおこぜおこぜのお造り

大将の包丁さばき            おこぜの薄造り
 

でも、大将が板場のど真ん中で見事な包丁さばき(おこぜ)を披露するのも、「やました」の醍醐味。無事に復帰できてよかった、よかった。早いとこ、完全復帰をして下さいね(一月中旬は途中退場)。余計なことだが、看護婦さんにあまり迷惑をかけないよう、リハビリ一途の生活にまい進して下さい。

 

 さて、当日の御奨めは別稿の「珍味三昧」と「おこぜの薄造り」と肉厚で軟らかい「赤なまこ」でありました。大将が大き目のおこぜを俎板の上であざやかにさばく姿は、さすがに天下一品。

 

「いやぁ〜絵になる」

 

 おこぜは胃袋から骨まですべてを調理するが、胃袋を食したときのコリコリ感が今でも舌の感覚に残っている。いつもながらおこぜの薄造りはまさに絶品である。

 

肉厚のなまこsishamo珍味

 赤なまこ     天下の珍味    天下の珍味
 

今回は、まず「やました」の板前さんをご紹介しよう(実は話に夢中で料理の写真をほとんど撮っていないことに、今にして気づいたところ・・・。だから「おこぜ」の皿盛りの写真は前回の写真を使わせてもらいました・・・) 
 天下の珍味については、別稿にて詳しくレビューさせてもらいます・・。(何と思わせぶりな・・・)
 
 

花島氏松岡君
花島氏       松岡君

 

芹生君右近君
芹生君       右近君

 

 以上の鯔背(いなせ)な4名が大将の元、きびきびと板場のなかで調理に励む姿は美しい。そういうことで、その夜は看板まで長居(と言ってもスタートが8時だった)。花島さんや松岡君らと陽気におしゃべりし、記念写真?までとったりと、大いにやましたを蹂躙し回り、堪能させていただいた。

 

マッチ初めて「やました」のマッチを見た・・

 

そして、「やました」行きのこれからどうも定番コースとなりそうな、近くのショットバー「K6」へと向かったのでした。

 

 K6カウンターK6看板とカウンター

 京都第一日目の楽しい夜でしたとさ、ジャンジャン!!




 


葵祭りの日、割烹「やました」へ(前編)5

千変万化、山下茂氏の手練の技、“2012年秋の割烹やました” に感服!!(2012.10.23)
2012年春の“割烹やました”=京都グルメ(2012.5.13)
割烹やました・2010年の味=京都グルメ(2010.12.12)
秋の京割烹「やました」、行って参りました=京都グルメ(2009.11.23)
割烹「やました」・・・京都グルメ編(2008.3.14)

中京区木屋町通二条下ル上樵木町491−3

電話:075-256-4506


葵祭りの行列を楽しんだ家内らと合流後、本日のメインイベントである割烹「やました」へと向かった。


押小路には粋なお店が多い・押小路東突き当りに”やました”がある

「侘び・寂びの世界云々(うんぬん)」などという七面倒くさく小難しい講釈などとんとどっかに吹っ飛ばし、木屋町通りの「やました」の小豆色の暖簾をくぐった。

割烹やました
割烹やましたの佇まい

これまで「やました」は帰京する日の新幹線最終便までの時間に立ち寄るという慌ただしい大変失礼な客であった。そんな無粋な客も分け隔てなく相手にしてくれる大将の山下茂氏には本当に感謝している。

   
高瀬川にかかる押小路橋        高瀬川に浮かぶ高瀬舟
匠の風貌、山下茂氏
葵祭りに見せる”匠の風貌”、山下茂氏

そこで今回は至近のホテルを予約、心ゆくまで「やました」を堪能するつもりで訪問した。予約は午後7時。カウンターはわたしたちの席を残すのみで、常連のお客でいっぱいであった。まぁ、前置きはそれぐらいにして、それではこれから、初夏の古都の味を写真とあわせじっくりとご堪能いただくことにしよう

   
先づけです             先づけの”鯛の昆布〆”

先付けのあと、お造りに白身の鯛におこぜを頼んだ。

お造り、鯛
鯛のお造り・・・、これ、頼んだの誰? 食べてない・・・なぁ

おこぜは薄造りで皮や胃袋もあざやかに包丁で刻まれ、九条葱や酢橘(すだち)とあわせて美味、珍味であった。骨は後ほど唐揚にされ出てきたが、前回も登場した松岡君の話だと、「おこぜは無駄にする所がない」のだそうだ。

おこぜのお造り
いつもながら、惚れ惚れする”おこぜの薄造り”

おこぜの唐揚です

そして当然、京都の初夏!は「鱧(はも)」である。「やました」では湯引きして梅肉で戴く定番の「ハモ」ではない。かるく炭火で炙った肉厚の鱧が特徴である。薄味のポン酢にすこしつけていただくと、口内に初夏の「きょ〜と!」が薫風のようにさわやかにひろがる。

炙り鱧です
肉厚の鱧の炙りを薄味のポン酢で・・・、大好きです!!

そしていよいよ 「岩がき」の登場である。

岩がき
お待たせ、”岩ガキ”の登場で〜す

「次、岩がきが入っていますが・・・」との松岡君の言葉に、「それをお願い」と口を開く前に、わたしの胃袋の噴門はすでに大きく開いてしまっているのである。いやぁ、これまた待ちに待った味覚である。ここの「岩がき」は実に美味い!し、本当にミルキィーさが違うのである。

大将を支える料理長の花島氏と焼き方の松岡氏
大将を支える料理長花島氏(左)と焼き方の松岡氏

「“岩がき”は“やました”に始まり、“やました”に終わる」と広辞苑に出ている、いやそんなはずはないが、“岩がき”の項に、「“やました”でのみ食べることができる美味しい牡蠣の一種類」という説明があってもよいとまで思ってしまうのである。先の炙った“鱧”も然りである、本当に広辞苑ものなのである。

常在戦場
板場は常在戦場

そして今回は“鯨の頬肉”を薦められたのが、わたしの「やました」遍路の歴史にあらたな一頁を加えたのである。

くじらのほほ肉
これが、これが・・・、鯨のほほ肉です

中央卸市場から直行の鮮やかな赤身! これは絶品!のひと言である。新鮮で肉厚の鯨の刺身、ほほ肉など食べたことのなかったわたしは、どんなお刺身を出されてもこの味と食感には適わないだろうなと思ったものである。

この杯で吉乃川をグッといきました
新潟の銘酒、”吉乃川”を冷酒でいただきました

あと脂ののった「キングサーモンのバター焼き」や「鮎の塩焼き」(わたしはお腹いっぱいでパス)や「金目鯛の煮つけ」や「ホタテのしんじょう椀」に最後に、『「やました」で鯖寿司喰わぬは人でなし』?と云われる「鯖寿司」を御土産に、もうお腹はパンパン。初めて看板(午後10時)まで尻を落ち着けた「やました」の夜は更けていった。

  
      ”キングサーモンのバター焼き”   ”鮎の塩焼き”なんぞ、注文していましたねぇ

”金目の煮つけ”です

そして、大将に駄々を捏ねて近くにある雰囲気のよいカウンターバーを教えてもらい、予約までしてもらった。次に「やました」の大将や花島さんたちも常連と云うそのお店を紹介しよう。それでは、『初夏の「やました」後編』をお楽しみに。

雰囲気のある店内
大人の雰囲気です・・・カクテルバーの名店”k6”

何はともあれ、三月弥生に訪れた際に、次は「鱧に岩がき・・・」とブログの文末に記したが、皐月の往訪はその期待を十二分に超える美味で素晴らしい出会いの「やました」であった。

  
”k6”の帰り、もちろん”やました”は閉店  暗くなった押小路をテクテク帰りました

花島さんもありがとうね、次回はこんどは会話重視で訪ねよう・・・、いや、それに旬の料理もやっぱり楽しみに再会を期そう・・・。

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